Song.42 困ったときは大人に頼れ


 悠真はぴたりと足を止め、ゆっくりうつむきながらも振り返って鋼太郎を見る。

 一瞬空気が凍り付いた。

 あまりこの二人がじっくり話している場面は多くなかった。関係が悪いわけでもないが、いいわけでもない。そう思っていた。



「お前がやりたいのは、本当に進学だけか? 我慢してんじゃないのか?」

「なんのこと? 君に何がわかるの? 知ったかぶりしないで」

「お前な……」



 怒ったように言って顔を背ける悠真。その態度に鋼太郎の怖い顔がさらに険しくなっている。

 眉間の皺も、つり上がった目も。怖い顔していながらも、悠真が部屋から出るのだけは体を使って塞いでいる。


 準備室につながる扉以外には、一つしかない物理室の出入り口からぴりついた空気がこっちまで流れてくるようだ。



「御堂が考えていること、全部が全部わかったわけじゃねぇけど……本当にそれでいいのか? 御堂はそれでいいのか?」

「……ふん」


 悠真が鋼太郎の質問に答えることはなかった。

 鋼太郎を押しのけ、振り返ることなく悠真は物理室を出て行く。誰もそのあとを追う気は起きなかった。


 一人いないだけでかなり広く感じる物理室。

 物足りなさと寂しさと、嫌な考えが頭を支配していく。


 俺はどうすればよかったのか。

 たとえ事務所所属になったとして、バンフェスと同じレベルの曲は悠真がいないと作れない。

 同じ方向を向いていないんだ、その状態ではバンドはできない。



「キョウちゃん……」



 瑞樹が怯えた目をしながら、シャツを掴んできた。

 瑞樹も不安がっている。いや、瑞樹だけじゃない。口を堅く閉ざした鋼太郎も、あれだけ明るかった大輝までも黙ってしまっている。


 みんな未来に不安を持っている。



「音楽でどうこうできる話でもねぇし……」



 俺ができるのは音楽を作ることだけ。音楽で説得力を持たせることはできるかもしれないけれど、ただの言葉でそれを伝えるのはできそうにない。俺のコミュ力が底辺なのはよくわかっている。かといって、コミュ力マックスの大輝に任せるのも無理がありそうだ。大輝に対する耐性が悠真にはあるだろうし、閉ざした心を開くのはできないと思う。


 なら、瑞樹に……いいや。バンドメンバーに簡単に話すような性格でもないな。

 というよりも、俺だけが悠真がバンドを続けたいという意思を聞いているんだ。それは本心だろうし、本人の口からでた言葉だから間違いない。


 続けたいのに続けられない。

 そう考えてしまったのは、周りからの圧力と不安だと思う。


 この先どうなるのかという不安。


 動画についたコメントや、兄の存在で自信を失って、前を向くのを止めた悠真がまた前を向けるような方法は――



「あ!」

「うおっ!? どったの、キョウちゃん!」

「困ったときは大人を頼れ、だ」

「うん?」



 俺らで解決できなければ、大人に頼る。しかも、俺らの道の前を進んでいる奴らに。その人らに連絡をとろうとポケット、バッグの中からスマホを探すも、入っていない。



「チッ……あいつに聞きゃどうにかできると思ったのに」

「あいつ? 誰のコト?」

司馬しば

「シバ、シバ……コウちゃん、誰?」



 大輝の脳内データからは削除されている人物だったか。

 聞かれた鋼太郎が信じられないという顔で答える。



司馬しば亮吾りょうごさん……だろ? Mapマップのキーボードの」

「だいせーかーい。同じキーボだし、なんかわかると思うし、一応先輩にあたるんだし、プロだし。でもスマホがねぇ」

「いい加減持ち歩けよ……」



 親父のバンドでキーボードを担当していた司馬亮吾。真面目堅物派だし、どことなく悠真に似ている面もある。同じ楽器をやっていることも含めて、アドバイスを貰おうと思ったんだが、連絡を取る手段があいにく今はない。

 スマホ、いつもどこかに置いてきているんだよ。多分自分の部屋のどこかにあると思うけれど、記憶は定かじゃない。



「神谷さんじゃダメなの?」

「あの人だと、なんかうるさそうだろ?」

「それは否めないけど、僕、神谷さんなら連絡先知ってるよ。一緒にいたら代わってもらえるかも」

「んじゃ、それで。瑞樹、電話だ」

「うん」



 瑞樹は慣れた手つきで電話をかけ始める。しかも、スピーカーにして。

 表示された名前は『神谷さん』。つい最近会ったばかりの、赤髪ギタリストだ。俺が瑞樹にギターについて教えたけれど、親父を通して瑞樹と神谷は知り合っている。俺から学べなかった技術や知識を神谷から教わったっていう話を瑞樹から聞いた。


 プルルと呼び出し音は丸聞こえ。しばらく呼び続け、なかなか出ない。無理かと諦めたとき、通話中の文字に変わった。



『はいはい。どしたの?』



 神谷が電話に出た。その声の奥から、ドンドンという低い音と笑い声、高いピアノの音が聞こえる。もしかすると、練習中か?



「神谷さん! お疲れ様です、急な電話ですみません」

『別に平気平気。んで、どんな用事? 電話してくるなんて珍しいじゃん』

「はい。ちょっと色々ありまして……お時間大丈夫です?」

『あ、ちょっと待って。音出すのストーップ。おチビから電話きたから音出すなよ。達馬たつま黙れ! ん、ごめん。話の続きをどうぞ』



 達馬というのは、Mapのドラマー、園島そのじま達馬たつまだろう。絶対バックにバンドメンバー集合している。

 それなら都合がいい。司馬に代わってもらえばいいから。

 瑞樹に目配せすると、察したようだ。



「もしかして、神谷さん、今、練習中ですか?」

『そう。お前らのライブみてうずうずしてきたから、ひっさびさに集まってんよ』

「ちなみに司馬さんも……いらっしゃいます?」

『亮吾? いるよ。亮吾に用なん?』

「その通りです……ちょっとこちらのバンドで色々ありまして……同じ楽器担当の方の方がよくわかるのかなって……キョウちゃんが」



 ちらっと瑞樹が俺を見る。

 俺に全部背負わされた気がするけど、まあいいや。背に腹は代えられない。



『坊ちゃんかよ! 坊ちゃんもそこにいんの? やっほー、パパだよ』

「うるせぇ。あんたは俺の父親じゃねぇ」

『はははっ! マジでいんじゃん! ウケる! 待ってろ、こっちもスピーカーにするから。亮吾ー、坊ちゃんがお呼びだってよー』



 その声に重なるよう一瞬雑音が入る。そしてすぐ、目的の相手の声がした。



『どうも、久しぶり』



 神谷と違って、もっと落ち着いた声。

 一年ほど前に会ったときには、この声にものすごく苛立ったが、今はそう感じない。むしろ頼りになるような安心する声に感じる。



「久しぶり、です。相談事があるんっすけど……」



 あんまりこの人とは昔から話す回数は少なかった。バンフェスの時以来だけど、どう話せばいいかわからなくて、固い話し方になってしまった。



『……そうか。君の相談となれば、僕も応じたいところだけど、あいにく今日は時間がないんだ。後にしてくれる?』


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