第21話 新しい女
「……ところで、お前は何処まで知っている?」
ため息をつくように言ったのは銀髪で浅黒い肌を持つ壮年の男、フェルディナント・カロリング、聖カロリング帝国現皇帝です。皇帝がいま居るのは皇帝のプライベートな部屋の一つ、特に親しい人間しか入れないこぢんまりとした部屋です。皇帝のテーブルを挟んで前に座っているのはザクセン公爵家当主、ヴィドゥキント・フォン・ザクセンです。公爵はキリリと胃が軋むのを覚えながら言葉を振り絞ります。
「呼ばれてすぐに来たからな……正直言えば、娘が騎士団を巻き込んでかなりのお転婆をやらかしたとしか分からない」
「お転婆、お転婆か……クックックック」
愉快そうに皇帝は笑いますが、眼が一切笑っていません。
「品行方正な子だと噂で聞いていたんだが?」
「九ヶ月ぐらい前まではそうだったよ」
公爵の頭に盗賊の砦を潰して帰ってきたアンジェリークの姿が蘇ります。あの時は持っていなかった生首も思い出の中ではチラつきました。
皇帝が投げ捨てるようにテーブルに紙の束を投げました。読んでみろという皇帝の視線を受けて手に取り、最初の数行で胃が拗くれるように痛みを放ち始めました。公爵は慌てて胃薬を飲み込み、気合いで読んでいきます。
紙には要約すると以下の事が書いてありました。
・ビューロー元伯爵がエルフを軟禁しているという情報を得た騎士団がアンジェリークとローザを元伯爵の元へと派遣。その際に偶々近くに居た皇子も一緒に同行する。
・元伯爵と共犯らしき執事を殴り飛ばしたアンジェリークは軟禁されていたエルフを連れてその場から逃走。理由はエルフと帝都で遊ぶため。
・ローザは慌てて騎士団へと通報に向かう。皇子はアンジェリークを追跡する。すぐに皇子の前にアンジェリークが現れ、皇子を言いくるめて共犯に仕立てあげる。
・アンジェリークはエルフの境遇を大々的に宣伝しながら大通りの店で金を撒くようにして買い物を行う。金は元伯爵の屋敷から強奪してきた物を使用。この辺りでエルフも楽しんでいたようだという証言を確認。
・騎士団が即座に駆けつけるが、都民達がアンジェリーク達の味方に付いたため逃げられる。三人は大通りから繁華街へと移動。
・騎士団と共にアンジェリークを追っていたローザが突然行方不明になる。繁華街でアンジェリーク達と合流していることが確認される。
・帝都を二日かけて一周した四人は最終的に手に入れた馬車三台に土産を積み込み、七つ星冒険者を数多く抱える冒険者クラン『鋼の竜』を護衛にエルフの里へ帰る準備を整えたところで騎士団が捕まえる。
・『鋼の竜』に第三騎士団を護衛に加えた大所帯でエルフは里へと送られる事になった。四人は別れを惜しみ手紙のやり取りを約束していた。
読み終えた公爵は投げやりにテーブルの上に紙の束を投げました。
「面白い冗談だな」
「ハットリの情報だぞ」
皇帝はワインを入れたグラスを公爵に渡します。受け取った公爵は上等なワインを味わうこともせず一気に飲み干します。
「随分とお転婆な娘に育ったものだな」
「そうだろう? 間違いなく世界一だと言える」
皇帝のジョークに公爵は投げやりに答えました。
「で、俺を呼んだ理由はなんだ? 娘に対する罰でも相談する気か?」
「お前を呼んだのはお前の息子の言い分が信用できなかったからだ。よく分からないけど突然おかしくなったとか信じられるか、どうやら本当のようだが。お前の娘には罰どころか褒美を与えるべきか悩んでいるところだ」
「なに?」
理解出来ないといった様子の公爵に皇帝はワインを一気に飲み干して投げやりに言います。
「俺の息子はお前の次女の影響で勉強に身を入れるようになり、自主的に騎士に交じって真剣に訓練するようになった。エルフは誘拐の全容が判明した時は関係が崩れるかと思っていたが、子供を帰した後に誘拐は一部犯罪者による物で貴国に責はあっても関係が変わることはないと返事が来て、さらに誘拐された子が誘拐される前よりも元気で明るく社交的になった、持たせてくれた品もとても助かると感謝された」
皇帝は疲れたとばかりにため息をつきました。
「……お前の娘ってなにを贈ったら喜ぶ?」
「……メチャクチャをやったことと相殺にしろ」
公爵は頭を抱えました。アンジェリークのような無茶苦茶なやり方でも成果が出れば褒美が与えられる、そのような前例が出るのが問題なのです。かといって成果を出しているのに褒美なしというのも問題です。なので相殺が最も無難な手段ですが、その場合は成果を出した人間が不満を持つ可能性があるわけです。アンジェリークはザクセン公爵の次女ゆえに不満を持たれても困ると皇帝は悩んでいたのです。
「アンジェリークは相殺でも気にしない。そしてアンジェリークが騎士団にいることはごく一部の人間しか知らないはずだ」
「……そういえばハットリが隠蔽工作に手を貸しているって話を聞いたな」
公爵家と皇室は力が大きい分バランス取りが難しいのです。公爵と皇帝が結束していても二人が率いている人間はそうではありません。無視できれば良いですが、率いている人間とはすなわち二人の力そのものなので蔑ろにするわけにはいかないのです。だからこそ皇帝はアンジェリークへの褒美に悩んだのですが、本人が相殺で問題ないのであればこれ以上悩む必要はありません。
「アイツはハットリ家にまで迷惑をかけているのか……」
「取引はハットリから言い出したと聞いている。騎士団、魔法戦闘団、ハットリ家で諜報協定のような物を結んでいるようだぞ」
疲れたように頭を抱える公爵に皇帝は気の毒そうな目を向けます。
「で、今日お前を呼んだのはアンジェリーク嬢について情報を摺り合わせて今後について話し合う為だ」
騎士団に入ったのだから家など関係なく一騎士として扱ってもらう、というザクセン公爵家の教育方針は分かっていてもアンジェリークは異例中の異例過ぎるため話し合いが必要だと皇帝は判断しました。
皇帝が情報を摺り合わせたいというのであれば公爵にも異はありません。すでにアンジェリークの事はバレてしまったのですから隠すよりも情報収集の方が有益です。騎士団と魔法戦闘団とハットリ家による諜報協定も気になります。息子がどう関わったか辺りが。
「わかった、とは言っても俺は領内に居た頃しか知らんがな。ところで、アンジェリークは今騎士団でどうなっている?」
「今は……ちょうど入団試験だから手伝いに出てるはずだぞ」
「……アンジェリークを呼んでこい」
第一騎士団副団長ヘルマンの言葉に、二十代後半ぐらいの騎士は顔を顰めました。
「あの、本気ですか?」
「規則は規則だ……それにアイツは教練が上手いのは知ってるだろ」
「…………すぐに呼んで来ます」
騎士はチラリと哀れみの視線を向け、その場を走り去りました。
ヘルマンは目の前で不動の姿勢をしている騎士団候補者の女を睥睨します。身長は175㎝ほどの大柄で結構な美人、体格は服で隠れていて分かりませんが鍛えているのは覗えます。ヘルマンの視線で女が一瞬緊張したのを確認して手元の資料を見やります。
ターニャ、十七歳。シュンツェル辺境泊領出身。五つ星冒険者。七つある冒険者の階位で上から三番目、しかもギルドから取り寄せた経歴を見るに純戦闘職です。十七歳で五つ星は男であろうともかなり優秀、女であればなおのことです。まず間違いなく身体強化も使えるでしょうから騎士と戦わせても互角に渡り合うでしょう。
アンジェリークが来るまでこのまま立たせておくのもなんなのでヘルマンは何を喋るか悩みつつ口を開きます。
「まあ、見て分かるだろうが次の試験は模擬戦だ。本来は候補者同士でやるんだがお前にはこちらが用意した相手とやってもらう」
「男と同じ扱いで構いません!」
ムッとした様子でターニャが言いました。反応は予想通りです。
「女に負けられるか、なんて奴はどこにでもいる。それで無茶して取り返しの付かない怪我をする、なんてことが過去にあったからそうなっている」
「怪我は」「怪我は承知の上だろうが、試験でそんな怪我をされても困るのは騎士団だ。無意味に候補者が減る。お前みたいな奴は全員食って掛かるが対応は変わらんぞ」
不服そうなターニャを見て、そういえばアンジェリークは文句一つなかったなとヘルマンは思い出しました。
「お前の相手は去年入団した女騎士だ」
「……私以外にもいるのですか」
「女騎士になりたいなんて奴は毎年数名いるぞ」
毎年いても書類審査で大半が落ちるだけですが。騎士の訓練に付いていくために女騎士というのは最初からある程度の実力を求められるのですが、それだけの実力があるのであれば騎士になるよりも冒険者として生きた方が稼げる上に自由だからです。何かしらこだわりでもないと女騎士になりたい実力者なんていないのです。
そんな話をしているとアンジェリークがやってきて、副団長の隣に立ち敬礼をします。後ろにローザも付いてきて、何故か騎士団の制服に身を包んだ皇子も付いてきています。
何故皇子がいるかと言えば監視が理由であり、何故監視されているかと言えば騎士団入団試験を一般枠で受けようとしていたからです。ローザが発見して副団長が止めるほどの勢いで説教をしました。
「副団長、参りました」
「おう。用件は分かってるな」
返礼をした副団長にアンジェリークは頷きました。ターニャはギョッとしたようにアンジェリークを見ています。当然でしょう、最近は十二分の運動と大量の食事のおかげで多少成長してきたとはいえ、アンジェリークはどう見ても華奢な幼い少女なのですから。
「お前の判断で合否は決めていい。やる前に資料は読んでおけよ」
「はい」
「え!? あの、その子と模擬戦をやるんですか?」
ターニャのセリフにアンジェリークは当然とばかりに頷き、副団長はターニャを哀れみました。
「帝国騎士団に女騎士はアイツしかいないからな。女の相手は女騎士がやることになっている」
「木剣は好きなのを使って良いですよ」
アンジェリークは副団長に読み終えた資料を返すといつもの太刀に近い長剣を選び、ターニャも同じ長剣を選びました。アンジェリークはそのままごく自然に試合用の枠へ向かったのでターニャも付いていきます。
ターニャは当惑しつつもアンジェリークに対面するように立ち、アンジェリークが頭を下げたのを見て慌てて下げます。
本当にあんな子供と試合をさせるつもりなのか、とターニャが思っているとアンジェリークは鞘から剣を抜くような動作をして、構えることなく自然体に手を下げました。特に緊張することなくリラックスした様子でニッコリと、親しい友人と話しているかの如く笑いながらターニャを見ています。
「もう始まってますよ」
困惑するターニャにアンジェリークは言いました。ターニャは慌てて構えて、ふと苛立ちを覚えました。何故指導されるような形になっているのだろうかと。
見たところ一二か三歳ぐらいの少女、身体強化ができたとしてもたかが知れているしどう考えても実戦経験は自分の方が上。見た目や立ち振る舞いからしてどこぞの貴族っぽいしそれが理由で副団長はあんな眼を向けてきたのかも知れない。貴族の娘に付き合わされるなど哀れだなぁと。彼女の後ろから専属っぽい治癒士も付いてきているし。よし、ここは貴族の地位が通用しない世界がある事を教えてもいいだろう。
ターニャはそう考え、戦法を決めました。冒険者稼業で編み出した、乱暴な技です。貴族が習うような綺麗な剣術には効果てきめんなのは経験で知っていました。
上段に構え前進します。そして上手く地面を蹴り、顔に向けて土礫を飛ばしながら切り込みます。しかし、実戦のような力も速度も乗せません。あの可愛らしい容姿を傷つけるのは躊躇われたのです。
次の瞬間、ターニャの指に激痛が走り木剣を取り落としました。右手の甲がへし折られて骨が裂けて飛び出し、指も数本折れていました。見れば少女の木剣は剣先が血で濡れています。
「実戦なら死んでますよ」
先ほどと変わらない笑顔で言われ、ターニャは背筋にゾッとしたものを覚え、次に強い羞恥と憤りを感じました。今自分が彼女に対してしたことは、普段男達にやられて嫌なことそのままではないかと。自分がどう見られていたのか、男達は自分を見てどう思ったのか、嫌な奴だと思っていた男達と同じ事をしていた自分、それに反発していた自分と特に気にも留めていない少女。瞬時に考えが巡り、目の前の少女よりも自分が幼いという事実に気付いたのです。あまりの恥ずかしさと自分への憤りで穴を掘って籠もってしまいたいと思いました。
「もう大丈夫ですね。続けますよ」
そう言われてこの怪我でまだ続けるのかとギョッとし、次に手の痛みが消えていることに気付き、右手を確認して驚愕のうめきを上げました。完全に治っていたのです。ふと気付けばすぐ側に治癒士がいました。何度か握り開きしても違和感のない右手に「そんなばかな」とターニャは呟きました。
治癒術というのは完璧ではありません。怪我の状況によっては後遺症が残ることもあります。冒険者の経験から己の右手の怪我は治癒が難しいだろうと思っていたのですが、それが気付かぬうちに治されていたのです。治癒士に上手い下手があるのは知っていたけど上澄みとなるとここまで凄いのかとターニャは感動を覚えながら木剣を掴み直しました。
「大変失礼致しました! 胸をお借りします!」
ターニャは綺麗に礼をすると、今度は全力でアンジェリークに斬りかかりました。アンジェリークはそれを半身で避け、切り返しの一撃も受け流し少し距離を取りました。女で五つ星になった実力は伊達ではなく、無駄のない動きにアンジェリークは感心しました。
アンジェリークは高速で繰り出されるターニャの剣を避け、流し、弾いていきます。とても候補者の試合とは思えない凄まじい攻防に、前回とは違う意味で注目を集めています。候補者はその剣技の速度に驚き、騎士達は洗練された剣技に感心しています。単純な戦闘力としては騎士と同等以上の水準でしょう。
無駄のない綺麗な剣技、最初に使ったダーティな技も体格でゴリ押すようなこともターニャはしません。最初の数手でアンジェリークの反射神経が尋常でないことに気付き、強引な手は簡単に避けられると判断したのです。
攻防は体力切れで僅かな隙ができたターニャの隙を突いてアンジェリークが喉元に木剣を突き付けて終わりました。
「ありがとう……ございました」
「ありがとうございました。模擬戦は合格です」
ターニャは肩で大きく呼吸しつつ頭を下げました。アンジェリークも返礼をします。そしてターニャは再度頭を下げます。
「先ほどは失礼しました」
「気にしてませんよ。みんな油断してくれるこの外見は結構気に入ってますから」
軽く言ったアンジェリークの一言にターニャは目が点になりました。ターニャにとって冒険者生活で最も腹立たしかったのは女というだけで舐められたことです。冒険者として活動を始めてすぐはもちろん、四つ星、五つ星になっても舐めてくる馬鹿が多くて辟易していました。女としてはかなり体格の良いターニャですらそうなのですから、目の前の少女はどうしたって舐められるでしょう。実際、ターニャも舐めたのですから。
舐められることを油断してくれるという利点と捉える考えはターニャには全くなく、自身の今までをひっくり返すような大変な衝撃でした。自身の腕に自信があり、舐められることは屈辱的であり不利益でもあったためそんな発想は当然なかったのです。しかしながらその発想は、利用できる物は全てを利用する冒険者の考えに実にマッチしていました。どうせ容姿は変えられないのだから利点として捉えた方が気持ちもいいです。
「あなたの名前は……アンジェリークでよかったですか?」
「はい、そうですが」
「騎士アンジェリーク様、失礼します」
ターニャはアンジェリークに近付くとひしっと抱きしめました。流石に抱きつかれるとは思っていなかったためアンジェリークも驚きました。
「実は私、可愛い子が好きでずっと抱きしめたいと思っていたんです。冒険者の時はずっと我慢してましたけど」
そう呟いてターニャはアンジェリークを離しました。
「確実に試験に合格してアンジェリーク様の部下になれるように頑張ります」
何もかも解決したような、太陽のような満面の笑みを浮かべてそういったターニャは副団長から資料を受け取って筆記試験の会場へと向かいました。
少々驚いた様子の副団長の隣にアンジェリークは並びます。
「凄い才能でしたね。騎士ユリアーネの再来ですよあれは」
騎士ユリアーネとは初代皇帝の右腕として名を馳せた女騎士で、元シュメリング公爵家の始祖です。公爵とよばれるよりも騎士と呼ばれることを好んだという逸話があるため今でも騎士ユリアーネと呼ぶのが一般的となっています。現在、騎士団の募集で男女が問われないのは彼女の存在が理由です。
そんな伝説の女騎士の例えを出すアンジェリークに副団長はなんとも言えない表情を向けました。
「お前がそれを言うのか……」
「私は騎士ユリアーネとはかけ離れてますし」
騎士ユリアーネは大柄で、性格は真面目で誇り高かったと伝えられています。小柄で口先を駆使し自身の容姿を利用するアンジェリークとはかけ離れてはいます。
「分かってるんなら倣え」
「倣うぐらいなら騎士を辞めます」
とても現役の騎士とは思えないアンジェリークのセリフに副団長は大きく溜息をつきました。
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