第12話 殺せ! 殺せ! 殺せ!
騎士の市中警邏というのは基本的には犯罪抑止の見回りです。日本で言えば町中を走るパトカーです。なので基本的に軽装ではあるのものの騎士らしい格好をして町中を歩き回るのが仕事です。厳しい副団長により躾けられる第一騎士団は規律正しいこともあり都民に人気があります。
アンジェリークとローザの任務も市中警邏ですが、前述の市中警邏とは全く違うものになります。私服で歩いてまわり通常の市中警邏から隠れるようにして行われる犯罪を見つけ出すのが目的です。一番近い例えを出せば潜入捜査でしょう。そうなった最大の理由はアンジェリークが騎士の格好をしたところでコスプレした子供にしか見えないからです。その場合、バディであるローザは修道服を着ることになるので余計に意味不明な二人組になります。
そういう訳で市中警邏の日は二人は私服で帝都をブラつくのがお仕事になります。いろいろな通りを歩き、適当な店で食事をし、そしてまた冷やかすように歩き回ります。時には情報収集もかねて夜の酒場に顔を出したりしますが、基本的には朝出て晩には終わりで残りは自由時間です。報告書の作成などはアンジェリークが行うため就寝までローザは自由です。
やるべきは居室の掃除ぐらいです。本来なら廊下やトイレの掃除もあるのですが、やろうとするとクララが睨みつけてくるため居室の掃除だけです。仕事はスリの指が折れたりスリの指が折れたりスリの指が折れたりする時以外は遊びに出ているようなもの、教会よりも広い部屋で自由時間も多い上に給与まで出る好待遇にローザは罪悪感を抱いていました。特に、出向の際に神父や上役のシスターから守ってやれなくてすまないと散々心配されたあげくなので余計に罪悪感がありました。
折れた指を治すぐらいしかしていない罪悪感を誤魔化すため、ローザは自主的に市中警邏で拾った噂を纏めるようにしていました。
「薬物の売買に誘拐らしき行方不明、盗賊ギルドに暗殺ギルド……割と帝都も治安が悪いんですねぇ」
カフェのテラス席で手帳を見ながらため息を吐きました。手帳にはビッシリと文字が刻まれています。手当たり次第に纏めているので荒唐無稽な噂まで入っていますが、おそらく事実であろうという話も結構あります。
ローザは帝都在住ということもあり犯罪に関する噂も結構耳にしてはいましたが、いざ手帳に纏めてみるとあまりの多さにゾッとしました。こんな危ない街に住んでいたとは思ってもいなかったのです。
「帝都は人が多いですからねぇ。物流の中継拠点ですから入ってくる人も出ていく人も多いので治安は仕方がないですよ」
帝都は政治の中心というだけではなく、東西を流れる運河を中心に発展した商業都市でもあります。馬車を主力にした交通網の中心でもあるため帝国における人の流れ、物の流れ、金の流れの中心地でもあるのです。
「まさかスリがここまで多いとは思いませんでしたが」
「わざと狙われるような歩き方してるからでは?」
帝都に初めて来た良いとこのお嬢さんのようにキョロキョロと周りを見ながら歩いているアンジェリークは、スリにとって餌にしか見えなかったでしょう。骨折を癒やす術の練度が僅かに上がったのがやるせなかったです。
「しかし、真面目ですね。そんなビッシリ纏めるなんて」
「いえまあ、お仕事ですから」
罪悪感を紛らわすための代償行為とはいえず、ローザは気まずい思いで言いました。アンジェリークはサンドイッチを上品に食べ終わるとローザにニンマリと笑みを向けます。
「では、真面目なローザに応えて午後からは頑張ってみましょうか」
「気合いを入れずに普通に頑張りましょう」
アンジェリークの笑顔から嫌な予感しか感じ取れませんでした。
「あの、やめておきませんか?」
いざ征かんと足を踏み出したアンジェリークにローザが言いました。アンジェリークが足を踏み出した先、治安が悪いと言われる通りを越えた先にある、騎士ですら近寄らない無法地帯、帝都の闇、スラム街です。
物心つく頃から帝都に住んでいたローザはスラム街のことは常日頃から言い聞かされており、近くの貧民地区へ炊き出しに出向いた時もスラムにだけは近付くなと口酸っぱく言われていました。
初めて直に見るスラムは空気の重苦しさが異様で、まさに別世界のようでした。貧民地区を通るときに感じていた視線もスラムに近付くにつれて減っていきました。
「スラム街も帝都ですから、警邏対象ですよ」
「でも誰も来てないですよね?」
「行かなくてもいいって言われてますからね」
スラム街は大変面倒な地域です。最貧地区でマフィアの本拠地があるだけでなく、貴族の黒い噂も流れる場所です。自己防衛のために避けることが暗に推奨されているほどです。
「まあまあ、観光みたいなもんですよ」
「スラム街は観光地じゃないんですが……」
「黒の森に比べれば観光地みたいなもんですし」
例え帝国最悪のスラム街と言えども、比喩でない魑魅魍魎が跋扈する黒の森に比べれば観光地というのは間違ってはいません。比べるのが間違っているのです。そして、アンジェリークにとっては遊園地ですが。
「私、帝都に来たら一度スラム街に来てみたかったんですよ。ほら、うちの街ってスラムみたいな場所ないですから。いやー、しかしここからでも酷い臭いが漂ってますね! すごいスラム感がいいですね!」
「この人本気で観光気分だよ……」
ウキウキと周りを見回しながらスラム街へと入っていったアンジェリークの背中にローザはぽつりと呟きました。
「まあ、いざとなれば僕が安全な方に誘導するよ。アンジェからはあまり離れられないけど」
「いざというときはよろしくお願いします」
魔法で姿を消したたかしに頭を下げたローザは、頬を叩いて気合いを入れるとアンジェリークへと続いていきます。ローザは自身の求められる役割を理解していました。妙な好待遇もこういう時の為の報酬だと思うことにしました。
なにより、スラムは危険ですがここでローザ一人になるのはもっと危険です。スラムほどではないとはいえ、治安の悪い場所を通らねば教会にも戻れないのです。第一騎士団の団長と副団長からアンジェリークの側にいるのが一番安全だから逃げるよりもとにかく側にいるようにと言われてもいます。慌ててアンジェリークに近付いて手を握りました。アンジェリークはいきなり手を握られたことに少し驚きましたが、喜ばしいことだったのでさらに機嫌を良くしました。
「あ、あそこで屋台やってますよ。マズそうですね! 多分営業許可とか取ってないでしょうけど食べますか?」
「いや、食べませんよ。お昼食べたばかりじゃないですか」
睨む店主から目を背けつつ、ローザはアンジェリークの半歩前に出ます。スラムで先導をしながら歩くのは恐ろしいですが、アンジェリークの好きにさせるよりはマシだと思ったのです。
ニヤニヤと見つめてくる男達を避けながらスラムを歩くと、不自然にできた行き止まりに突き当たりました。戻ろうと振り返ると、ニヤニヤと見つめてきていた男達が道を塞ぐように立ちはだかっています。男達はそれぞれナイフや棒などの武器を手にしていました。
はめられた。ローザが気付くと同時にアンジェリークがローザを守るように前に出ました。
「私は第一騎士団所属の騎士です。今すぐその場から退散しなさい」
アンジェリークの警告に男達は大声を上げて笑いました。それも当然で、アンジェリークの得物は例の良く斬れる白鞘、太刀という文化のない帝国においては収められた状態では曲がった木の棒にしか見えません。つまり、小綺麗な服を着た可愛らしい少女が木の棒片手に騎士だと主張しているようにしか見えないのです。
「笑わせてくれるな嬢ちゃん! お前が騎士なら俺は騎士団長様だ!」
「私は騎士です。貴方達は騎士を囲み武器を突き付けている意味がわかりますね?」
「だったらどうした?」
あ、アリバイ作りしてるのか、とローザはアンジェリークの執拗な問いかけの理由を悟りました。
アンジェリークの姿がローザの前から消えて男の前に移動しました。その時点ですでに刀が抜かれていました。突如現れたアンジェリークに驚き目を見開く男を無視してアンジェリークは隣の男に斬りかかりました。同じように驚いていた隣の男は斜め下から振り上げるように斬られ、上半身が内臓を飛び散らしながら宙を舞います。
「て、てめ!」
無視された男がアンジェリークに掴みかかろうとして膝をつきます。驚いたように足下を見た男は絹を裂いたような悲鳴を上げました。
「俺の! 俺のが! 零れ! アアア!」
男の腹から内臓がこぼれ落ちていました。男はこぼれ落ちた内臓を拾い上げて腹に戻そうとしながら突っ伏し、そのまま事切れました。男が騒いでいる間にも他の男が斬られていきます。
突如始まった殺戮劇にローザは固まっていました。教会出身であり治癒も行えるため人が死ぬのを見るのは初めてではないのですが、元気な人から内臓が飛び出したり上下に分かれたり首が飛んだりするのを見るのは初めてでした。覚悟はしていましたが、ショックは大きかったのです。
反撃をする間もなく男達は殺されてゆき、最後の一人が慌てて武器を捨てました。
「降参する! 降参だ!」
「なに!? 降参……降参だと!?」
降参という叫び声にローザの精神は引き戻されました。これでもう犠牲者は出ないと安心しているとアンジェリークが男の腹をぶん殴りました。男は悶絶してその場に崩れ落ちます。
「なにをしているんですか!? 武器を捨てたんですよ!? 降参って言ってましたよね!?」
「聞こえませんでした!」
「自分で降参って言って驚いていたでしょう!?」
真顔で言ってのけたアンジェリークにローザは詰め寄ります。
「降参した相手を殴るとか騎士としてどうなんですか!」
「まぁまぁ、仲間を殺されているのになんの抵抗もせずに投降した根性に腹が立ってしまったんです」
「嘘だぞ。興を削がれたからだぞ」
ローザの耳元でたかしがボソリと言いました。ローザもそんなところだろうなとは思いました。
「それにですね、私達を捕まえて如何わしいことをしようとしてたんですよ。こいつら、ローザを捕まえて手籠めに」
アンジェリークは男の腹を蹴り上げました。膝ぐらいの高さまで蹴り上げられた男は地面に頭をぶつけて完全に動かなくなりました。
「なんで今蹴ったんですか!」
「いや、ローザを汚そうとしていたことに腹が立ちまして」
アンジェリークは俺の女に色目を使いやがってという理由で腹を立てていました。完全にローザを自分の物認定しています。
男を睨めつけていたアンジェリークはふと気付いたように男の喉元に手を当てました。
「あ、こいつの心臓止まってますね」
「え!?」
「ふん!」
アンジェリークは男を仰向けにすると鳩尾当たりを殴りました。殴られた男の体がショックを受けたようにビクビクと強く痙攣しました。
「鼓動回復よし!」
「下がりなさい! これ以上この人に何かしたら法が許しても私が許しません!」
指さし確認をしているアンジェリークの前にローザが立ちはだかり、夜叉のような形相で言い放ちました。もう抵抗はできないなと判断したアンジェリークは素直に下がりました。ローザは破魔の術の応用で男の体を診ます。
「肋骨は折れてるし内臓も出血……間に合う……間に合わせる」
怪我を確認したローザは急いで治癒術を施していきます。それを見ていたアンジェリークは遺体の一つをローザの目の前まで引きずってきました。何をしているのかとローザが問おうとしたところでアンジェリークは遺体の胸を裂きました。そして骨と内臓をむき出しにしていきます。
「……なにをしているのですか?」
「内臓出血はともかく骨折は見本があった方が良いかと思いまして。ほら、前の方のこの辺りとか骨じゃなくて軟骨なんですよ」
遺体を損壊させることに何の呵責も抱いていないアンジェリークにローザは戦慄しました。降伏が聞こえなかったと誤魔化そうとした時の真面目ぶった表情ではなく、見るからに善意でやっています。
そんなアンジェリークを見てローザの頭には治癒士の先輩の言葉が思い出されました。
『治癒士はどんな状況でも笑えなければならない。決して患者が不安にならないように、治るのだと信じさせなければならない』
ローザは元々治癒士志望です。才を磨きに磨いて祓魔師となりましたが、心構えは未だに治癒士です。ローザは男の治癒を続けながら目を瞑り、そして無理矢理笑みを浮かべました。そしてアンジェリークが裂いた遺体を参考に男を治しました。
ローザは笑顔のままアンジェリークに向き直り、堅い口調で問いかけます。ローザは治癒士として知る必要がありました。場合によっては、不敬になろうともアンジェリークから離れようとも思いました。治癒士として、譲れないものを思い出しました。
「アンジェ、あなたは人を殺すのが好きなのですか?」
人を斬っている時のアンジェリークはとても楽しそうに見えました。人を殺す、もしくは暴力を振るうことを目的としている人とどういう理由があろうとも長くはいられないと思ったのです。
「人を殺すのは別に好きじゃないですよ。斬るのが好きだから斬ります。斬れば結果的に死ぬだけです」
アンジェリークは何でも無いように言い、そして首を捻りました。前世を思い出してすぐは人を殺してみたい、斬ってみたいという衝動があったのは事実ですが、今はそれが殆どない事に気付きました。
「いえ、違いますね。うん、別に斬ることそのものが好きなわけじゃないです。私の剣術がちゃんと通用するのか確かめたいんですよ」
「……十分通用しているように見えますが。それこそ、黒の森にいた頃から」
「今は通用するからと言って今後もそれが続くとは限りません。鍛錬に終わりはありませんから。ローザの治癒術や祓魔術もそうでしょう?」
自身に例えられたローザはアンジェリークの問いかけに一瞬躊躇し、頷きました。殺人術と比べられるのは心外ですが、鍛錬に終わりはないという言葉には頷けたからです。
「木剣での鍛錬や型の繰り返しで人は強くなります。ただ、それが本当に実戦で通用するのかは実戦でなければ確かめようがないです。特に私の剣術は私独特の技術ですから、本当に通用するのかは不安が残るんですよ。だから、実際に斬って確かめたいですし、上手く行けばそれは楽しいです」
今回の戦闘で言えば最初の一撃が確かめに当たります。居合いといえば誰もがイメージする鞘から抜きつつ斬る技、抜打ちです。手足の短いアンジェリークだと引っかかりやすい上に力業になりやすいのですが、上手く斬ることができました。
前世の色々と便利な体と違い制限が多い体ですが、それを創意工夫で上手く活用していくのがとても面白いとアンジェリークは感じていました。前世の知識と今世の知識をフル活用し、新しい体で新しい技を練り上げていくのがたまらなく楽しかったのです。ゆえに、実戦という形で技の成果を確認したいのです。
「だからですね、殺人を楽しむ異常者と思われるのは心外ですよ。殺しても問題にならない相手を選んで斬ってるぐらいですし」
そこまで聞いて、ローザはようやくアンジェリークが武の探求者であると理解しました。いくら帝国の武の化身であるザクセン公爵家とはいえ御令嬢に生まれて武を探求するに至ったのかが不明ですが、少なくとも教会の祓魔師共よりはマシだと思いました。男達を斬る前にキチンと二回警告したアンジェリークは、少なくとも法を守ろうという意思が見受けられます。法を破ってでも己の探究心を満たそうとする祓魔師よりは善良です。
で、あるならば。犠牲者を減らすには、こうするのが一番だと、ローザは思い、口にしました。
「殺すのが目的じゃないのであれば、今度からできる限り殺さないようにお願いします」
「殺さないようにですか……いいんですが、ローザの身に危険が及ぶ可能性が……」
「殺してしまっては私の治癒術の鍛錬ができません」
ローザがそういうと、アンジェリークはハッとしたように目を開きました。
「ローザは治癒術を鍛えたいのですか」
「元々は治癒士志望なんですよ」
「分かりました! できるだけ殺さないように心がけます!」
アンジェリークは遺体の散らばるスラムの町中で輝くような笑顔で言いました。ローザは遺体の散らばるスラムの町中でアンジェリークに微笑みかけます。
「分かってくれたようで嬉しいです」
「もちろんですよ! 道は違いますけどお互い高みを目指しましょう!」
アンジェリークはローザの高い志に感動して惚れ直しました。ローザはこれから目の前で繰り広げられて行くであろう惨劇に陰鬱し、犠牲を減らす為に成すべきを成す覚悟を決めました。二人を上空から見ていたたかしは、まともだと思っていたローザにアンジェリークと同類であるという疑惑が持ち上がり、強い不安を覚えました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます