第2話 解放

 十八歳の春。玄界灘に程近い半島に、わたしはやって来た。市街地までの電車が十五分おきに走るこの地は、欠けたる所のない大都会のように、わたしには思われた。これから四年間、あらゆる分野について、新しいこの地で学ぶのだ。その見通しに、わたしは何とも言えない解放感を覚えた。


 解放感──それはあいまいな何物かに過ぎなかった。受験からの解放、親からの解放、はたまた広い世界への期待……どれも正しかったけれど、わたしの新生活を覆ったものはそれらだけではなかった。


 四月初め、さまざまなサークルが勧誘活動を盛んに行っていた時期に、わたしはとある文化系サークルの新歓に参加した。総勢二十人ぐらいが参加したその飲み会で、わたしは新しい「普通」に出会った。

 飲み会が始まって数分後、向かいに座った先輩のグラスが早くも空になった。それに気がついたわたしは、今まで学んできた通りに、近くのピッチャーでビールを注ごうとした。

「あ、いいよいいよ自分でやるから。新入生は気を遣わなくて大丈夫だよ」

 えっでもお酒を追加するのは年下の役目ですよね、とわたしが言うと、先輩は苦笑してこう言った。

「確かに大昔はそういう文化が世間一般にあったけれど、今はもうそんなのないよ。この世界のほとんどどこにもね。誰のためにもならない悪しきマナーは、僕らの世代でなくしちゃおう」

 でもわたしの故郷では……と言いかけてやめた。生まれ育った美しい故郷が色褪せてしまうと思ったからだ。


 故郷の島では、毎年神社で祭りが行われる。島民総出の儀式が終わると、お供え物をみんなで食べたものだ。お酒や料理の準備はもちろん女性と若者が中心だったから、わたしなどはよく用事を与えられたものだった。どうして男性や高齢者はしないのか、という疑問を持ったこともあったが、それがルールなのだとたしなめられた。それ以外で人が集まることなど島を出るまで見たことがなかったから、わたしにとってはそれが当たり前だった。

 ゲーセンも本屋もないけれど、何もかもが美しく、みんな幸せに暮らしている。何て良い世界だろう。十八までのわたしは、心の底からそう思っていたのだった。


 結局、この件についてわたしは誰にも言えなかった。けれど確かに、これがわたしの中の「普通」に疑問を持った最初のきっかけとなったことは間違いない。


 これだけなら、都会に出たての新入生にありがちなこととして、特に気にすることもなく終わっていただろう。けれどその後の度重なる経験は、わたしの中の「普通」を徐々に打ち砕いていった。

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