第10話 カキタレじゃなくマジタレにしよう
騎士団への出向話を聞いたとき、ローザは思わずスラングを呟くほどに悲観しましたが、落ち着いて考えればそれほど悪くないんじゃないかと思いなおしました。
まず、アンジェリークは苦手ではありましたが嫌いではありません。そもそも、苦手とする第一の原因はアンジェリークの公爵令嬢という立場です。ド平民であるローザにとって貴族など雲上人であり、その中でも最上位たる公爵家の御令嬢。何故好かれているのか分からず、ゆえにいつ機嫌を損ねてしまうか分からずどうにも苦手でした。機嫌を損ねたが最後、今まで教会で頑張ってきた全てが無駄になってしまうのではないかと不安だったのです。
実際のところ公爵家とはいえ令嬢如きが教会の内政に口を出せるはずもないのですが、孤児であり教会で育てられてきたローザには政治というのがいまいち理解出来ませんでした。帝都で広まる貴族の黒い噂も不要に怯える原因でしょう。
アンジェリークの奇行も不安ではありましたが、よくよく考えれば同僚の祓魔師の奇行に悩まされるよりはマシだろうと思いました。少なくとも、アンジェリークは一人しかいないからです。
大分前向きになったところで出向の詳細を聞き直しに行きました。ローザは教会から通うのだと思っていたのですが、騎士団の宿舎へ住み込みになるのだと判明しました。
つまり、生まれて初めて住居を教会から移す事になります。教会の外に住むというのは憧れはありましたが、それが騎士団の宿舎になるとは思ってもおらず、不安と希望を抱えて引っ越し当日を迎えました。
少ない荷物を手に第一騎士団本部へ向かうと騎士団専属のメイドに案内をされます。帝都の騎士団ともなるとメイドが専属で付くのかと新たな事実に驚きながらついていくと、本部の片隅に案内をされました。宿舎と聞いていたのにと疑問に思っているとメイドが説明をしてくれました。男女を同じ宿舎というのは規律的に宜しくない、しかし殆どはいらない女性のために宿舎を建てるのは現実的ではない、ゆえに女性が入隊した場合は本部の客間の一室が与えられるのだとのことです。
なるほど、と納得して扉を開けるとそこにはアンジェリークがいました。
なるほど、一人一室はそりゃないわなと、ローザは妙に素直に納得しました。
「すいません、誰かがいるとは思わなくて。今日から同じ部屋でお世話になります」
「はい! お待ちしてました!」
アンジェリークは満面の笑みで近付き、ローザの両手を握って喜びを露わにしました。本当になんでここまで好かれているのだろうとローザは疑問符を無数に浮かべました。いい女と同室だぜぐへへという下卑た理由だとは思いも寄らないでしょう。ナチュラルな直接接触はアンジェリークの見た目でなければ許されません。自身の容姿を全力で利用していました。
最初はカキタレにでもできたらいいなと思っていた程度でしたが、文通をしているうちに本気で欲しくなりました。まずは被っている猫が脱げるように距離を詰めていこうと考えています。この世界の教典にはソドムとゴモラは出てこないので同性愛者は迫害対象ではないのでチャンスはあります。
「たかし様はおられないのですか?」
「今日は外に出てます。なんか仕事があるらしいです」
「仕事、ですか?」
「ええ、詳細は聞いていないので何やってるかは知りませんけどね」
アンジェリークは興味が湧かなかったので聞きませんでした。上位契約結んでいるとはいえどそこは聞いとけよとローザは思いました。
ローザは空いているベッドの近くに鞄を置き、中身をクローゼットに仕舞いました。部屋は教会の共同部屋よりも広く、ルームメイトも一人だけなので随分と広くなったように思えます。元々客間ということもあってか備え付けのベッドや椅子や机も品が良いです。本当にここでいいのかとローザが心配になるほどでした。
「アンジェ様、お聞きしたい事があるのですが」
「アンジェ、です。バディになりますし、二人で市中警邏が主な任務ですから、様付けは止めましょう。」
「……努力します。アンジェ……その市中警邏のことで質問があるのですが」
「いきなり仕事の話は味気ないですが……いいですよ。私もおさらいがてら詳しく説明しましょう」
そう言ってアンジェリークは紙とペンを取り出しました。
二人の任務は市中警邏ですが、服装は制服ではなく私服になります。騎士の警邏は犯罪者が萎縮するようにと制服が基本なのですが、出向のローザに制服を着せるわけにもいかず、かといって女性騎士と修道女を並ばせて歩くのも異様なので私服ということになりました。一応、私服で警邏は如何なものかという意見は出たのですが、外見は小柄で可愛らしいアンジェリークが騎士の制服で歩いていたところで犯罪者に嘗められるだけだろうという意見が決定打となり私服に決まりました。
私服の女二人で何を警邏するのかといえば普段騎士が見れない部分を見てこいということだそうです。今まで存在した女性騎士とは違い一般的な少女に見え、なおかつチンピラに囲まれても問題ないアンジェリークは少女が狙われるような犯罪の囮捜査にうってつけでした。
「……私、必要なんでしょうか」
文字と図形で分かりやすく表記された説明文を読み、素朴な疑問が口に出ました。
「市中警邏は緊急事態でもないかぎりバディ行動が義務づけられてますからね。そうなると、ローザの名前が挙がるのは仕方ないですよ」
実際はアンジェリークとローザを問題なく組ませるためにこの市中警邏が考えられていますが。
「というわけでまずは服を買いに行きましょう」
アンジェリークはニッコリと笑ってそう提案しました。
「服ですか」
「見た限り私服が殆どなかったようですしね。仕事に支障をきたします」
「しかし、私は持ち合わせがあまりないのですが……」
「私が貸しますから大丈夫ですよ」
お金を借りる、ということにローザは抵抗を覚えました。教会の教育のおかげで借財というものに忌避感を感じるのです。
「私としては別にプレゼントでもいいんですが、そっちの方がローザは嫌でしょう?」
「う、そ、それは……そうですが……」
「もう一度言いますが、仕事に必要なことです。私達は町娘に扮装する必要がありますが、町娘といってもいろいろあるでしょう?」
そう、一言で町娘といってもいろいろいるのです。商人の娘に衛兵の娘、城からの使いに農村からの出稼ぎ。彼女達はそれぞれに服装が違います。
「犯罪者というのは無差別に人を狙っているわけではないです。奪う相手を絞って私達に見つかる可能性を減らしています。その調査のためにも幅広い層の格好が必要になるのです。ですから、服を揃えましょう」
「…………」
合理的な理由を突き付けられるとローザも反論ができません。とはいえ、教育という洗脳はなかなかしつこく纏わり付くもので、どのような名目であれ借金を背負うのにローザはどうしても抵抗が拭えません。
「そうですか……あ、じゃあ私が買ってきた服を着てもらうことになりますね」
「買いに行きましょう」
良いこと思いついたとニンマリと笑うアンジェリークを見てローザは覚悟を決めました。
「嫌ならいいんですよ?」
「いえ、そのままプレゼントと言われて服を渡されると本当に困りますので」
ローザは気付きました。アンジェリークは人に何かを与えることに喜びを覚える人だと。本人は恩返しのつもりなのだろうけど、返される側は多すぎるお返しに苦しむやつだと。
ローザの気付いたとおりアンジェリークはそういう性癖を持ち合わせていました。これは前世今世共通の性癖で、前世では凶悪な見た目とそれに反するストイックな生き方をしていたため女気がなく、ゆえに親や妹に色々買ってはプレゼントしていました。
今世では、公爵家から出したお金でプレゼントを用意するのも違うなと思い、刺繍やら編み物やらで作った物を親兄弟や使用人達に作っては配りを繰り返していました。親兄弟はともかく、使用人達は渡されたハンカチやら手袋やらをどう扱うべきか大変苦心していました。普段使いしてねと渡されはしたものの、アンジェリークが作ってくれた物を本当に普段使いするわけにもいかず、しかし普段使いしてねと渡されて使っているところを見せなければ悲しませてしまうのではないかと考えたのです。最終的はアンジェリークの問いにクララが「お嬢様から頂いた品はここぞと言うときに使って自慢したい」と答えた事からそれが使用人達の統一見解となりました。結果、普段使いできるようにと数を増やされたため使用人達は公爵に泣きつきました。
ローザが好かれる理由は分かりませんが、好かれているのは事実です。フリーハンドで行かせたら何を押しつけられるか分かった物じゃありません。数ヶ月で治安に影響が出るほど賞金首を狩ったのであれば、どれだけの資産を保有しているのか想像すらできないのですから。
「私に何かを渡すよりも教会の孤児院に寄付して頂きたいのですが……」
「私はあなたにプレゼントしたいんであって誰でもいいわけじゃありません」
アンジェリークは口をへの字に曲げました。
「その気持ちはありがたいのですが……正直申しまして、何故公爵令嬢であるあなたが私にそこまでして頂けるのか理由が分からずその……少々不安を感じるのですが」
「そうですね……まずは外見ですね。美人ですし、清潔なところが好きです。家の使用人達もそうですけど、汚れを感じさせない清潔感って凄い素敵だと思うんです。あとは努力家なところですね。その年で祓魔師って才能と血の滲む努力がないと無理でしょう? その上で努力を感じさせない謙虚なところとかとても好きです。私の理想のシスターそのままなんですよ。それに手紙とかでも字とかとても綺麗ですし内容なんかも」
「あ、ありがとうございます、もう分かりました」
ニコニコと笑いながら褒め殺しにくるアンジェリークにローザは白旗を上げました。顔に火照りを感じるほどの羞恥を感じていました。その姿を見てアンジェリークは好感度が上がっていることを確信して内心でほくそ笑みました。
「だからですね、綺麗な服を着てほしいんですよね。と言うわけで行きましょうか」
アンジェリークは羞恥で顔を背けているローザの手を取り立ち上がりました。
「はい? あの」
「私とは違って大人っぽい服とか似合いそうですし、楽しみですね。選び甲斐があります」
アンジェリークは前世で一度やりたかったことがあります。それは自分の女に良い服を着せて歩くことです。前世では凶悪な外見が原因で碌に女が寄ってこず、たまに寄ってくる女は碌でもなかったため機会がなかったのです。一度妹でやろうかと思ったら全力で拒絶され酷く落ち込みました。
今世では機会に恵まれました。逃すつもりはありませんでした。
「私も騎士と同じで外出は許可が必要だと聞いたのですが」
「外出の許可は取ってあるのですぐにでも行けます。生活に必要な物とか揃えなければいけませんからね」
アンジェリークは用意周到でした。ローザが来ると分かった時点ですでに準備を開始し、言葉巧みに二人分の外出申請を得ていたのです。
警邏とか関係なく服を買いに行くのが目的だと気付いたローザは抵抗を試みます。
「あの! 必要な分だけしか買いませんからね!? 余りにも過度な贅沢は信仰に反するので!」
「大丈夫です。ついでに私も一緒に購入するだけです。成長期ですし少し大きめのも買いますが」
アンジェリークは用意周到でした。過去の使用人へのプレゼントの反応から遠慮される可能性が高いと思っていたのでたくさん買うための言い訳をいくつか用意していました。
行くと言った手前、やっぱり止めるとも言えないローザは引きずられるようにして部屋を出ました。
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