第16話

 公爵家から手紙が届いた。

 お嬢さま宛に。


 いつもの簡素な封筒のなかに、奥様が使っているイニシャル入りの特別なレターセットが入っていた。

 すみれ色はとても上品で、奥様が好んで使っていた色だ。

 このレターセットは、使用人である私に送るものではない。明らかに高貴な方、そうお嬢様へのお手紙だ。


「お嬢さま、奥様からお手紙です!」


 お嬢様に渡すと、お嬢様は手紙を胸に抱きしめた。

 微かにスミレとアニスの香りが漂う気がした。

 お嬢様の人生で救いがあったとすれば、お嬢様が王太子の婚約者になたことにより、奥様が最高の治療をうけることができたことだろう。


 たぶん、没落したままでは奥様は亡くなっていただろう。

 あのろくでもない公爵様からお嬢様のような素晴らしい方が生まれたのは、お嬢様には奥様の血が流れているからだろう。

 私もあの、お優しい奥様が大好きだった。


「ねえ、ソフィー。お茶をいれてくれるかしら?」


 お嬢様は頬は薔薇色に染まり、瞳には澄んだ夜の星が浮かんでいた。すごく、綺麗だった。

 こんな綺麗で純粋で、世界で一番美しい少女だった。

 お嬢様は、エプロンを脱いで、ちょっとだけ服の皺を伸ばす。


 小さな家の台所の質素な木の椅子に座っているのに、お嬢様のまわりだけまるで王宮の中にいるようだった。

 背筋をピンと伸ばしたお嬢様はちょっと澄ました顔をしているけれど、そわそわしてまるで小さな子供のようだった。


 お湯が沸き、貴重な紅茶を入れる。

 援助が少なくなってから紅茶も節約していたけれど、もう紅茶の缶の底は見えていた。

 紅茶が薄い分、フルーツのジャムはたっぷり添える。


 幸せな時間が約束されていた。


 紅茶の良い香りと果物の香りがまざりあい。

 お湯を沸かしたあとの湯気にのって、ゆったりと部屋をただよっていく。


 お嬢様は紅茶を一口飲んだあと、ゆっくりと身長に手紙の封をあけた。

 今、ここには公爵家の屋敷にいたとき銀のペーパーナイフなどないので、身長に指先を動かして、のり付けをはがす。

 きっと、お嬢様はあの手紙を宝物にするだろう。


 とっておきのリボンをかけて、野バラのドライフラワーと一緒に。


 お嬢様の指先はずっとふるえていた。


 屋敷にいたころとは違い、骨張って皮膚は厚くなっていても、お嬢様の指先はすらり美しい形を保ったままだった。


 だけれど、気が付くとその震えはお嬢様の全身に及んでいた。

 私が慌ててお嬢様の側に行き、お嬢様を抱きしめる。

 とにかく、あのカタカタと洞窟の中の骸骨が冷たい風に吹かれたときのような震え方はただ事じゃないと思ったのだ。


 お嬢様の震えはとまらない。


 そして、お嬢様の花びらのような完璧な形の唇はなにかを私に伝えようと必死にぱくぱくと動く。


「どうしたんですか、お嬢様。お嬢様……返事をしてください!」


 気丈なお嬢様がこんな状態になるなんて今まで見たことがなかった。

 お嬢様は必死に何かを言おうとしているのに、私には聞き取ることができなかった。


 そして、お嬢様は私に手に持っていたすみれ色の手紙を渡すと静かに目を閉じたのだった。

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