第15話 キール

 イリーナも自分も、もう昔のようなあどけない子供ではない。今までと違って気をつけて接しなければ、と自分で自分に言い聞かせる。危うく、また眠りに落ちてしまうところだった……。

気を取り直して、ルカのところへ行った。


「イリーナに指輪を返しにきたのではなかったのか? 何故早く返してやらない?」


「イリーナに直接返す。あんたには関係ない」


 ルカの声は明らかに敵意剥き出しだった。昨日ぐるぐる巻にしたのがいけなかったのかと考え、なるべく穏やかに話しかけた。


「あれはイリーナの祖母の形見。返してやってくれないか」


「何故お前のような、ただの兵士がそんな事を頼むんだ?」


脳裏に、ルカがイリーナの手に手を重ねようとしていた光景が思い出された。


「私は公爵家の長男で、イリーナの許婚だ。だから、『ただの兵士』では無い」


そして、遅まきながら、今朝イリーナが赤くなった原因がルカではないかと思い当たった。


 現金なもので、父に言われ、イリーナとの婚約破棄について悩んでいたにも関わらず、ルカに対して妙な焦りを感じ始めた。だから、ひけらかす様な言い方をしてしまった。婚約破棄については父を説得して止めてもらおう。こんな得体の知れない奴に、イリーナを渡したくない。イリーナがルカに心を奪われたとしても、それは一時のこと。イリーナの許婚は私であって、ルカではないと、自分に言い聞かせ落ち着かせる。


 石に執着している様に思われると、交換条件を持ち出されたりするかもしれない可能性を考え、石はただの形見と言うことにして、指輪を返してもらうように仕向けたかった。


「イリーナは指輪をなくしたせいで、女王から罰として、あの日からずっと、地下室に閉じ込められているんだ。可哀想だとは思わないか?」


ルカが驚いた顔をした為、言い添えた。


「だから、指輪を返してやってくれないか」


「石は……一つしか持っていない」


「?!」


「あと一つは安全な場所に隠してきた。ここには無い。僕に何かあったら、もう一つの石は見つからないよ。それに、石の在処をあんたに話す気はない」


今はこれ以上、ルカから情報を得ることはできない。


 昨夜、イリーナが少しの感情の振り幅で、魔物になってしまったのは、石が一つしか無かったからだったのか。まずはすぐにでも、フェオドラ様に石の事を報告しなければならない。


 フェオドラ様の私室へと向かう途中、イリーナの姉のソフィアとすれ違った。ソフィアが近寄って来たので挨拶をしたが、不意にぷいと横を向いて歩き去ってしまった。機嫌が悪かったのだろう、と首を振ると髪が顔にかかった。髪から微かに甘い香りがした。昔からイリーナが好んで枕の中に入れている花の香りだった。



 挨拶もそこそこに、フェオドラ様の部屋に入ると近くの椅子に座る様促された。


「朝早くに珍しいですね、キール。『キールが地下から上がってきたようだけれど、何かあるのかしら』、とソフィアが言っていましたよ。なぜ地下から上がってきたのかと、聞かれて困りました。くれぐれも、イリーナが地下にいる事を気づかれないように」


「……気をつけます」


「イリーナの様子はどうですか? 元気にしていますか? 美しく成長している?」


「はい、それはもう。フェオドラ様に似て、美しく成長されています」


フェオドラ様が顔を近付けてきたので、思わず身を引いた。


「な、なんでしょう?!」


フェオドラ様が私の髪の匂いを嗅いでいる。


「そなたから、イリーナの髪の匂いがする様ですが? いくら兄妹のように一緒に育ってきたとはいえ、もう子供ではないのだから、一晩中一緒にいるのはいかがなものでしょう? イリーナの年齢なら、とっくに結婚してもおかしくはないですが、二人はまだ正式に婚約していないのですよ?」 


 いつ地下に行っているか、お見通しの様だ。フェオドラ様が責めるように、微かに眉をしかめた。髪の匂いの言い訳をしなければならない。やましい事は何もない、多分。私は赤くならないように、気をつけながら答えた。


「申し訳ございません。心細かったのでしょう。請われて、昔のように『もふもふで添い寝』をしておりました……私が添い寝をすると、よく眠れるようですので」


 フェオドラ様は安心したように微笑んだ。イリーナは小さい頃から、「もふもふで添い寝」が好きだと知っているからだ。イリーナも自分も、もう昔のようなあどけない子供ではない。今までと違って気をつけて接しなければ、と改めて自分で自分を戒めた。


「姫はいつまでも子供ね。鬼隊長と言われるキールも姫には甘いこと。姫が子供すぎて困るのではないの? 違う?」


フェオドラ様を刺激しないように、頷きつつ話題を変え報告をする。新しい門番のルカという少年が指輪を持っていた事、ただし、二つある石のうちの一つしか持っていない事。もう一つは、どこかに隠しているらしく、ここには無い事。


「ルカ?」


「昔、イリーナの家庭教師をしていた息子のルカです。イリーナは指輪がどう言うものか知らずに、餞別としてルカに渡してしまっていたようです」


フェオドラ様は眉を顰めた。


「ボリスの息子、ルカね……。キール、石が一つでも良いので、明日にでもイリーナを地下から出しましょう」


「昨夜確かめましたが、石が一つでは不安定なようです。気持ちが少しでも不安定になると、いけないようです」


「それならば、昼の間だけでも良いわ」



 フェオドラ様は急いでいる訳を教えてくれた。

正式な次期女王と言われたイリーナが人前に姿を表さなくなって、二年経つ。いないのであれば、姉姫のソフィアを正式な後継者としてお披露目してはどうか、と言う声が出てきていると言う。大事にならないうちに、早くイリーナが無事で、変わらずに後継者である事を見せておいた方が良いからだと。


「けれど、石は一つです」


「石が二つとも見つかるまでは、イリーナには夜の間は地下にいてもらわなければならないけれど、仕方がないでしょう。万が一、日没後になるようであれば、キールがずっとエスコートをしていれば良いでしょう。次の舞踏会でイリーナとの婚約を正式に発表すれば、ずっと一緒にいることは不自然なことはないでしょう?」


 深々と頭を下げて礼を述べた。これで、悩みは一つ消えた。イリーナは昼間の間だけとは言え、地上に出ることが出来る。婚約は破棄されない。父も反対できない。


「キール、今日は近衛隊は良いから、イリーナに知らせてやって。色々と必要な物があるかもしれないから、早速支度をするように」


「仰せの通りに」

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