第4話

「どうしてこの前は手を振って下さらなかったのですか?」


 旦那様は気のせいだろうか。少し寂しげに仰った。

 蝶よ花よと育てられた人間というのは普通、余裕と自信を持つものではないだろうか。お飾りの妻に無視されたとしてもこんなにシュンとしおれることないのに。


「すみません、お辞儀をしたつもりなのですが、見えませんでしたか」


 一応、雇用主であるので謝罪をすると、旦那様はぶんぶんと首を振る。まるで、大型犬のようでちょっとだけ可愛らしく思えてくるから不思議だ。


「いえ、貴方を責めている訳ではありません……ただ、妻が夫に手を振られたのだから振り返してくれれば良いのにと……」


 ちょっと言葉を濁しているのがなんとなく意地らしく、ちょっとだけ幼い子供をみているような気分になる。


「だって、あちらのお屋敷には旦那様の愛しい人がいらっしゃるのに。その方にあらぬ誤解をされたら大変です」


 私がそういうと、旦那様はとても寂しそうな顔をした。なにか悪いことをしたのだろうか。期待に添えなかったのだろうか。


 私は必死に考える。


 あれ?? もしかして、私は手を振り返して旦那様の愛する方を嫉妬させるのも仕事なのだろうか。

 てっきり対外的なお飾りとしての妻をもとめられているだけだとおもっていたのだが、もしかして旦那様と愛する人の恋の炎を燃え上がらせる役割も期待されているのかもしれない。


 しまった。やってしまった。


 自分の役割を十分に理解していなかったなんて恥ずかしいと同時に申し訳なくなった。

 こんなによき仕事お飾りの妻業賃金実家の支援と生活、そして同僚優しい屋敷の人々を旦那様が提供してくれているのに、私ときたら……。


 私は必死で旦那様雇用主の手を両手で掴み、懇願した。


「次からは、きっと、手を振りますわ。だから、チャンスを下さい!! 」


 すると旦那様はちょっとびっくりした表情のあと、嬉しそうに笑った。


「ええ、期待してますね」


 もちろん、雇用主の期待に答えて見せましょうとも!

 私は心の中で「えいえい、おー」っと気合いを入れた。

 ちょっとばかり貴族の令嬢らしくなく、お飾りの妻としてあれかなあと思ったりはしたけれど、期待に応えたかったのだ。


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