第17話

「いってきます。お嬢様」


 私は眠るお嬢様に静かに囁いて、森の近くの小さな家を出た。

 たぶん「ただいま」を言うことはない。

 畑に向かって少しだけ水をまいて、よく育つように祈る。お嬢さまが一人になっても食べることに困らず、健やかに暮らせるように。

 私はここにいてはいけなかった。


 あの奥様からの手紙はお嬢様宛てではなかった。

 宛名は私宛の荷物だが、あくまでそれはお嬢様に手紙を送るためだと思っていた。

 使用人のために、奥様が特注しているレターセットを使うと誰が思うだろうか。


 だけれど、あのすみれ色の便箋は私に対して綴られていた。

 私に王国に戻ってくるようにと。


 戻りたくなかった。

 戻る理由もない。


 私はあの場所になんの未練もない。

 屋敷と学園以外の場所はほとんど知らないし、故郷としての懐かしさもない。

 故郷というものが私にあるのだとすれば、それはあの場所ではなく、私にとっての故郷はお嬢様自身だ。

 場所になど意味を持たない。


 だけれど、奥様からの手紙は脅しだった。

 奥様の名前で差し出された手紙ではあるけれど、王国からといっても等しい内容。

 おそらく、あの手紙に従わなければ力ずくでも戻される。

 私はお嬢さまにお仕えしているけれど、身分上は公爵家の使用人だ。しかも、身寄りのない私を公爵家が引き取るという形で。


 私はモノでしかない。


 お嬢様と一緒に暮らして、忘れていたけれど。


 公爵家の所有物、奴隷にも等しい存在だ。


 逆らうことは許されないし、逆らってもきっと公爵家は、いや、王国は強引に私を連れ戻すだけだろ。


 下手に逆らえば、お嬢さまにも被害がでる。

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