第17話 <イリーナ>

 泣いている時や、落ち込んでいる時に、よく兄様にあやされる様に抱きしめられたけれど、何もなかったにも関わらず、いきなり抱きすくめられ、驚いているうちに兄様の顔が近づいて来た。思わず目を閉じてしまったら、口ではなく、口の横に接吻された。ほんの少しだけ、唇と唇の端が触れ合った。


「……兄様? 急にどうしたの? それに……口付けは……口にする物では?」


「フェオドラ様から明日、正式に私たちの婚約を発表する、と言われたのを思い出して、嬉しくなってしまってね。それに、今日のイリーナのドレス姿があまりに可愛いから、危うく、口付けしてしまうところだったよ。でも……イリーナには、まだ早すぎたかもしれないな。驚かせてしまって、すまない」


兄様は申し訳なさそうに言った。


「兄様、私はもう十六歳。子供じゃありません! 狼の時は顔中舐め回すのに、変な兄様!」


「へぇ、もうイリーナは、子供じゃなくて大人なんだね?」


「もちろんよ!」


揶揄われているのが悔しかったのと、まるで、ちゃんとした口付けを催促しいている様に聞こえるのではないかと思ったら、顔が火照ってきた。兄様はすっぽりと腕の中に入っていた私をくつくつと笑いながら、解放した。


「はいはい、わかりましたよ、狼の時も人間らしく振る舞うよう努力するから、怒らない、怒らない」


「兄様の馬鹿!」


兄様は後ろを向いてしまった私の頭を、ぽんぽんと子供にするように軽く叩いた。


「さぁ、夕食が冷めてしまうよ。それから、正式に婚約する事だし、もう、『兄様』ではなくて、キールと呼んで欲しいな」


「今夜は、兄様でいい?」


兄様はなぜか照れた様に赤くなって、頷いた。


「兄様、今夜も側にいてくれる?」


「イリーナ、勘違いされてしまうから、くれぐれも男性にそういう事は言ってはいけないよ」


「は〜い。兄様以外には言わないから。フカフカの兄様がそばにいると、安心して眠れるもの」


兄様は小さく溜息をついている。なんでだろう? 地下に来てからは、なかったけれど、昔からよく添い寝をしてくれたのに。


「明日からはレディとして振る舞うんだよ」



 明日はいよいよ、念願の舞踏会に参加できる。兄様は私の頭を撫でてから狼になり、ベッドに飛び乗って端っこに少し丸まって寝そべる。兄様が片前足を上げたので、毛布に包まって、するりと潜り込んだ。世界で一番安心できる場所。


「兄様のそばが一番安心できるし、柔らかくて、気持ちいい」


黒くて艶々した手触りの良いビロードの様な毛並みを撫でると、兄様が頬を優しく舐めた。


「イリーナの頬は柔らかいね」


「齧らないでね」


「ほんのり甘くて、本当に美味しそうだ……」


「え?」


いきなり、顔中を舐め回された。くすぐったくて、笑っていると、首まで舐められた。くすぐったいのを我慢できずに、前足の間から逃げ出し、ベッドから飛び降りた。

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