第22話 うわキッショ殴ったろ!
試験の結果、ターニャは騎士になることができました。正確には騎士見習いですが。騎士として最も重要な戦闘能力は騎士相当ですが、法令や礼儀などといった騎士として活動するのに重要な部分を学ぶ必要があります。騎士見習いをすっ飛ばしたアンジェリークのような存在が異例なのです。
かなり大柄とはいえ女性であり、顔立ちも整っているターニャを男の群れに放り込むわけにもいかないので当然宿舎はアンジェリークと同じ、部屋は隣になります。
「これは実は男の為の措置だったりするんですけどね」
「え? そうなんですか?」
アンジェリークの解説にローザは素っ頓狂な声を上げました。同じテーブルを囲んでいるクララやターニャも驚いたようにアンジェリークを見ています。ターニャの入団が決定し、隣の部屋に来たその日にアンジェリークが歓迎会だと言ってお茶会を開いたのです。お茶会などしたことのないターニャはかなり戸惑いましたが、拒否する理由が見当たらないため緊張しつつも参加しました。
ターニャは試験後に副団長からアンジェリークには注意するようにと警告を受けていました。悪い奴じゃないがヤバイ奴で騎士としては絶対に手本にはならないと。納得いってないターニャに、貴族だから気をつけろよと副団長は言い換えました。話を聞き入れないなと判断したからです。貴族、と言う言葉にターニャは少し頭を冷やしました。
「騎士見習いというのは環境の変化でストレスが溜まる上に禁欲生活で発散も難しいですから、隣で美人が寝ていたら我慢できずに手を出してしまうなんてことは十二分に考えられます。そういう事件を防ぐには最初から隔離してしまうのが一番です」
「騎士ならそんな欲求ぐらい我慢してほしいものですけど」
「ターニャ、欲求を我慢できれば冒険者でも男女混合パーティが恋愛を原因に崩壊なんてことは起きません。特に若い人は」
アンジェリークの指摘にターニャはああなるほどと頷きました。ちなみにターニャは基本ソロでたまに臨時メンバーとしてパーティに参加していました。なのでパーティ内のゴタゴタを何度も直接目にしており、ゆえにソロを心掛けていました。
「だから別に個室であることを後ろめたく思う必要はありませんよ」
騎士団本部の居室は一応二人部屋が基本な作りですが、もう一人がいないためターニャは一人で使っています。
「同期はともかく、先輩を差し置いて個室というのは……」
困ったようにターニャは言いました。先輩というのはもちろんアンジェリークのことで、最初は様付けで呼んだためアンジェリークがそう呼ぶように言ったのです。なんせ、隠しきれない、というか隠す気すらない貴族臭をアンジェリークはぷんぷんさせていますから。
「私、というか家には事情がありますから。だからローザが同じ部屋なんですよ」
メイド付きのあからさまに貴族な女騎士に同じ部屋の祓魔師、どう見ても面倒そうな事情があるようにしか見えません。ターニャはスッと視線を反らしました。冒険者として養ってきた危機感が触るべきではないと警告してきたのです。
「どんな事情かそんなに聞きたいのなら特別に教えてあげても「いえ、大丈夫です」
いいこと思いついたという笑顔でとんでもないことを言い始めるアンジェリークにターニャは食い気味に言いました。試験の時の真面目な態度はなんだったのかとターニャは溜息をつきました。
「そういえば、冒険者をされていたのですよね? 具体的にどういう仕事をされていたのか聞いてみたいのですが」
「えっと、そうですねぇ……」
クララの出した助け船にターニャは慌てて乗り込みました。貴族相手にそんなことしても良いのかと不安は過りましたが、今までの反応からして問題ないと無理矢理納得します。
「私は商人の護衛が多かったですね。個人からキャラバンまで色々と。キャラバンは基本的に他のパーティと合同でした」
「パーティを組んでいたのですか?」
「決まったパーティは組んでいなかったです。臨時で組んでダンジョンに潜ることもありましたね」
冒険者の言うダンジョンとは魔物等の存在する建造物のことで、広義で言えばアンジェリークの攻略した黒の森の砦もダンジョンだったりします。
「最初の頃は薬草毟ってこいとかドブさらいとかみたいな仕事ばっかりでしたけど」
「本当に色々やるんですね」
「私は初っぱなから賞金首でしたよ」
「え!?」
ターニャは素っ頓狂な声を上げました。
「いきなりそんな仕事受けさせてもらえるはずないですよ!? というか冒険者やってたんですか!?」
「受けさせてもらえるというか、コルクボードに貼ってあったの受けたんですけど」
「依頼の難易度とか確認しなかったんですか? 星の数書いてありましたよね?」
「気にしてなかったです。適当にいくつか見繕って写しを取ってそれ持って現場に向かいました」
「何をやってるんですか!? 死ぬ気ですか!?」
半ばキレ気味のターニャが冒険者ギルドの説明を始めました。冒険者にランク制度があるのは自身が達成できそうな依頼を分かりやすくするためです。星一つなら星一つの冒険者、星二つなら星二つの冒険者、というようにです。もちろんパーティ前提の依頼もあり、その最たる例が賞金首であり、最低難易度でも星五つになります。星五つの賞金首は星五つの冒険者パーティとなるので大体五つ星冒険者が五人ぐらいが目安となります。ちなみに、黒の森の賞金首は七つ星、つまりは表示できる最高難易度で本当の難易度は青天井になります。
「以上です! わかりました……か……?」
凄い勢いで説明をしていたターニャは最後の最後で顔を青くして震え始めました。年下とはいえども騎士の先輩、そしてなにより貴族のお嬢様に上から説教をしてしまったことに恐怖を覚えたのです。
ターニャに対比するようにアンジェリークはにこにこと微笑んでいます。ターニャにはそれが本心の微笑みなのか、それとも怒りから来るものなのか分かりませんでした。
「初心者のためにそこまで熱意を持って話せるなんて、ターニャは真面目で素晴らしいですね。冒険者としてしっかりやっていたのが良く想像できます」
「アンジェを普通の貴族だと思うと疲れますよ。少なくとも理不尽に怒る事はありません」
ローザの言うとおりであるのは頭では理解出来るのですが、長年の貴族に対する考え、簡単に言えば触らぬ貴族に祟りなしという考えは簡単に変えられません。
今後付き合っていかねばいかないし良い人なのは模擬戦の時に分かっているから頑張って慣れよう。ターニャは強い決意を抱きました。
帝国騎士にとって剣とは特別な武器です。自らの身を守る武器であり、儀礼等で騎士の証として使われる重要な物であり、神話に登場する信仰の証の一つが剣だったりします。そんな剣ですから、帝国騎士は剣を十全に扱うことを求められます。ゆえに、騎士見習いが最初に習うのは剣の扱い方になります。
「ここにいる新人で過去に剣を扱ったことがある人は手を上げてください」
台の上に立ったアンジェリークがニコニコと笑顔で言いました。ターニャの周りにいる見習い達は、台の横に立っている騎士と比べてあまりにも浮きすぎているアンジェリークに困惑しながら様子を伺うように周りを見ています。アンジェリークの実力を知っているターニャはすぐに手を上げました。ターニャに合わせるように見習い達もぽつりぽつりと手を上げます。
「ハイ、じゃあその人達は今まで学んできたことを全部忘れてください。新しい剣術をあなた達に教えます」
騎士団は新人教育に出してはいけない最終兵器を投入しました。ターニャは騎士団の正気を疑いました。
この暴挙にはもちろん理由があります。一つ目は単純に人手不足です。アンジェリークがスラムで暴れた結果、騎士団は上を下へとてんやわんや、帝都の守りを担っている第一騎士団だけでは手が足りず、帝都周囲のパトロールをメインにする第二騎士団、危険な魔物を主に狩る第三騎士団の力を借りてなんとか回している状況なのです。
二つ目に今の騎士団で薬丸自顕流が流行っているのが理由です。実戦的で模擬戦で強さが証明されていて多くの騎士が習得に励んだため教えられる人間が多く、ゆえにこの世界では元祖たるアンジェリークが主任教官として教えることになりました。前世からくるアンジェリークの指導力も理由の一端です。
最後の理由としてローザが関わってきます。現在、ローザの治癒術は教会でもずば抜けているため指導を求める声が多く、その中には枢機卿が混じっているほどです。教会からの要請を無視するのも難しく、ザクセン家との兼ね合いもありアンジェリークとローザはセットで運用する必要もあります。騎士団は苦肉の策として現場での技術指導を提案したのです。
台の上に立つアンジェリークを多くの見習い騎士達が胡散臭そうに見ていました。ターニャは阿呆だなと思いつつも、模擬戦を見ていないんなら仕方がないかとも思いました。そして、あの容姿は反則だなぁとも。華奢な少女にしか見えないのでそれを剣の指導者として仰げというのは難しいでしょう。
アンジェリークはそんな新人達を見回すと頷いて言いました。
「よし! 私に勝てると思う人は前に出なさい!」
ギョッとしたように騎士がアンジェリークを見ます。そして窺うように離れて見ている副団長を見ます。副団長は問題ないと頷きました。それと同時に十数人の修道女や神父を引き連れたローザがアンジェリークに近寄っていき、なにやらボソボソと話し始めました。
見習い騎士の中から一人が前に出てきました。見習いの中でも大柄で、明らかにアンジェリークを見下していました。
その見習い騎士にターニャは見覚えがありました。帝都の冒険者ギルドで何度か声をかけられたことがあったのです。名前は覚えていませんが三つ星の冒険者で、いずれ騎士団長になると豪語していました。
人を性的な目で見つめてきて鬱陶しく腹の立つ男でした。今はただ、彼の境遇に憐れむばかりでした。
教官から気の毒そうに木剣を渡され、肩を叩かれた見習いは緩く構えます。対するアンジェリークは見習いに向かって一礼すると、鞘から剣を抜くような動作をしたのち、振り上げるように上段に構えました。
「キィィィェェェェエエエエエエ!!」
猿叫と共にアンジェリークは駆け出しました。一瞬で詰めたアンジェリークは木剣を振り下ろします。見習いはなんとか防御のために木剣を構えることができましたが、木剣は無慈悲にも木剣を持った前腕に振り下ろされました。
「ぎぃあああああ!!」
見習いは腕を押さえて転がりました。その太い腕からは骨が飛び出していました。見ていた見習い騎士達はあんぐりと口を開けています。教官もうわっと顔を顰めていました。
「何やってるんですか? 治療してください」
アンジェリークはローザの隣にいた初老の修道女に言いました。呆然としていた修道女は慌てて見習いの側に駆け寄ります。しかしその腕をしっかりと視認した途端に固まりました。尺骨と橈骨がどういうわけか別方向から飛び出ていたのです。
例の笑顔で塗り固めたローザがアンジェリークに近寄ります。
「アンジェ、いきなりそれは難しいです」
「あ~、そんなレベルなんですね。分かりました、すいませんが抑えてください」
アンジェリークは教官二人に呻く見習いを押さえつけるように指示を出しました。そして上腕を踏み付け、折れた腕を強引に伸ばして骨を皮膚内に戻しました。あまりの激痛に新人はゲロをまき散らしています。一見酷い行いに見えますが、開放骨折のような治癒の難しい怪我の場合は損傷箇所の位置を元の状態にした上で治療するというのはマニュアル通りだったりします。アンジェリークのように悲鳴など聞こえないかの如くグイグイやるのは戦場ぐらいですが。
「これで大丈夫ですかね?」
「大丈夫でしょう。では枢機卿、こちらを見てください」
治療とはいえあまりの所業に顔を青くしている修道女、枢機卿にローザは本を開いて見せています。本には腕の構造が解剖図付きで詳しく載っています。
「破魔を腕に集中運用して怪我の具合を確かめ、この図を参考に治してください。多少個体差がありますのでその辺は上手く調整してください。そして笑顔を忘れずに、あなたの顔が患者の見る最後の顔かもしれないのですから」
治癒術の手解きをしろという教会からの要請にローザは困り果てていました。アンジェリークと組むようになってのびた治癒術の腕は間違いなく帝国一であるという自信はありましたが、その腕を手に入れるまでの工程はあまりにも邪道、ゆえに軽々に応じることもできませんでした。ちゃんと伝えられるように教科書を作っていると返答しても催促され続け、ぶち切れたローザは文句を言わずに言うことを聞くことを神に誓うことを条件に実習という形で授業をすることにしたのです。
先輩だろうが親代わりだろうが枢機卿だろうが容赦なく誓わせ、結果として涙目の青い顔で笑顔の初老の枢機卿に手作りの教科書を突き付けて治療を強要する若い祓魔師という図ができあがったのです。
周囲の皆がドン引きしている中、唯一ニコニコと笑ってその様子を眺めていたアンジェリークが手を叩いて周囲の注目を集めました。
「はい、こんな風に怪我をしてもちゃんと治してもらえます。だからみんな怪我を恐れずに頑張りましょう! では部屋ごとに集まってください」
アンジェリークはそう指示を出し、予定していたとおり教官が戸惑う見習達を纏めて指導を行います。
人を兵士にする上で最も面倒なのは人を容赦なく殴れるようにすることです。それは地球よりも暴力に溢れるこの世界でも変わりなく、地球ほどでないにせよ人を傷つけることに忌避感は湧きます。アンジェリークは一切忌避感など感じませんでしたが、知識としては知っていました。
では、忌避感を和らげさせるにはどうすればよいでしょうか。それは実際に人を殴らせるにかぎります。見習い達は簡単な指導の後、受ける側と殴る側に別れて攻撃し合うことになっています。殺意の高い薬丸自顕流なので当然怪我もするでしょう。怪我をしたら実習を受けに来た教会関係者達が治してくれます。アンジェリークとローザの考えたこの指導体制に、アンジェリークは騎士団に良し教会に良しの素晴らしい関係だと喜び、ローザもしつこい相手に痛い目を見せることができると喜びました。
周囲が訓練を始める中、ルームメイトのいないターニャはキョドっていました。放置され不安になっているところにアンジェリークがやってきます。
「ターニャは別メニューです。五つ星の実力ならそれを伸ばした方がよっぽどいいですから」
騎士団に来る元冒険者というのは基本的に三つ星ぐらいまでです。騎士になりたい者が実績を積むのに冒険者というのがちょうど良いから利用されるのです。四つ星になるような者は安定よりも自由を求めているのです。
「ターニャは誰かに剣を習いましたか?」
「えっと……村の元冒険者のじいさまに習いました」
冒険者として金を稼ぎ、体力が落ちてきたので引退して村に引っ込んだという、冒険者としてはいっぱしの成功者と言える人物でした。村でも防衛の要として重宝されていましたが、経歴ゆえに怯えられてもいました。ターニャが怯えもせずに懐いたのが嬉しかったようで熱心に指導してくれました。
「型とかは習いましたか?」
「ん~……組み手が多かったと思いますが……」
「独学をそのまま教え込んだんですか……変な癖が付いています。まずはそれを修正しましょう。木剣を上段から振り下ろしてください」
アンジェリークに従い振り下ろします。
「素振りは常に相手を意識するように。少し力が入りすぎているのでリラックスして……握りはもう少し開きましょう。で、こうです」
「……ん、振りづらいんですけど」
「体が変な振り方で歪んでいるからです。意識して振り続けてください。でないと元の方に戻るので」
ターニャは違和感を感じつつも素振りを続けました。
「剣というのはただ殴ればいいわけじゃありません。刃が通るように振らなければ上手く切れません。力で強引に叩き斬ることはできますが、それよりも体に型を教え込ませてしっかりと切った方が当然ですが強いのです」
アンジェリークはターニャと同じように構えると、素振りをしました。ただただ軽く振った、そうとしか見えないにも関わらず引き込まれるような綺麗な素振りにターニャは目を奪われました。
「剣を振る、というそれだけの動作ですが奥は深いです。動きから無駄を省けば速さが増すだけではなく動作の起こりも認識させづらくなります。認識できなければ反応も一瞬遅れるのでその分有利になります」
言われながら自身に向けて木剣を振られ、首元に突き付けられるまで反応できずにターニャは衝撃を受けました。木剣の動きも見えていたのに避けることも受けることもできなかったのです。実戦であればまた違ったでしょうが、突き付けられたという事実は変わりません。
「人の体には個性がありますから必ずしも型通りが最も効率的だとは限りません。しかし、大枠では同じなので型の動きが基本にはなります。今後、ターニャはその型を基準にして体に合うものを探っていってください。おかしかったら私が指摘しますから」
ターニャはアンジェリークの剣術、それ以上に指南に感嘆していました。理論的で分かりやすく、目標が明確でやる気が出る。剣術も指導も十三か四ぐらいの少女とは思えません。実際、剣術も指導も前世があってこそですが。
「先輩の剣術はご実家で習ったんですか?」
「いえ、古代文明の剣術書が元です」
アンジェリークは前世知識を古代文明で片付けることにしました。下手に嘘を吐くと面倒という理由からです。
「…………」
ターニャの目が尊敬から胡散臭いものを見る目つきへと変貌しました。古代文明というのは一般的に都市伝説ぐらいにしか思われていませんから当然の反応でしょう。
「古代文明は存在します。私はそれで強くなりましたから。それに証拠は今度見せてあげます。今はとにかく剣を振るのです」
まあ、確かに強いしなとターニャは無理矢理納得すると素振りを始めました。
訓練場に見習い達の呻き声が充満し始めた頃、一人の騎士が現れました。メイドと何故か私設の護衛を従えたその騎士に気付いた教官がうわっと顔をしました。副団長に話し掛け始めたところでターニャがその騎士に気付きました。
「なんですかアレ」
「いわゆる貴族枠のアレです」
「ああ、アレが……」
「アレはどうでもいいのでこっちに集中してください」
ターニャは現在素振りをそこそこに終えて流れるような型を教えられていました。短い素振りに疑問を抱きましたが、飽きて集中力が切れたら意味がないと言われそんなものかと納得しました。周囲の見習達も素振りから受け攻めに別れての練習に変わっていました。実力主義の騎士団にアンジェリークの教育は即座に浸透していったのです。十三歳、女子、小柄という条件で騎士に真っ正面から勝利した上に教育は実に理論的、反発もありましたが第一騎士団の団長副団長が即座に取り入れ、特に副団長が鬼の如く教練を開始したため反発は吹き飛びました。
アレはどのみち自分には関係ないかとターニャは訓練に集中を戻しました。アンジェリークの指摘を受けているとアレがニヤニヤと近付いてきました。嫌な予感を感じていると、訓練中にも構わずすぐ近くまで接近し、顔を無理矢理アレの方へ向けさせられました。
「今晩私のところに来い」
アンジェリークがアレの腕を木剣でへし折りました。アレが情けない悲鳴を上げました。
「な、きさ」
アンジェリークは咄嗟に剣を抜こうとした護衛の足に木剣を突き刺し、背後へ回って腕を掴んで投げました。肩、肘の関節を逆に曲げられながら投げられた護衛は腹から打ち付けられ、顔面を強く打って動かなくなりました。呆然としていたメイドが悲鳴を上げました。
慌てて治療に入ろうとした神父にアンジェリークは護衛だけ治すように指示を出します。
「き、きさま! 私が誰だか分かっているのか!」
「はい、知ってます。ポラック家の三男のカールですよね」
素直に答えたアンジェリークにアレは絶句しました。そして周囲の教官に向けて叫びます。
「おい! この餓鬼をどうにかしろ!」
教官は白けた顔で聞き流していました。現状、多くの騎士にはアレよりも団長と副団長から目をかけられているアンジェリークの方が立場は上だとみられています。実体はどうあれ自由なアンジェリークは上層部に気に入られているようにしか見えません。
「なんの騒ぎだ?」
そこにひょっこりと皇子が現れました。この皇子、訓練にこっそりと混じって教官と見習いを困らせていたところをローザに発見されました。教科書でポコポコ叩かれながら説教されていたのですが、アレの起こした騒ぎに気付いてこれ幸いと説教から逃げてきたのです。
皇子の登場にアレが目を輝かせました。
「殿下! そこの平民は事もあろうに青い血を侮辱し序列を乱そうとしております!」
「……序列?」
皇子は不思議そうに首を捻りました。
「具体的に何があったのか聞かねば判断のしようがない」
「アレが訓練の邪魔をしてきたので成敗したのです」
「それだけじゃ流石にあそこまでやらんだろう」
「ターニャに触りながら今晩来いなんてことを言ったのです」
喚くアレを無視して二人は会話を進めます。
皇子が出てきた辺りで息を殺し気配を消していたターニャは、唐突に話を振られてビクリとしました。
ふむ、と皇子は頷きました
「正直に言ってみろ」
「あまりにも気持ち悪かったので殴りました」
わめき散らしていたアレが絶句しました。真っ正面から気持ち悪いなどと言われた経験がなかったのでしょう。ターニャは吹き出しそうになったのを必死に耐えていました。
「そんなにか」
「唐突にいきなり抱かせろですからね。良い男ならグッとくるかもしれませんが、アレに言われても気持ち悪いだけです。ターニャからしたら耐えられない程気持ち悪かったと思いますよ」
「なるほどな。例えばだが、お前は誰なら許せる?」
「副団長ならいいですね」
周囲で聞き耳を立てていた教官と見習い達が一斉に副団長を見ました。離れたところで気にせず訓練をしろと指示を出していた副団長は突然の注目に困惑していました。
「じゃぁ、私が言ったらどうだ?」
アンジェリークは皇子の頬を張りました。アレはあんぐりと口を開け、教官と見習い達も絶句しました。
「容赦ないな」
「口説き文句としては最悪です」
「なるほど、張られるだけで済むのは私とお前との仲だからか。え~っと……」
「ポラック家の三男のカールですよ」
「ああ、カールよ。まず口説き文句を学び直すといい」
皇子に半笑いで言われ、抗議をしようとしたところでアンジェリークが顔面に蹴りを入れて意識ごと沈黙させました。
「しつこい男は嫌いです」
「お前は意外と好みが厳しいな」
「話は終わりましたね」
皇子はスッと現れたローザに襟首を掴まれ引きずられて行きました。アンジェリークは青くなっているメイドにアレを持って帰るように指示を出すと、ターニャに訓練を再開するように促しました。
一部始終を見ていた見習い達は騎士団の女に逆らってはいけないということをしっかりと学びました。
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