第6話
冬。雪が降りしきりあたり一面が白銀の世界になる。バイクに乗れない毎日は閉塞感で息が詰まりそうになり、先行きの見えない自分の将来と相まって私の悩みの種となった。
そんな時母から電話口に呼ばれた。
「鈴河、もしよかったら叔父さんのゲストハウスで働いてみないかって。」
「え?」
「冬の間だけでもどうかって。鈴河バイク乗れなくて暇でしょ?ちゃんと給料も出すって言ってるし、中々行かない土地で働いてみるのも悪く無いんじゃない?」
受話器を受け取り保留を解除する。
「もしもし?」
「こんにちは、鈴ちゃん。お母さんから話は聞いた?」
「うん。接客業の経験なんて学生のバイトくらいしかないけど大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。受付とかは僕がするし、基本は掃除や料理の準備を手伝って貰うつもりだから。無理強いはしないけど来てくれたら助かるな。」
「わかった。冬の間だけでも手伝うよ。叔父さんには昔から良くしてもらってるし。」
その日のうちに必要最低限の荷物を纏め、次の日の電車で叔父の所へ立った。
車窓から見える景色はただ白と黒の世界で遠くの景色はくぐもって見える。新たな始まりへの不安とまだ見ぬ世界への期待を胸に電車に揺られて進んでいった。
昼前になると1時間ほど駅に停車する様なので売店で食べ物を物色することにした。小さな売店だがお菓子や弁当、雑誌などが売っているので十分に暇潰しできそうだ。サンドイッチとお菓子を幾つか買ってホームに戻る。ホームの端まで行くと何処までも続きそうな電線と線路が真っ直ぐに伸びていた。古めかしい駅の中を歩く人は少なく、友人と楽しそうに語り合う老人たちや、冬休みに入り帰省する家族連れが数組いるだけだった。
「実家と比べてかなり寒いな…」
駅のホームは屋根で覆われているが、横から風が入り放題なので冷たい風が顔と手の体温を奪う。買い物を済ませて早々に暖房の効いた電車の中に引き篭もることにした。暖かな車内で座席に腰を下ろす。暖房のお陰で暖かく、乾燥した空気はなんだか眠気を誘う雰囲気だ。まだ道のりは長いから先に食事を済ませてしまおう。ビニール袋からサンドイッチを一つ取り出し包装を破く。サクサクにトーストされたパンに水々しくシャキシャキのキャベツと、香り高いがまろやかで優しい味のスモークチキンのサンドイッチ。長旅なので念のためにたまごサンドをもう一つ買っていたが、ボリューム満点でこれ一つでお腹いっぱいになってしまいそうだ。食べている最中にもふわふわの雪が静かに舞い落ちる。人の少ない車両の中にいると、まるで世界から切り離されて別の星に来ている様だ。昔みた映画で、雪山だらけの惑星に取り残された研究者がいたが、彼はどんな気持ちでその惑星に残っていたのだろうか。
再び電車が走り出し、雪の積もった街を後にして山間を進む。しなだれた木がこれでもかと電車に近づいたと思ったら数十秒後には開けた田んぼを見渡せる景色に会う。
「こんな所にも人の営みってあるんだな。」
見知らぬ土地に到達し、生きる場所を切り拓く人のエネルギーって何ですごいんだろう。普段ならそんな感慨にふけることはないが、見知らぬ土地にに来たせいか感傷的になってしまう。そんなセンチメンタルな気分も暖房の暖かさによって睡魔の中に泡の如く消えてしまった。
目を開けても未だに電車はガタゴトと走り続けていた。一体どこまで来たんだろう?スマホの位置情報で確かめてみると叔父の家まであと3時間ほどのところまできていた。ずっと同じ体勢でいたせいか、体の関節がゴキゴキという音を立てる。まだ少し寝ぼけた目を持っていたコーヒーで覚ます。流石に数時間似たような景色を見るのも飽きていたのでスマホで何か面白そうなものは無いかと探すことにした。仕事を辞めてからあまり世の中を気にしないようにしてきたが、癖でどうしてもスマホに手が伸びてしまう。世の中から目を背けてもただの現実逃避にしかならないが、何者でもない自分を自覚させられるようなものから逃げ出したかったのかもしれない。
SNSを見ると趣味やリア充、ゲームに不平不満、喜怒哀楽が大体同じバランスで入っている。昔から共感性がいまひとつ強くない鈴河だったが最近はことさらにそうなってきた。ロックスターならそろそろ死んでいる年齢で、世の中に呆れ果ててしまうのも無理はなかったのかなと思う。私はロックスターでもないけれど。このままダラダラと歳をとっていくのは嫌だ。もし何か人生にきっかけを掴めるならどんな機会にだって乗ってみせる。
駅につく10分前LINEの通知がなる。見るとそれは叔父からで、駅まで迎えに来てくれているとのことだった。駅につきようやく長い列車の旅が終わる。勢いよく電車から出ると故郷より遥かに冷たい風が肌を刺す。ただ空気はもっと澄んでいて心地よさも感じた。改札を抜けて正面の入り口から出ると
「鈴ちゃん!こっちこっち!」
と大きく手を振りながら叔父が呼んでいた。
「叔父さん!久しぶり!」
私もつられて大きな声で応える。
「ありがとう。迎えに来てくれて。」
「お安い御用さ。長旅で大変だったでしょ。あそこからここまで電車使っても大分遠いからなぁ。まぁ、今日は早く帰って長旅の疲れをとってよ。」
そう言って叔父は私の荷物をトランクに入れ、車に乗るよう促した。
ゆっくりと車が雪を被った街の中を通り抜ける。この辺りは雪が多い地域だが温泉資源が豊富なお陰で冬でも観光客が途絶えることは無いらしい。むしろ雪と古い街並みに灯る明かりのコラボレーションを目的に来る人も多いのだとか。車は温泉街のメインストリートから少し狭い道に入った町屋の群れの中に入っていく。
「ここだよ。」
叔父が車を止めたのは古くからある建物だがきちんと手入れの行き届いている町屋の中では少し大きめ、といった感じの家だった。
「僕は裏の車庫に車を入れるから。鈴ちゃんは正面から入っていいよ。お客さんのチェックインはまだだし、雪花が宿の掃除をしてるはずだから声をかけてみて。」
「わかった。ありがとう、叔父さん。」
キャリーケースをトランクから引っ張り出し玄関まで歩いていく。戸を開けると艶やかな木材が至る所に使われた趣のある光景が目に飛び込んできた。
「おじゃましまーす…」
ゆっくり戸を閉める。
「鈴ちゃん、久しぶり!」
「久しぶり雪花ちゃん。元気だった?」
「もちろん!久しぶりに会えると思って楽しみにしてたよ。折角大型の免許取ったのに一緒にツーリング行けないのは残念だけど。」
「雪花ちゃん大型取ったんだ!バイクも変えたの?」
「うん。後で見に来て!おっと、まずは部屋に案内するね!上がって!」
「あっその前にお土産渡しとくね。地元で買ってきた和菓子。」
「ありがとう!お父さんも和菓子好きだから後でみんなで食べよっ!」
にこにこしながら彼女は私を案内してくれた。
「ここが鈴ちゃんの部屋だよ。基本的に家の後ろ半分は私たちのスペースだから自由に使って。仕事は明後日くらいからで良いから今日明日はのんびりしてね。」
「いや、気を遣ってもらわなくても大丈夫だよ。バリバリ働く気できてるから。」
「ええ〜っ、そんなのつまんないじゃん。明日は私と遊びに行こうよ。案内しようと思って準備してたのにぃぃぃ。」
「そ、そうなんだ。じゃあお言葉に甘えちゃおうかな。」
ゆっくりと部屋の隅に荷物を降ろす。
「じゃあ夕ご飯の準備出来たら呼びに来るから!待ってて!」
と言うと雪花はトタトタと忙しなく部屋を出ていった。
大きく伸びをして畳に倒れ込む。新鮮だけど落ち着く匂い。もう一度伸びをしてから起き上がり窓を塞いでいる障子をスライドさせると小さな中庭が見えた。へこみの上に水をたたえた岩がありその横には椿が並んでいる。それを囲むように雪が積もっている。雪のせいでバイク乗れないけど、やっぱりこういうのって綺麗だな。
ぼーっと外を見ていると
「鈴ちゃん、お茶入れたから持ってきてくれた和菓子食べよ!」
と呼ばれた。
「ありがとう。今行くね!」
「鈴ちゃんお土産ありがとう。」
叔父と雪花は口を揃えてお礼を言った。
「綺麗な練り切りだね。鈴ちゃんとこの和菓子久しぶりに食べるなぁ。」
「お父さんが作るやつとは雰囲気が違って面白いね。色味も若干落ち着いてるけど綺麗な色で好きだな。」
「そっか、叔父さん和菓子も作ってるんだっけ。」
「主に宿泊する人向けに出してるだけだけどね。泊まる人の楽しみが増えれば、と思って。」
「結構評判良いんだよ、お父さんのお菓子。鈴ちゃんも食べてみて欲しいな。」
叔父さんがお菓子作りが得意なことは知っていたが、宿で提供しているとは知らなかった。雪花も少し製作に関わっているようで、少しずつ自分の周りも変わっていることを感じた。
「そうだ、夕ご飯までもう少し時間あるから私のバイク見てよ!車庫まで行こう!」
裏の車庫まで行くと白と青を基調としたバイクが置かれていた。
「S1000RRじゃん!」
「初めて見た時からずっと欲しかったんだ。お父さんにお金借りて今少しずつ返してるんだけど買って良かったよ。今までみたいに変なおじさんに声掛けられることも無くなったし。」
笑いながら彼女は言った。
「左右で違うライトかっこいいよね。雪花ちゃんともツーリングしたかったなぁ。」
「私も鈴ちゃんのところまで遊びに行きたかったんだけど家で働かないといけないから行けなかったんだよね。来年はどこか一緒に行けたらいいな。」
愛車を前にして少し照れたように彼女は笑った。
「じゃあカレー温め直して食べよっ。お父さん呼んでくるね。」
寒い日に食べるカレーは美味しく、いつもだったら軽く済ませる晩御飯もついつい食べ過ぎてしまった。
「鈴ちゃんお酒飲む?」
「じゃあ少し頂きます。」
「お父さん、あんまり鈴ちゃんに飲ませ過ぎないでよ。明日は私たちで出かけるんだから。」
「わかったわかった。少しだけだから大丈夫だよ。」
2人とも雪花の注意を聞き入れワインを一杯だけ飲んだ。口の中に柔らかに広がる香りとゆっくりと立ち上ってくるアルコールが少し心を落ち着かせてくれる。
「鈴ちゃん先にお風呂に入って。私は明日の準備しないといけないから。」
「何か出来ることある?」
「そんなに大した準備じゃないから大丈夫。今日は休んで明日に備えて。」
勧められるまま風呂に入る。客用の風呂とは違って一般的な家庭の湯船だが背をもたれ掛けてゆっくり出来るので大浴場よりリラックスできる。電車の旅で固まった体がお湯で解されていくのを感じながらこれから始まる生活へ思いを馳せた。
翌朝旅の疲れからかいつもよりぐっすりと眠ってしまっていた。
「鈴ちゃん、起きてる?」
雪花が呼びに来たようだ。
「ごめん、ついさっき起きた…」
「まだ出かける時間じゃないから大丈夫だよ。パンとスープがあるから軽めに食べとかない?」
「何から何までありがとう。明日はちゃんと早起きするから。」
「お客さんのチェックインって大体昼過ぎに来ることが多いし、準備は終わってるから大丈夫。明日は鈴ちゃんに仕事内容を紹介するくらいだから。あんまり重く考えないでよ。」
顔を洗って雪花が用意してくれていたパンとスープを流し込む。
「今日は一体どこへ行くつもりなの?」
「周辺の店と観光スポットをぐるっと回る感じかな。あとはここら辺の美味しいものを食べてもらわないとね。お客さんにも紹介出来るように。」
確かにお客さんと喋る機会があれば観光について質問されることもあるかも知れない。
「了解。今日はよろしくね、雪花ちゃん。」
朝ご飯を食べた後、身支度を早々に整え雪花と町に繰り出した。今日は天気こそ晴れているが、気温が上がりきらないせいで雪が溶ける気配はない。
「じゃあ最初は私一推しのカフェに行こうか。その為に朝ご飯軽めにしたし。」
雪花に案内されてたどり着いたのは、古い街並みに溶け込む古民家カフェだった。靴を脱いで店に上がると通りに面した2階の部屋に通された。部屋の通りに面した方は縁側になっていて、古い街並みの中を真っ直ぐ道が貫いている様を見ることができる。
「鈴ちゃん、こたつ入りなよ!」
雪花が手招きしているので部屋の中に戻り、掘り炬燵に入る。脚全体が包み込まれているお陰ですぐに暖かくなった。2人でメニューを見ると和のテイストを盛り込んだお菓子や飲み物がたくさんあり、選ぶのに迷う。雪花がラテをお勧めしてくれたので生姜ラテと抹茶ロールケーキを注文した。
こたつに入りながら外を見ると雪がゆっくりと舞い落ちているのが見える。朝早いせいか観光地という割には静かで、時間がゆっくりと過ぎているかのようだ。
「いいところだね、ここ。」
「でしょ?朝早く来てのんびりしながら美味しいもの食べるの好きなんだよね、私。」
2人でゆったりした雰囲気を楽しんでいると飲み物とケーキが運ばれてきた。雪花が注文したのはほうじ茶ラテとほうじ茶ケーキ。ほうじ茶づくめだ。
「きた〜!これしつこくない味わいなのに味に深みがあって美味しいんだよね。鈴ちゃんもちょっと食べる?抹茶ケーキと交換で!」
「じゃあ、お言葉に甘えて。」
食べてみるとほうじ茶らしい豊かな風味が口に広がる。ただ後味はスッキリしていて、お茶の味を邪魔しないバランスの取れたケーキだった。
抹茶のケーキは抹茶の味を全面に押し出した濃厚な味付けにしてあり、クリームとは別にかけられている抹茶の粉末がさらに香りを引き立たせる。生姜ラテもまろやかな味の中に生姜のピリッとした辛味があり飲んでいて楽しい。
「じゃあそろそろ次の出ようか。」
「雪花ちゃんもう行くの?」
「今日色んなところを回る予定だからそろそろ行かないとね。」
もう少しここでのんびりしていたかったのに残念だ。
「そんなに残念そうな顔しなくてもまたいけるから。行こ!」
鈴河は名残惜しく思いながらもカフェを後にした。
古い街並みにしんしんと降る雪を横目に石畳の上を歩く。実家に比べて雪が多く降る筈だが、観光客のために念入りに雪かきがしてあるお陰で歩きやすい。少し足早に歩きながら楽しそうに話している雪花を見ていると自分が何かの物語の中にいるように感じた。それくらいここでの時間は現実感が無く、心がふわふわと少し落ち着かない様な気持ちになる。堀に架けられた橋を渡り、城に入る。城内の美しく剪定された木々は雪を被り、歩道以外は雪かきがされていないので真っ白だ。天守閣は歴史のある文化財なので冷暖房の設備はほとんどない。受付の近くに灯油ストーブが設置されているのみだった。観光客は寒そうにしながらも天守閣の内部を興味深そうに見ながら歩き回っている。料金を払って中に進む。長い年月人が歩いたお陰で床板はつるつるになっており靴下がすべる。足元に注意しながらスイスイ進んでいく雪花を追いかける。彼女は他の展示物に目もくれず、どんどん上に登っていき、天守閣の一番上にたどり着いた。天守閣の雨戸は開け放たれており、屋根に雪を被った城下町が目の前に広がる。
「すごい…」
思わず漏れた声に雪花がニヤッとする。
「でしょ?地元の人間はあんまり来ないけど眺めがいいから鈴ちゃんに見て欲しいなと思って。」
「ありがとう。雪花ちゃん。」
私もつられてニヤッっとしてしまった。
「明日からもよろしくね。雪花ちゃん。」
「こちらこそよろしくね。鈴ちゃん。」
2人揃ってニヤリとした後、私たちは可笑しくなって笑い出してしまった。
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