追放令嬢、男になる

第1話

「お願いです、クマノミ沼の魔女さん。あなたしか頼れる人がいないんです」

「……無理じゃ」

「そんな、あなたに助けてもらわないと私には破滅エンドしかまっていないんです。私を男にしてください!」

「無理なものは無理じゃ。さあ、さっさと帰ってくれ」

「でもっ……」


 バタンッ!


 古い木製の扉は閉ざされ、ご丁寧に錠前までかける音が聞こえた。

 これはどうやって頼んでも無理だ。

 私は公爵令嬢として社交の場で学んできた経験から悟った。

 相手は完全に私を拒否していた。ならば、どんなに金を積んだり、脅したりしても無理だ。


「だめだったわ」

「でしょうねえ……」


 待たせていた侍女のソフィーに言うと彼女は悲しげにため息をついた。ソフィーは最初からあまり期待はしていない様子だったけれど、やっぱりその結果を聞けば悲しそうな顔をしてくれた。

 ソフィー小さなころから、姉妹のように育った一番お気に入りの侍女だ。誰よりも私のことを理解して大切にしてくれている。


 魔女のところに行ったなんて本当は、人に知られたら外聞が悪い。

 それでも来たのは最後の希望だと思ったからだ。

 でもダメだった。

 魔女というのは頑固なのだ。一度だめといったら、だめだろう。


 本物の悪者なら、きっと召使いをつかって、魔女の家の扉を破壊し、誘拐でもなんでもして自分の望むものを手に入れようとするのだろうが、私にはそれはできなかった。


 万策尽きた。

 きっと私は明日、悪役令嬢に仕立て上げられ、断罪される。


 □■□■□■□■□


 公爵家に生まれた私は何不自由なく育った。

 贅を尽くしたドレス、最高の教育、最先端の美容法。

 小さなころから絹のドレスを着せてもらい、何か国語もの言葉ではなしかけられ、ミルクと薔薇の香油を丹念にすりこまれた。


 すべては、王太子との結婚のため。


 私の人生は常に最高のもので満たされ、人生のルートは決まっていた。

 物語みたいな冒険をしたいとか、普通に恋をしてその相手と結婚したいとか、思ったことがないわけではない。

 今だって、時々想像する。平民の家に生まれて、旅にでたり、何気ない日常をすごすことを。


 けれど、私の人生が、そして家族が最高のもので満たされていたのは、私がこの国の王太子と結婚するおかげでもあるのだ。

 今更それらを手放すことは、私も家族もできないだろう。

 そう思ってずっと我慢をして生きてきた。

 得るものの方が大きいから。

 私一人のワガママで変わってしまうことが多すぎるから。


 転機が訪れたのはおそらく三年前のことだ。

 私の人生の歯車がずれ始めた原因はたった一人の少女の存在せい。

 彼女は突然現れた。そして、貴族でもないのに私の通う学園に生徒として迎え入れられた。本来は、この国の貴族と一部の優秀で身元が確かな人間だけが入学をゆるされる学園に、彼女はある日突然あらわれて、そのまま学ぶことを許されるという異例中の異例の存在だった。


 真っ黒な美しい髪に異国の言葉を話す少女。

 この国では私や王太子のようなブロンドが好まれるのに、彼女は黒髪でも愛らしかった。

 彼女は『日本』という国からやってきたらしい。

 名前は美夢といった。

 王太子は瞬く間に、彼女に目を奪われ、惹かれていった。


 確かに可愛らしい少女だった。


 王太子が彼女を気に入ったなら、それは仕方がないことだと思っていた。

 おかしなことに、私は王太子が自分以外の人間と恋愛しようとどうでもよかったのだ。

 私はなぜか、王太子に恋愛感情というものを抱かなかった。子供の頃から婚約者だったが、結婚というものに憧れがちな幼少期や少女時代であっても、私は王太子に対して一度も甘い感情を抱いたことがない。

 確かに王太子は大抵の少女が夢にみるような容姿をしていた。

 太陽の光を紡いだような金色の髪、サファイヤのような青い瞳、すらりと高い身長に整った顔立ち。この国で美形とされる条件はすべて備えていた。

 隣国の姫たちの間ではこっそり王太子の絵をとりよせてロケットペンダントに入れるのが流行っているというくらい、少女たちの理想の初恋の相手そのものだった。


 性格だって、優しいし、笑顔だってとってもチャーミングだ。


 だけれど、私は王太子に少女たちのように恋をすることができなかった。


 ただ、あるのは未来への重責と畏怖だけだ。


 日本という国からきた美夢ミユと王太子が仲が良いのはちょっとうらやましいと思いはした。だけれど、それは王太子と仲が良いのではなく、気に入った異性がいて、その相手と仲が睦まじいというのに憧れを感じただけだった。

 そう、あのとき誰がみても分かっていた。

 王太子は美夢に恋しているって。


 きっとこのままいけば、美夢は王太子の側室として迎えられることは分かっていた。

 別に側室なんて珍しいことじゃないし、王太子に恋愛感情がない私にとっては、嫉妬という感情さえも湧かなかった。

 私は何て冷たい人間なのだろうと悩んだりもした。けれど、そんな冷たい人間を妻にする王太子がちゃんと温かい女性を側室に迎えられるならよかったとさえ思っていた。


 美夢は非常に周囲から好かれていた。王太子だけでなく、生徒会長やら、王太子の側近。そんな学園でも人気と信頼のある人間は次々と彼女の虜になったし、それを見た他の生徒もだんだん彼女に惹かれていった。


 実は、私も彼女と仲良くなってみたいと思ったこともある。だが、王太子の婚約者という立場から彼女に話しかけることはできなかった。

 彼女は私に話しかけられたら気まずい思いをするだろうと思ったのだ。

 王太子が他国の姫君からあれだけの人気があるのに、王太子の側に立てるのが私と美夢だけなのは、それだけ私を恐れている人間がいるという話を聞いた。

 ただでさえ異国からきて心細い少女をおびえさせてしまっては可哀想だと私は考えたのだ。


 私は、美夢が現れる前も後も変わらずに、周囲から求められる役割通りに王太子の婚約者としての日々を過ごした。

 生徒は基本的に寮に住むこととなっているのに、王太子の婚約者の身の安全を守るためと言う理由で、実家である公爵家から学園まで通っていた。

 友人は信頼できる幼い頃から家族ぐるみのつきあいがある少女を何人かだけ。

 誤解を生まないように、男子生徒っとはできるだけ接触をせず、必要とされるときは礼儀ただしく振る舞った。


 私の好みや意思、希望なんて関係ない。

 ただ、王太子の婚約者として求められる姿でいるための振る舞いだった。


 だけれど、最近不穏な噂が耳に入ってくるようになったのだ。

「王太子が私の婚約を破棄し、美夢と婚約する」

 という。

 まるで物語の中の世界のように情熱的でロマンチックだ。

 恋敵の絶対に無碍に出来ない令嬢との婚約を破棄して、本物の恋をした少女と結ばれるなんて、最近読んでいる小説にもそんな内容があった。


 ただ、私は王太子に恋愛感情はないけれど、この状況は放っておけなかった。


 私と王太子の婚約はそう簡単に破棄できるようなものではない。

 一国の王家と名門の貴族の婚姻だ。

 この結婚は国をより豊かにするための戦略のひとつでもあるのだ。

 他国の姫君ではなく、我が公爵家をわざわざそのために選んでいるのにはちゃんと理由がある。


 そう、この国で最も大切にされているお告げだ。

 そのお告げによって、私は王太子の婚約者に選ばれた。

 本当は没落貴族だったのを私が王太子の婚約者に選ばれたことによって、我が家は適当な理由をでっちあげて公爵にまで引き上げられた。

 つまり、私は公爵家の令嬢といっても実家というものすごい後ろ盾があるわけではないのだ。すごそうな後ろ盾は、国が用意したただの張りぼて。

 私が王太子と婚約破棄となればあっというまに、我が家は再び没落貴族となるだろう。


 お告げという神聖なものによる婚約なのだから、誰もその破棄なんてさせないはずだった。


 だけれど、王太子は美夢によほど惚れているか、私のことが余程嫌いらしい。


 王太子は私と婚約破棄するのに十分な私の悪事の証拠を集めたと今朝話をしているのを聞いてしまった。


 全く身に覚えはない。


 なんせ、古くからのお友達とだけつきあい、王太子の婚約者としてだれにでも礼儀正しく接して、授業が終われば家に帰っていたのだから、余計な他人とトラブルを起こしたりする暇などないのだ。


 全部でたらめだ。


 なんとか対処しようとしたがだめだった。

 私が婚約破棄されれば立場のあやうい父でさえ「そうか、もうそのときが来たか」なんて、言って涙を流しただけだった。

 本当に頼りにならない。

 こんなんだから、我が家は没落していたのだろう。


 最後の頼みの綱が、クマノミ沼の魔女だった。

 私が男になってしまえば、婚約はなかったことになるだろう。

 もう、なんの方法も思いつかない最後のやけっぱちの作戦だった。


 この方法であれば婚約は破棄になったとしても、私がなにか悪事をはたらいたのではなく、男になったからというどうしようもない理由であれば表だって公爵家を冷遇したりすることはできない。


 苦し紛れだけれど、他に打てる策はなかったのだ。



 そして、それもだめだったとなると……たぶん、私は明日の学園の卒業パーティーで多くの人の前で断罪されて、婚約を破棄される。

 万事休すだ。

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