第11話 這い寄る混沌
買い物を終え本部隊舎に戻ったころにはローザは疲れ果てていました。体力がではなく、精神が、ですが。買い物自体はとても楽しかったのです。ローザも二十歳にも満たない若い娘であるがゆえに着飾ることには大変興味があるのです。私の買い物だからと次から次へと買い漁るアンジェリークに最初は胃を痛めましたが、中盤から開き直って何も考えずに楽しむことにしたのです。破れかぶれとはこの事かと、頭の片隅で冷静に考えながらですが。
結局、服はローザの血の気が引くほどの量を記憶することすら拒否した金額で購入しました。隊舎の居室のクローゼット何十個分だろうという衣服をどうするつもりかと思っていたら帝都にあるザクセン公爵家の別宅で保管するとの答えを得ました。アンジェリークがついでに別宅に顔を出したいと言ったのでローザも付いて行きました。
別宅では正に執事といった老人に出迎えられました。ロルフと名乗った老人はお嬢様があんなに無邪気な笑顔を見せるのは実に久しぶりだと喜び、これからもお嬢様と仲良くして欲しいとローザに頭を下げました。社交辞令で答えたローザは、帰りにロルフが代々ザクセン家の執事長を継ぐ子爵家の元家長だと聞いて血の気が引き、胃がキュキュキュッと縮こまるのを感じました。
ローザが胃薬を買い忘れたことを悔やみながらアンジェリークと共に居室へと戻ると、見覚えのあるメイドがそこにはいました。
「お帰りなさいませお嬢様、ローザ様」
「クララ、なんでここに?」
「お嬢様がこちらに居を移したからでございます」
ローザはクララが公爵家でずっとアンジェリークの側に控えていたことを思い出しました。御付きのメイドとか実在したのかとローザはカルチャーショックを受けていました。人一人を世話するために専用の人がいるなどローザの常識では考えられません。そしてこの短期間で騎士団本部に御付きのメイドを送り込んでくるザクセン家の行動力に驚嘆していました。まさかアンジェリーク対策として騎士団が受け入れたとはローザは考えませんでした。
「家との連絡役?」
「そのお役目も承っておりますが、主は今まで通りお嬢様のお世話になります」
「あ、それいらないよ。私、騎士だから自分の事ぐらい自分でやらないとダメだし」
アンジェリークがキッパリと言うとクララの目から急速に光が消えていきました。
「私は……お嬢様にとって……もはや不要……?」
「そんなことは無いと思いますよですよねアンジュ」
「不要ってことはないよクララ」
何もかも抜け落ちたようなクララの形相にローザとアンジェリークは慌てます。アンジェリークは身の回りのことぐらい自分でやるから楽できていいでしょぐらいの気持ちで言ったので、予想外の反応に戸惑いました。御付きのやることは意外と多岐にわたるので大変だというのは知っていたからです。
「アンジュ、騎士になったからって貴族の付き合いとかなくならないでしょう?」
「あ、うん。お茶会とかも最低限は出ろって釘刺されてますしね。そこはクララが助けてくれないと私が困ります」
社交界デビュー前とはいえども付き合いというのは存在します。具体的に言えば同じ派閥で年の近い子との交流は重要な案件です。信じがたいことですが、アンジェリークも自由にさせてもらっているという自覚はあったので最低限はやるつもりでした。あんまり縛ってくるようなら裸一貫で家を出るつもりですが。
クララの目に光が戻ってきました。ローザとアンジェリークはホッと息をつきます。
「普段のお世話は必要ないのですか?」
「騎士としての当然のたしなみだもの」
「貴族枠……」
「あれと同じ事やったらお父様が激怒する」
皇帝直属の騎士団とはいえど政治というのは絡んできます。具体的に言えば騎士団に入って箔を付けたいけど真面に騎士をやる気が無い貴族による圧力です。その辺の男爵子爵程度なら試験の時に平民と並ばせるだけですが、侯爵クラスともなるとそれは難しいのです。なので騎士団には公式には存在しない貴族枠というのが存在するのです。
ふだん住む場所も隊舎から離され、従者等も連れ込めます。基本的な訓練はさせるものの一般騎士のような厳しさはありません。指揮訓練に不幸な一般騎士達が付き合わされたりします。当然、能も無いのに偉そうなので忌み嫌われます。
騎士になるなら当然だよなぁと愛娘を若い男達の寝床に放り込むことすら当然とするザクセン公爵ならば、子供が貴族枠と同じ事をしようものなら問答無用で縁を切りかねません。
「では仕方ありませんか……」
「あなたが妥協する側なんですか……」
仕方がないとばかりに頷いたクララにローザが疲れたようにツッコミを入れました。
「私、ちょっとクララの件を確認してきますね。私の側付きがどういう状況にあるのか私が知らないのはダメですからね。お父様とは話は付いているんでしょうけど」
アンジェリークは二人を残して部屋を出て行きました。それを確認したクララがローザに頭を下げました。
「先ほどは私のために助力して頂きありがとうございます」
「いえ、お気になさらず。アンジェは愛されているのですね」
「ええ、屋敷の者でお嬢様を嫌う者はおりません」
クララはキッパリと断言しました。よほどアンジェリークの事が好きなんだなぁと思いつつ嘘ではないだろうと思っていました。戦闘に関する事柄さえなければ貴族として良いかどうかはともかくとして好かれる人柄ではあります。帝国のナンバー2とも言えるザクセン公爵家の御令嬢とは思えないほど気さくで親しみやすい為に、ローザも貴族相手だということを忘れて否定的な意見を言ってしまって後で青くなるぐらいです。
「良いお人柄ですからね。良い人過ぎて私には少々怖いほどですが」
「ローザ様をお嬢様に近付く不逞の輩だと思っていつ消すかと考えておりましたが、今回の件をもって判断を保留することに致しました」
ああ、主従共々頭おかしいんだなとローザは今後の生活に不安を覚えました。
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