第11話

「ほら、今日はケーキを焼いたのよ」


 お嬢さまは歌う言って、私をキッチンにひっぱていく。

 足どりはダンスをするときのように軽やかだ。

 なのに、タンタンと床を蹴る音が聞こえるのは、きっとお嬢さまがわざと音を立てているに違いない。


 王太子の婚約者であるときのお嬢さまには足音なんて存在しなかった。マナー違反だから。

 レディーは足音をたててはいけないと、小さな頃から言い聞かされた。私は本当に小さなころ、お嬢さまがあの嬉しそうにタタタッと小さな足音をたててかけてくる瞬間が好きだったのに。


 ある日、それを見とがめられからその楽しい音はこの世から消えてしまった。

 よく、あのクソ王太子はお嬢さまが音もなく歩かれるのを「幽霊みたいだ」なんてけなしていたらしい。それがあの王国のマナーだというのに。

 一方で王太子がお嬢さまと婚約破棄する原因となった異世界から来たあの美夢という少女。あの少女は学園の廊下を遠慮無くバタバタと音を立てて走り回っていたという。


 学園に通っていたお嬢さまが「私、幽霊みたいかしら?」とか「自由に廊下を走ったら楽しいでしょうね」とか、ぽつりとつぶやくのを聞く度に胸が痛んだ。


 だけれど、今のお嬢さまには足音がある。

 以前のお嬢さまなら、たとえ、足音をたててもいいって状況になっても。足音をたてることは無かっただろう。

 お嬢さまは変わった。


「ねえ、味はどうかしら?」

「とっても美味しいです。素晴らしいです」

「まだ、食べてないでしょ」


 私がフォークを手にケーキに手を着けずに返事をするのでお嬢さまはあきれて笑った。


「食べ物というのは味だけでなく目でも楽しむものです。それにお嬢さまの作ったものならなんでも素晴らしいに決まってます」


 そう、反論する。

 だって、食べるのがもったいなかったのだ。お嬢さまが作ってくれたケーキ。しかも、これを食べられるのはお嬢さまと私だけ。

 見た目は完璧だった。たぶん味も完璧だろう。お嬢さまはなんでも完璧にこなすから。


 王太子がなんであんな異世界からきた黒髪の少女を選んだのか理解できない。

 まあ、実際のところはお嬢さまを選んでいたらいろいろ不都合があるのだけれど。

 でも、あんな少女一人で王国はなにが変わるというのだろうか。

 魔法が使えるとかいうけれど、以前学園でみかけたとき魔法を使っている様子からしたら大したことなさそうだった。あんなの、私だって使える程度のもので失望したのを覚えている。


 私はフォークを動かしケーキを一口食べる。

 やっぱり美味しい。ほら、食べなくても分かった完璧だ。


「美味しいです。お嬢さま」


 私がいうと、お嬢さまは「よかった」と笑ったあとにこういった。


「ねえ、ソフィー。その……お嬢さまっていうのそろそろやめてくれない」

「えっ?」


 どういうことだろう。もしかして、私はクビになるとか?

 もうお嬢さまを「お嬢さま」と呼ぶなっていうのはそういう意味だよね?

 私は苦しさと混乱でいっぱいになる。

 お嬢さまが私をクビにするようなそそうはしてないはずだ。

 まさか……お嬢さまは自分が“男”だということに気づいてしまったのだろうか。

 それで、黙っていた私のことももう信用できないから……。


 どうしよう、言葉がでてこない。

 言い訳なんてできない。


 裏切られたと思って当然だ。こんな大切なことを黙っていたのだから。言葉がでてこないかわりに、涙があふれてきた。

 だめ、こんなところで泣いては。泣いて同情をひこうとしているみたいでかっこ悪いしずるい。

 私は必死に上を向いて、涙がこぼれないように耐える。

 だけれどお嬢さまは、


「やっぱりケーキ美味しくなかった?」


 と心配そうな顔をする。


「いえ、ケーキじゃなくて。お嬢さまが……私を、クビって……」

「えっ?」


 今度はお嬢さまが鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔をする。

 あのお嬢さまがこんな表情をするなんてびっくりというくらい、鳩だった。


「私がどうしてソフィーをクビにするの?」

「だって、もう『お嬢さま』って呼ぶのをやめるように仰ったじゃないですか」


 お嬢さまはそれを聞いて、優しく微笑んだ。


「ええ、言ったわ。でもそれは『お嬢さま』って呼ぶのをやめて、また昔みたいに『マンディ』って呼んで欲しかったの。ここでは私はもう公爵令嬢でも王太子様の婚約者でもない。ただの普通の『マンディ』って呼んでほしくて……それに私があなたをクビにするなんてこと絶対にないわ」


 そういって、お嬢さまはまたハンカチを取り出して私のにじみかけた涙を拭いてくれた。

 今日のは古びていない新しいものだ。

 刺繍も美しい。


「これ、あなたのために刺繍したの。さっそく役に立ったわね」


 そう言って、お嬢さまはすごく優しく微笑んだ。

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