第4話

その日、鈴河と結は海岸沿いをツーリングしていた。寒波は過ぎ去り、元の気温に戻ったが、海沿いの道の風は少し冷たい。けれどもどこまでも続く海原を見渡していくツーリングの開放感に比べれば、風の冷たさなんて些末なことだった。

「鈴河、後どのくらいで着きそう?」

「1時間半くらいかな。疲れたの、結?」

「今朝、バイクの準備しか出来なくて朝ご飯ちゃんと食べてないんだよねぇ。お腹減ったからコンビニかサービスエリア寄ってくれると嬉しいんだけど。」

「了解。でもこの道、サービスエリアもコンビニもあまり無いんだよね…」

県西部は鈴河達が住んでいる東部より更に田舎で、サービスエリアやコンビニはおろか、地域住民向けのスーパーですら片手で数えられる程しかない。

「やっぱり鈴河に待っといてもらって朝食ちゃんと食べてくるべきだったか〜。」

「10分くらいだったら全然待ったのに。」

「短っ!そんなんで食べられる訳ないでしょ。鈴河普段何食べてんの!?」

「昨日の残り温めたり、コーヒー飲んだりかな。」

「鈴河はもう少し食べ物にこだわりを持った方がいいよ。歳とって楽しめなくなってからじゃ遅いし。」

「やっぱり自分でカフェ開く人は違うね。気をつけまーす。」

正直、食べ物にこだわりなんてよく分からない。栄養バランスさえとれていればそれでいい派の鈴河はビタミンとタンパク質、あとは少しの炭水化物が取れていればいいや、くらいの食生活を送っていた。ツーリングの時による店も美味しければそれでいい。そんなことを言うと結にまた注意されるので、一緒にツーリングする時の食事はいつも結が決める。

交差点で止まっていると数十メートル先に喫茶店の様な看板が見える。

「喫茶店あるみたいだし一回そこで休憩しよ!」

結に声をかけ、数十メートル先にそれっぽい所があると伝えた。入ってみるとクラシカルな雰囲気のコーヒーショップで、五、六十歳くらいの男性がカウンターの中でコーヒーを淹れていた。いらっしゃい、と挨拶をし私たちをカウンター席に座るよう促す。メニューを見ると数種類のコーヒーとサンドイッチやケーキなどが少し記されていた。コーヒーと軽食を注文して待つ間店内を見渡す。どの家具も使い込まれているが美しく、オーナーのこだわりを感じる。蓄音機から流れる音楽もゆったりしていて心地よく、外の世界と切り離された時間の中にいる様だった。男性が軽食を用意し終えて提供してくれた。その後、ゆっくりとコーヒーを淹れ始める。グラインダーで引いた豆を茶漉しの様な道具に入れ、コーヒーを抽出していく。豊かな香りがカウンターの私たちまで届き、鼻腔を充す。そのコーヒーをひと口、またひと口と味わいながら軽食とともに食べると、コーヒーの柔らかな苦味とケーキの甘味がお互いを引き立て合い、素晴らしいハーモニーを奏でた。

「うま。突発的に入ったけど良かったね。」

「朝ご飯抜いてきた甲斐あったわ〜、ナイス私!」

「おい。」

調子に乗った結に突っ込みつつまぁタイミングは良かったよな、と思った。1人では行かないところに行く機会が出来るのは友達といくツーリングの良さでもある。結はよほどこの店が気に入ったらしく、何やらオーナーと楽しそうに話していて帰りにコーヒー豆まで買っていた。

「いやぁ〜カフェ長くやってる人の話ってタメになったわ〜。コーヒーも食事もめちゃくちゃ美味しかったし。ありがとね鈴河。お陰で昼ごはんまでちゃんともちそう。」

「本当にいい店だったね。田舎にちょこんとある喫茶店って当たり外れ激しそうで入りにくいイメージだったけど。」

確かにそうかもね、と結は遠慮がちに笑う。カフェを開く為に研究してきた結は思うところがあったのだろう。

「まぁ人を惹きつける雰囲気づくりって大事なことだから。自分と他人の価値観を擦り合わせるって難しいけどね。」

確かにそうかもしれない。実際に世の中の価値観に合わせられずに仕事を辞めた訳だし。コーヒーを飲んで目が覚めたからか、先程より視界がクリアになった気がする。

そこから30分ほど海の街を走り続けると、ようやく視界に大きな建物を捉えた。駐車場は既に車が半分以上入っており、建物に向かう家族連れで賑わいをみせていた。

「もう結構人入ってるね。」

「私たちも行こうか。」

ロビーに進むと吹き抜けになっていて階段を少し降りたところには密林の環境を模した水槽があり、ピラルクが他の魚を押し除けてゆうゆうと泳いでいた。

「ワォ、凄いね。この県にずっと住んでるけど初めて来たよ。鈴河は来たことあるの?」

「子供の時に数回ね。お母さんの実家が近かったから。でも展示はあまり覚えてないなぁ。」

2人分のチケットを購入し、階段を降りて水槽の前に行く。奥の滝から水がなみなみと注がれ水飛沫が跳ねる。水面の下では体長1メートル数十センチはある魚が静かにのんびりと泳いでいた。この部屋の中は魚達に対応する環境に整えてあり、冷たい風にさらされてきた私たちにはほっとする暖かさだ。水槽の前のベンチに腰を下ろそうとすると結に袖を引っ張られた。

「まだまだ見るものは沢山ありそうだし、帰る時間までに全部見てまわろ!」

「ここ結構広いよ?また来た時に見れば..」

「勿体無いじゃん、見られるだけ見てまわろうよ!」

結の行動力に圧倒された私は結局連行されてしまった。

建物の奥へ進むと部屋は薄暗くなり、一面に水槽が見える。大きな水槽を沢山の魚が泳いでいる。魚が身を翻す度に水槽の上から降り注ぐ光を反射してきらきらと輝く。私たちはしばらく海の冒険を楽しんだ。

私たちは大きな水槽の前で立ち止まった。好奇心旺盛なイルカがゆっくりと近寄ってくる。

イルカは数秒こちらをじっと見てまた水槽をぐるぐると泳ぎ回る。美しい生き物だな、と思った。

結がぐいぐい引っ張っていってくれたお陰か14時頃には展示を見終えた。

「この時間ならまだ日が沈むまでに家に帰れそうだね。それにしても広かったなぁ。」

そう言いながら結は体を目一杯伸ばした。

「意外と見てまわれたね。1人だったら半分もいかなかったかも。」

「鈴河ってかなりマイペースだよね。人の流れにあまり合わせないというか。」

「結に言われたくないけどなぁ。」

と言うと結は悪戯っぽく笑いながら、

「こんなんだから私たちバイクなんかに乗ってるんじゃない?」

という。

「かもね。」

釣られてニヤリとしそうになりながら私はヘルメットを被った。

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