第10話
「お嬢さま、ジャムは何味にしましょう」
「そうね、薔薇がいい」
懐かしい会話を久しぶりにした。
小さな頃はこうやって、毎朝、お嬢さまのジャム選びを手伝った。
だけれど、学園にはいってからは、お嬢さまは美容のためといって、できる限りお砂糖を控えることにしたらしく、こうやってジャムを口にすることはなくなったのでその仕事もなくなった。
あれ、おかしい。
久しぶりのせいか、ジャムの瓶が開かなかった。
ジャムが悪いのか、久しぶりのせいなのか。
とにかく、蓋が固くて開かない。
久しぶりなのに、なんだか情けなくて悔しくなる。
子供のころみたいに和やかな時間を過ごしたいのに、それが私のせいで再現できないなんて。どうして、この瓶の蓋はこんなに固いの。どうして、私は瓶の蓋一つまともにあけることができないの。
こんなことで、これから色んな困難にであうお嬢さまの側にいる資格が私にあるといえるのだろうか。
お嬢さまを側でささえるどころか、お嬢さまの足手まといになってしまうのではないだろうか。
私が必死にうんうんいいながら瓶の蓋を引っ張ってみたり、エプロンの端で巻いて回そうとしていると、
「あらソフィー大丈夫。ちょっと貸して?」
お嬢さまはそう言って私からジャムの瓶を取り上げてあっさりとあけてしまったのだ。
私があれほど手間取っていたのがまるで嘘みたいに。
ああ、お嬢さまは本当に成長している。
昔は、瓶の蓋をあけるどころか。ジャムの瓶を持つことさえも許されなかったというのに。
涙がこみ上げてくる。
最近、何か変だ。
こう感情が抑えられないというか。
今までの自分じゃ考えられない。
ちょっと前までは、アマンダお嬢さまの一番の信頼を得た侍女として屋敷の中でも私を恐れる同僚もいたというのに。
今の私は瓶の蓋ひとつあけることができない、見習い以下の役立たずだ。
そう思うと、悲しくて。苦しくて。
頑張って堪えようとしたのに、涙の粒を一粒、ぽろりと落としてしまった。
「ソフィー、どうしたの? どこかいたいの?」
私が涙を落とした瞬間、お嬢さまはあわてた様子でハンカチを差し出してくれた。
刺繍の入ったハンカチ。
だけれど、そのハンカチはアマンダお嬢さまがもつには、酷く粗末なハンカチだった。
そして、私はそのハンカチに見覚えがあった。
これは、子供のころに私が刺繍を入れたハンカチ。
お嬢さまから刺繍を教わり、お嬢さまのためにと、へたくそながら一針ずつ丁寧に塗った刺繍のハンカチだった。
「お嬢さま……これは……」
いくら追放されたからといって、このハンカチを使い続けなければいけないほどお嬢さまは追い込まれたりしていない。
それに追放の真相が真相だけに、お嬢さまには十分な生活が送れることを約束されている。
万が一、公爵家の財政が逼迫していたとしても、こんなハンカチふつうなら既に持っていないはずだ。
「い、いや。この前、出てきたの。そう、実家から送ってもらったトランクに紛れてね。それで、使わないともったいないし。懐かしいし……それにこれはソフィーが……」
お嬢さまは最後のほうはもにょもにょと言葉を濁した。
こんなものまで持っていてくれたなんて。
私は涙がこぼれるのにも関わらず、そのハンカチを使うことができなかった。
「もう、ソフィーったら。ハンカチを渡した意味がないじゃない」
そうお嬢さまは私のことをしかったけれど、お嬢さまの目の端にも小さな虹色の滴が浮かんでいた。
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