第4話 <キール>

遡ること二年。

 私は十五歳になり、今日初めて宮廷の舞踏会に出席する。とはいえ、父であるヴォルコフ公爵の領地のヴォルカ城にいるのと同じくらいの時間を、いや、もっとかもしれない時間を、ここオルロフ王家のツアーモック城で過ごしているから、ツアーモック城は自分の家にいる気分とさして変わりがないはずなのだが、やはり初めての舞踏会とあって至極緊張していた。令嬢たちの視線の熱さに、たじろいで更に緊張が増す。


「今日はヴォルコフ公爵家の長男、キール様が初めて出席するんですって」


「ヴォルコフ公爵家は王家とは血縁のつながりの濃い有力貴族。その長男で、十五にしてあの背の高さ。それに、この国には珍しい漆黒の髪と金色の瞳を持ち、眉目秀麗な顔立ちとくれば、婚約者になりたいと願う令嬢が多いのも頷けるわ。婚約者はいるのかしら?」


「まだ、どこの貴族とも婚約をしていないのですって」


耳が良すぎる故に、聞こえてしまう会話。


「キール、最初に誰と踊るのか慎重に考えて選ばないと、大変な事になるぞ」


 父であるヴォルコフ公爵マルティンは、無責任に、楽しそうにそう言った。そんなことを言われたら、余計に初めに踊る相手を選べなくなる。女王陛下は王配を亡くしている為、踊らないので順番から言えば、私か父が踊る事になる。しかし、母が寝込んできていない為、父は踊らない。必然的に私が最初にダンスを披露する事になる……。


 楽師たちが音楽を奏で始める。目の前に壁の様にずらっと、令嬢たちが並んでいる。早く誰かを選んで、踊らなければ。焦っていると、入り口から鞠が転がる様に駆けて来た少女が、泣きながら飛びついて来た。


「兄様! 急にいなくなってしまうんだもの……」


飛びついてきたイリーナはまだ八歳。舞踏会に出席するにはまだ早い為、寝かしつけてそっと抜け出して来たのだが、目を覚ましてしまったのだろう。


「ごめん、ごめん」


抱き上げて頭を撫でるとホッとした表情を浮かべ、もう泣き止んでいる。


「踊ろうか」


誘うと、イリーナは花が開く様な笑顔を向けて来た。愛らしいイリーナ。皆が呆気にとられているのが目に入ったが、構うものか。


「キール様が抱き上げたのは誰? まだ子供よね?」



「こんな所に子供が紛れ込むなんて……。連れてきた親は非常識だわ」


「令嬢たちとは踊らずに、子供と踊るキール様も非常識だな。よりどりみどりだったのに、見る目がないな」


「まだまだ、子供と遊んでいたいのか」


非難と、侮蔑の囁きがさざなみのように広がったが、気にならない。イリーナはまだ小さいが、ステップは完璧だ。子供で身が軽いから、多少アクロバティックに扱った方が喜ぶ。


 踊り終わると、フェオドラ様と王家の一族、父とその一族が拍手した。フェオドラ様が、多少申し訳なさそうに、しかし、目を細めて仰った。


「キール、姫に付き合ってくれたのですね。イリーナ、良かったわね。しかし、今日はもう仕方がありませんが、舞踏会参加はまだ早い故、あと六年は待つのですよ」


先ほど非難や侮蔑の言葉を口にしていた令嬢や子息たちが真っ青になって、慌てて拍手をしているのが目に入った。


「わかりました、お母様。今日はいてもいいですか?」


「今日だけですよ。キール、悪いけれど今日は諦めて子守りをしてくれますか?」


「承知しました」


「子守りじゃないもの! ね、キール? キールは私の……」


イリーナの口に急いでお菓子を放り込んでから、抱き上げてバルコニーの方へ連れて行った。イリーナと私は生まれた時から許婚と定められていた。フェオドラ様からの要望で私は幼い頃から、フェオドラ様の父親のイヴァン様から直接訓練を受ける為、自分の城よりも王家の城に滞在している方が多かった。そして、両家の了解のもと、二人は兄妹のように、いや、それよりももっと、常に一緒にいるように育てられていた。だから、イリーナは自然と私を「兄様」と呼ぶ。


「明日また遊んであげるから、少し、静かにしていよう、ね?」


イリーナは子供扱いされた事に腹を立てプイ、と横を向いてしまった。侍女に椅子とランタンとお気に入りの絵本を持って来させる。

椅子に座り、イリーナを膝の上に乗せ、表紙の四隅が擦り切れた絵本を開く。彼女の髪からはいつも、仄かに花の香りがする。その香りをかぐと、自分はいるべき場所にいるんだと思える。


「ほら、これを読んであげるから、機嫌を直して」


首を捻って私を見上げたイリーナの顔には、もう満面の笑みが浮かんでいる。

「兄様、今日はもふもふで一緒に寝てくれるんでしょう?」


実の妹よりも可愛いイリーナの願いを断れるはずがない。甘やかすつもりはないのに、いつだって、私はイリーナの願いを受け入れてしまう。当然、初めての舞踏会はすっぽかした。女王公認の「子守り」であるから、お咎めもない。


 その夜はイリーナのお願いどおり、イリーナの部屋で物語を読みながら添い寝をした。私がイリーナの部屋に出入りするのは幼い頃よりの習慣なので、誰も咎めない。それどころか、二人が部屋に入った後は、誰も、乳母でさえも部屋に入らない様、中から鍵をかけるのが当たり前だった。


 この舞踏会以来、舞踏会がある時は、イリーナの乳母や侍女たちはしっかりイリーナを見張ることになったようだ。

おかげで、次の舞踏会では「この若さで女王からの信頼の厚い人物」「小さい子供が懐くくらい温厚な少年」として、さらに注目されてしまった。イリーナと許婚どうしだと言うことは両家がまだ発表するには早いと伏せている為、私は優良物件だと思われ、あっという間に令嬢たちに囲まれてしまった。


 フェオドラ様と父から、イリーナが舞踏会に参加できる年齢になるまでに、しっかり女性のエスコートの仕方や、お付き合いの方法を学ぶように、と言われた為、一生懸命、忠実にその命令を実行した。おかげで、数々の浮き名を流すはめになると言うおまけもついてきた。


 それでも、なんとか時間を作ってはイリーナの勉強を見てあげたり、ピクニックに連れて行ったり、一緒に遊んだり、せがまれて添い寝をした。ただ、舞踏会前まではそれが一週間に四〜五回だったのが、だんだん三〜四回になり、二〜三回になり一、二回になってしまったが。

忙しいのは舞踏会のせいばかりではなく、年齢が上がるにつれて、役割も増え、父の公爵や、フェオドラ様からの頼まれ事が多くなったせいもあった。


 そんな時に、イリーナの新しい家庭教師として、ボリスが子連れで雇われた。私と会う回数が減った代わりに、ボリスの天使の様な容貌の息子とイリーナが仲良くなったのは自然なこととは言え、心穏やかなことではなかった。

 しかし、イヴァン様から王配となるための教育や、フェオドラ様からの依頼、近衛隊の訓練などがあり、時間が取れなかった。次期女王を支える為に知っておくべき事は山ほどあった。

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