第30話 皇子と人殺しと強心臓と被害者と紙職人と変態
「今日もありがとうございました!」
学園常駐の修道女メイが深く頭を下げました。年上の修道女に頭を下げられる、それに慣れてしまった事にローザは妙な嫌悪感を覚えていました。
「貴女の技術が向上したのは努力の賜物です。私はそれを後押ししただけです」
「そんなことありません! 若くしてこんな技術を確立するなんてローザ様は本当に凄いです!」
鼻息を荒くするメイを見てローザは罪悪感の正体に気付きました。全てが自分の手柄にされているのです。アンジェリークがいなければ今もただの祓魔師として従事していたのは間違いないので、称えられるのならばアンジェリークも称えられるべき……いや、アレは称えられるようなことじゃないし感謝もしてないけれど、となんとも言えない感情が湧き起こってきました。
といえど、自分一人だけやたら持ち上げられるのはどうも気に入りません。帝国では実地訓練と称して騎士団で修行させたりとある理由で四肢がポロリした犯罪者を使って接合の説明と訓練をさせたりしたので畏怖と恐怖の視線を向けられていました。こんな真っ直ぐに尊敬! という視線を向けられるのはなんだか背筋がむずむずします。
「私一人では今のところまで到達できませんでしたよ」
「さっき言われたじゃないですが、技術の向上は努力の賜物だと」
「私の場合は必要に迫られたからなので……」
飛び交う手足を繋げる日々を思い出し、ローザは思わず遠い目をしました。それを見てメイが青い顔をしています。
「帝都とはそんなに過酷なのですか?」
「ええっと……私の場合は少々特殊で、言えませんが」
「そ、それは大変ですね」
教会において言えない特殊な事情とは貴族関係の事柄を指します。基本的に教会は貴族平民関係なく平等を掲げていますが、現実問題としてそうはいきません。寄付は貴族が多いので。
便宜を図る、とは言っても基本的には情報を秘匿するだけです。治療の内容を全体で共有し技術の向上を図る教会において情報の秘匿はかなりの便宜ではあるのですが。
「まあ、そんなわけですのであまり持ち上げられてもその、居心地が悪いので……」
「あ、はい……すいません」
メイは耳まで真っ赤にして謝りました。自分の言動がかなりミーハーだったことに気付いたのでしょう。
教会から出たローザは真っ直ぐに教室棟へと向かいます。その際、出会う教師からはにこやかに挨拶されています。学園に来た直後は国から強引にねじ込まれたこともあり敵視されていたのですが、スーパー問題児二人を止められる人間だと判明した直後に態度が翻りました。学園創設以来最悪の問題児のくせにやたら身分が高貴なので教師としてはできうる限り近付きたくないのです。
ローザは名目上は非常勤講師として派遣されています。役職は皇子と騎士令嬢がいるAクラスの副担任が割り当てられています。ちなみに、副担任がいるのはAクラスのみです。副担任への割り当てが決まると、担任はローザを拝むようにして喜びを表現していました。そして、非常勤講師ですが教える授業はありません。一応、魔術はアンジェリークから教わった物を教えられますが、当然ですが専門家がいるのでローザには出番がありません。だから教会でメイに治癒術を教えていたのです。
問題児対策として学園に来たので暇が多くて当然なのですが、問題児対策なのでやるべきことはやらねばなりません。問題児対策は主に授業後に始まります。
おそらく、学園が無くなるまで最悪と記録されるであろう問題児二人は学園二日目にして教室を一室占拠するという暴挙を行いました。ぶん殴りにいこうとしたローザは止められ、元々空いていたその教室は隔離教室として扱われることになりました。成績次第では授業に出なくてもいいという御墨付きまで二人には与えられました。与えられたにもかかわらず二人とも律儀に授業に出席している辺り学園の目論見は外れましたが。
その占拠された教室へと入ると、一人の女生徒が椅子に座って本を読んでいました。女生徒はローザに気付くとペコリと頭を下げます。
「バカ二人はどうしました?」
「バ……えっと、特に何も聞いてないです」
ローザの暴言に苦笑いで返した女生徒の名はミコト・サクライです。安価な本で有名なサクライ商店の一人娘、そして有能でアンジェリークに目をつけられた人物、というのがローザの認識です。高魔力、好成績が条件のAクラスに当たり前のようにいる辺り本当に優秀なのだとローザは納得しました。問題児に誘われてこの教室に出入りしている人物の一人です。
ミコトはローザとどう接すれば良いのか悩んでいました。なんせ、ゲームには出てこないにも関わらず異様に個性が強いのです。兄が関わったのが原因かとも思ったのですが、聞けばかなり年少で祓魔師になったという、元々強い個性の持ち主です。同じく兄に聞いた騎士団の女騎士といい、何故ゲームに出てこないキャラがやたらと濃いんだと頭を抱えました。
「……あの二人に止められてるとかではなく?」
「お二人からは特にそういうことはされません。むしろ、あの二人のおかげでクラスにも馴染めているので感謝しているぐらいです」
武術の授業では教師を殴り飛ばし、魔法の授業では教師の心をへし折り、一般教養では教師が触れることすらしない問題児二人組は優秀なAクラスの生徒達を恐怖のどん底へと叩き落としました。そんな二人に特に気負うことなく話し掛け仲良くしているミコトは教師におけるローザと同じ立ち位置でクラスメイトに頼られているのです。
「失礼します」
教室に新たな人物が入ってきました。どこか似合わぬ制服に身を包んだ少年はローザとミコトに優雅に一礼しました。
「ローザ様、ミコト嬢、今日も一段とお美しいですね」
爽やかな笑顔でそう言ったのはリヒャルト・フォン・シュトローマー。入園式前にアンジェリークに腕をへし折られた彼です。彼からは憑き物でも落ちたかのように尊大な態度が消え失せていました。
腕をへし折られ気絶した彼が目覚めたときに感じた物はかつてないほどの解放感でした。元々は平民貴族関係なく話し掛けるような性格だったのですが、それを良くないと思った父に厳しく抑圧されて育てられ、心の内ではやりたくないと思いつつも父の後を継ぐために貴族ムーブをこなしてきました。楽しそうに走り回る平民の子を羨みながら、父の教えが貴族として当然であると思ってきた彼にとって、奔放すぎる彼女の様は強烈でした。そして起きてすぐ、平民だと思っていた彼女は大貴族の御令嬢、それも完璧だと称賛されていたアンジェリーク・フォン・ザクセンだと聞かされた事でリヒャルトの今までの価値観は完膚なきまでに破壊されました。
公爵令嬢が平民が着る服を着て、鬱陶しいという理由で男の腕をへし折る。貴族としての立ち振る舞いなど全く気にしない、下級貴族ならともかく最上級の貴族の御令嬢は抑圧された彼の心にとってあまりにも強烈すぎる光だったのです。
価値観の全てを焼き尽くされた彼の心は抑圧によって常に感じていた苛立ちが消え去り、抑圧される以前の穏やかな心を取り戻していました。
そんな彼が最初に行ったのは突っかかってしまった少年に謝罪する事でした。リヒャルトの変わりように少年は目を剝いて驚いていましたが、素直に受け取って以後は友人として過ごしています。
ローザとミコトに向かって一礼したリヒャルトは、顔を上げると言いました。
「さあ、僕を罵って下さい!」
「本当に気持ち悪いですね」
「はぁああああ!!」
くねくねと喜ぶリヒャルトを女性二人は気持ち悪そうに見ていました。強烈すぎる解放感で彼は解放してはならない物まで解放してしまいました。
「先生はよく毎回相手にしますね」
「気持ち悪いだけで特に害がないですからね」
アンジェリークと出会って三年、害のある犯罪者を間近で見続けたローザの精神は鍛えられ、変態如きでは動じないほど太くなっていました。
スゲえとミコトが尊敬のまなざしを向けたところでアンジェリークと皇子が教室に入ってきました。
「アンジェリーグッ!!」
挨拶をしようとしたリヒャルトの腹にアンジェリークの拳が突き刺さりました。リヒャルトは驚愕と恍惚の入り交じった表情で崩れ落ちました。
何事もなかったかのように皇子は空いている席に座り、アンジェリークは黒板の前に立ちます。リヒャルトは腹部を押さえながらいつの間にか座っていたハットリ君の隣に座りました。
「さっき学園長からお姉様が実家に帰ったまま戻ってこないと相談されまして、それで連れ戻しに行こうと思うのですが、一緒に行きたい人はいますか?」
いきなりの言葉にローザとミコトが顔を見合わせていると、皇子がスッと手を上げました。
「帝都から出たことが殆どないからな。行く機会があるのなら何処へでも行きたい」
皇子が自由に動きすぎだろとミコトは思いました。だからと言って止められるとは思えないのでミコトは何も言いません。
ハットリ君が一縷の望みを託してローザを凝視しています。アンジェリークと皇子が自由に動くなど胃がいくつあっても足りません。
「二人が行くのであれば私も行きますが」
ハットリ君が肩をがっくしと落としました。自動的に行くことが決定です。
「僕も行きますよ。ザクセン領を見て回れる機会なんて滅多にありませんし」
リヒャルトも手を上げました。ザクセン領は帝国でも裕福なので領地経営を少しでも学びたいと思ったのです。派閥が違う上にシュトローマー領から遠いのでこのチャンスを逃したら次はいつ回ってくるか分かりません。
「……それなら私も行きます。卒業後に行くことにはなるでしょうし」
ゆるりとミコトは手を上げました。卒業直前の魔王復活で未来は不鮮明ですが、紙作りのための視察はしておきたいと思いました。ゲームは魔王を倒せば終わりですが、人生は魔王を倒しても続くのです。
全員行くという決定にアンジェリークはニッコリと笑いました。
「では早速行きましょう。馬車は準備してあります」
「え!? あの、先触れはしてあるんですか?」
思わず叫ぶように言ったハンゾウにアンジェリークは当然だとばかりに言いました。
「しませんよ、先触れしたらお姉様が逃げるかもしれないじゃないですか。全く、いい年して登校拒否とか恥ずかしい」
「登校拒否……?」
聞き慣れぬ言葉にハンゾウとローザが首を捻りました。学校教育が平民にまで行き渡っておらず、なおかつ貴族の面子のためにイジメが社会問題化していないためそれに関する言葉も殆ど存在しないのです。
「登校拒否って、大貴族の御令嬢がイジメられるわけがあるまいし」
「イジメられるわけないでしょう。だから恥ずかしいんですよ」
話の通じるミコトとアンジェリークが会話を続けます。出身地方が違い、なおかつ平民と貴族という身分差があるにも関わらずやたらとツーカーな二人に他の四人は怪訝な表情を向けます。
「とにかく、実家に話が行く前に行きますよ! ほら、急いで急いで!」
「いや、急に言われても」
「着替えとかの準備はちゃんとしてありますから大丈夫!」
アンジェリークは有無を言わさない勢いで皆を追い立てました。
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