思い出をもう一度。
雪花はいつもより早く目が覚めた。朝ご飯の用意に取り掛かる前に軽く身支度をする。化粧はどうせヘルメットを被るからいつもより薄くていいか、と手早く済ませた。冷蔵庫から牛乳を出して、缶詰のとうもろこしと一緒にミキサーにかける。ザルで漉して鍋にいれ、火にかける。三分の一ほど残しておいた残りのとうもろこしも忘れずに。少し温まってきたところでコンソメを加えるといい匂いが鼻をくすぐる。味を見ながら塩胡椒でバランスを整えればジャーン、簡単コーンスープの出来上がり。更にレタスとトマトの上にパルメザンチーズとお父さんが作ったドレッシングを合わせれば、朝食には十分な前菜になる。弱火のフライパンにバターをひとかけら。ゆっくりと溶け出したバターの上に昨日仕込んでおいたフレンチトーストを置いて少しずつ焼いていく。じゅわじゅわと焼けてくると、甘い匂いが漂ってくる。
「おはよぅ…」
「あ、鈴ちゃんおはよう。もう少しで朝ご飯の準備できるよ。」
「ありがとう。じゃあ私はコーヒー淹れるね。」
そう言って鈴河がコーヒー豆の瓶を取り、豆の量を計る。ポットを火にかけ、水に浸しておいたネルの水気を切る。仕事でもしている作業だからか、無駄がなく、流れる様な動作だ。
フレンチトーストを3枚焼き上げると、丁度鈴河もコーヒーを淹れ終え、父も起き出してきた。
「いただきます。」
3人とも食卓についてから食べ始めた。瑞々しくさっぱりとした野菜を口に入れると、同時にドレッシングの香ばしい香りが立ち上ってきて目が覚める。その後に口に運んだスープは温かくまろやかで、朝の冷えた体をゆっくりと温めてくれる。鈴河も美味しそうに飲んでくれている。よかった。
彼女の淹れてくれたコーヒーとフレンチトーストは相性抜群で、コーヒーの苦味とフレンチトーストの柔らかな甘味がじんわりと口内に広がっていく。少しずつ体が体温を取り戻し、思考がクリアになる。今日は父と直したバイクでツーリングに行く日だ。
食べ終わった後胸のどきどきを感じながら洗い物を片付ける。
「雪花、出発は9時からでいいかな?」
「了解。遅れないようにちゃんと準備しといてよ?」
少し時間にルーズな父はばつが悪そうに笑いながら自分の部屋に戻っていった。
「雪花ちゃん、後はやっておくから準備してきなよ。」
「ありがとう、鈴ちゃん。じゃあお言葉に甘えて。」
自分の部屋に戻ってバイクに乗る準備をする。シートバッグに財布やスマホなどの必需品を入れ、ツナギに足を通す。慣れない時は着にくくて時間をかけてしまっていたが、今では割とスムーズに着ることができるようになった。上からパーカーを羽織って荷物を持ち車庫に向かう。車庫に入ると、父が神妙な面持ちで母のものだったバイクに触れていた。
「いくよ!お父さん!」
2つのバイクのエンジン音が響く。唸る様な音を上げながら家の敷地を出る。父は久しぶりに乗るにもかかわらず、意外と順調そうだ。市街地を抜けていつも走っていた山道へ向かう。
父の慣らしがてらワインディングに入ったが難なくスムーズに乗れている様だ。雪花は少し安心して山の間を縫う道に入っていった。まだ桜が咲くとまではいかないが暖かくなってきたお陰で山にだんだんと鮮やかな緑が戻ってきている。自分たちが住んでいる街より色鮮やかな世界に触れ、なんだか視界がいつもより開けた感じがした。トンネルの中の冷たい空気も気持ち良いくらいだ。風に揺れる木々の葉と木漏れ日。それが照らす寂れた公衆電話BOXさえノスタルジーを感じさせる。次のカーブを出るとようやく空と海の青を視界に捉えた。まばらに建っている民家の間を道路が真っ直ぐに海まで伸びている。その道を行くと、海際の崖に沿うように続いていた。そろそろ休憩しようかと思っていると、自動販売機のある見晴らしの良い休憩スペースがあった。父にハンドサインを送り、スペースに入った。2人ともスペースの端の方にバイクを停めてヘルメットを脱ぐ。
「久しぶりに乗るから緊張したよ。」
照れたような顔で笑う父は心なしか嬉しそうだ。
「もう少しぎこちないかと思ったけど結構乗れてたよ。安心した。」
自動販売機で飲み物を買い、2人で海を眺める。
「あと1時間半くらいでカフェに着くね。お父さん、大丈夫そう?」
「あんまり年寄り扱いしないでくれよ。大丈夫さ。」
とカフェオレを飲みながら苦い顔で笑った。
1時間ほど走ると目的のカフェに着いた。
「思ったより早く着いたね。お陰でまだお客さんも少ないしのんびり出来そう。」
そのカフェは海を見下ろす傾斜にある建物で、遠目では分からなかったが近くで見ると、蔦が壁を這っていたり、扉は所々傷が入っていたりして、ここで過ごしてきた長い年月を感じさせるものだった。
「入ろうか。」
そう言って父がドアを開ける。店内はアンティーク家具で統一されており、少し暗めの店内をランプの温かな光が照らしていた。店の全てのものが今まで経てきた時間を感じさせるが、店内は驚くほど綺麗だ。父は真っ直ぐ窓際にぽつんとある席のほうに向かって腰を下ろした。それに私も続く。注文を済ませると気が抜けて疲れがどっと押し寄せてきた。微睡みながら父を見ると、店内を懐かしむ様な優しい目でじっと見ていた。
頼んでいたコーヒーで目を覚ましてサンドイッチをつまむ。サクッと焼いたパンの間からぎゅうぎゅうに詰められたレタスと肉厚のハム、とろけたチーズが顔を出す。サクサクとした食感の中にもとろける舌触り。美味しさにうっとりとしていると
「お母さんとよく来てたんだ、ここ。」
呟く様に父が言う。
「雪花ぎ生まれる大分前のことなんだけどね。」
「こんなところ知ってるならもう少し早く教えてくれても良かったんじゃない?」
「そうだね。お母さんが死んでから中々行きづらくて。ウチの経営もあったし。」
たしかに男手ひとつで父は面倒を見てくれていた。再婚する道もあったのに。
「けど雪花と鈴ちゃんがあのバイクを直してくれたお陰でようやく決心出来たんだ。ありがとう。また思い出と向き合わせてくれて。」
「ううん。こっちも連れてきてくれてありがとう。」
少し顔が熱くなったのを隠すかのようにサンドイッチを頬張った。
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