第19話<キール>

 美しく着飾ったイリーナをエスコートして大広間に向かうと、すれ違う家臣たちは、皆驚きの目で振り返った。可憐だったイリーナはこの二年で、驚くほど美しく成長した。艶やかな銀髪を緩く結い上げ、ティアラをつけ、真珠が散りばめられた真っ白な衣装に身を包んでいる。さながら、雪の妖精だ。

 見慣れている私ですら、今日のイリーナをエスコートする為に、腕を差し出すことを一瞬躊躇ってしまった。「綺麗だよ」と言う言葉をかけることすら、忘れて見入ってしまった。銀の髪に真っ白なドレスのイリーナと、漆黒の髪に緋色のマントに黒い服の自分は、天使と悪魔のように見えた事だろう。



 お気に入りのガーネットカラーのドレスに身を包んだフェオドラ様は、目を細めて私たちが広間に入ってくるのを見つめていた。


「イリーナは長らく、病に臥せっていましたが、このたび回復した為、公務に付き添うことにする。それから、ヴォルコフ公爵家の長男キールと第二王女イリーナは今日正式に婚約します」


 弟のアキムが笑いながら、お祝いを述べにきて、こっそり囁いた。


「兄さんたちの婚約発表は、随分たくさんの令嬢たちをがっかりさせたようだよ。ほら、彼女たちは次の優良物件を探すべく、深海魚の様にゆらゆらと舞踏会場を彷徨っているよ」


「アキム、彼女に聞こえてしまうから、やめてくれ」


「兄さんは本当にイリーナ姫に弱いんだね。そんなにあんなにか弱そうな姫が怖いの? 女ってわからないね……」


「違うって。知っているだろ? イリーナは昔から、泣き虫なんだよ」


昔から、アキムはイリーナのことで私を揶揄う。


「それにしても、イリーナ姫はますます美しくなったね。兄さん、鼻高々じゃなくて、鼻の下が伸びてるよ」


思わず、鼻の下に手をやると、「冗談だよ」と言われた。


「人のことはいいから! アキムもそろそろ、相手を探したらどうだ?」


「兄さんみたいに最初から決まっていれば楽だよね。僕は、未来の公爵夫人にふさわしい人物探しに苦労しそうだよ。これはと言う人がいたら教えてほしいな」


 ミントグリーンのドレスに身を包んだソフィアが向かってくるのを見たアキムは、「また後で」と退散した。イリーナの姉のソフィアは、イリーナと同じ銀の髪に、空色の青い瞳を持ってはいるが、雰囲気がまるで違う。イリーナは妖精のような人間離れした雰囲気を持っているが、ソフィアはイリーナと違い豊満な体型の持ち主だ。


 隅の方へ移動してアキムと話している私を見つけたのだろう。お祝いの言葉を述べた後、疑問を口にした。ソフィアは嫁いで行ってしまう身なので、魔物と人狼の話を知らない。


「イリーナが次の女王となる様定められているのなら、何処かの王子と結婚するのが普通ではないの?」


「この婚約は生まれた時から、決まっていたのですよ。ご存知の通り、ソフィア姫はヴォルコフ伯爵の長男マクシム様と、この後正式に婚約する事になりましょう」


「マクシム様は、私より四つも年下で、イリーナの方が年齢的には釣り合うし、キールは長男なのだから、本当は公爵家を継いで当主になるところを、将来王配になるからとアキムに当主の座を譲るのでしょう? 年齢的に言えば、私がキールと婚約して王家を継いで、イリーナがアキムかマクシムと……」


「大勢の人がいるところで、陛下の決めた事に異議を唱えてはいけませんよ。この婚約は女王陛下が決めた事ではありますが、私の望みでもあるのですよ。そろそろ、戻らなければ。失礼」



 楽士たちが音楽を奏で始めた。女王は王杯を亡くして以降踊らない為、一番最初に踊るのは次期女王のイリーナと許婚である私だ。イリーナは夢を見ているように呟いた。


「キール、私、ずっとこの日を待っていたの。もう、こんな日は来ないと思っていた。本当に二人で音楽に乗って、踊る日が来るなんて」


「私は信じていたよ」


 二人で女王にお辞儀をしてから、広間の真ん中に進み出て、踊り始める。

幼い頃よりダンスが好きだったイリーナは、まるで宙に浮いているように軽やかにステップを踏んでいく。

広間の鏡が踊っている私たちの姿を映し出している。

 

 二人が動く度に白と黒と緋色が旋回してグレーの濃淡の間に炎を描き出す。火が消え灰になったかのように見えた刹那に、緋色の炎が灰の間から熾火のように見え、吹き出したかと思うと、再び灰の中へ戻って行くように、まるで一つの生き物のように見える。


 昼の光の中で踊るイリーナの上気した頬は薔薇色に染まり、内側から輝くように美しく見えた。曲が変わり、見とれていた人々が思い出したように互いにペアになって踊り始める。色とりどりの花の真ん中で、私たちは踊り続けた。


「あまり、踊ると疲れてしまうよ。そろそろ休もうか?」


心配して小声で聞いても、イリーナは首を振る。今まで踊れなかった分を取り戻すかの様に一心不乱に踊っている。喉の渇きを理由にして、一旦休ませる事にした。


「良いではないですか、今日くらい好きなだけ踊らせてやれば」


フェオドラ様に声をかけられた。


「足を痛めて、後で泣くのが見えているから言っているのです」


フェオドラ様が笑いながら言った。


「キールはイリーナに関しては、まるで心配性の爺やのようですね。成長するためには少し痛い目にあうくらいの方が、自分の限界を知る事が出来ると言うものですよ」


「そんなものでしょうか」


「先回りして、障害を取り除くことばかりが、その人のためになるとは限らないのですよ」


イリーナは素知らぬ顔で、お菓子を摘んでいる。そこへ、ソフィアが誘いに来た。


「キール、一曲一緒に踊って」


イリーナは私の腕をぎゅっと掴んで手を離さない。見ると、日が陰り始めている。そろそろ、引き上げ時だ。


「イリーナ、引き上げよう」


そう言うと、イリーナは目に涙を浮かべた。たとえ、自由に動き回れなくても、まだ戻りたくないのだろう。


「ソフィア姫、そろそろ、イリーナが疲れてしまうといけないので、私たちは引き上げます」


「キールが踊るなんて、滅多にないのに……一曲だけでいいから」


ソフィアは食い下がった。


「ソフィア、キールはイリーナの婚約者なのですよ。来年はあなたの婚約発表の舞踏会を開く予定です。それにイリーナは病から回復したばかり。キール、イリーナを部屋まで送って行きなさい」


フェオドラに言われ、ソフィアはつまらなさそうに扇を開いた。

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泣き虫魔物姫ともふもふの許婚は平和に暮らしたい 明夜 想 @emiru-aozora

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