第3話

 お飾りの妻としての日々は悪くはない。

 いや、むしろすごく幸せだと思う。


 大きくてふかふかな寝台で目覚めて、窓の外の方別邸をみてため息をつき、午後には一番眺めの良い部屋で可愛らしい家別邸を見ながらお茶をし、夜またこの屋敷の主寝室の大きくてふかふかな寝台で眠りにつく。


 そして、時々、旦那様がどうしても必要とするとき妻のフリをする。

 基本的に、そのどうしても必要なときはないので、私はただ、幸せな生活をするだけで、実家の支援と生活を保障されるのだ。


 こんなに結婚生活お飾り妻ライフが存在していいのだろうか。幸せすぎて怖い。

 こんなに幸せだと何か悪いことが起きるのではないかと思うくらい幸せだ。


 だけれど、今日は怖い夢をみた。

 昔の夢だ。


 私は幼い頃、誘拐された。

 あの頃は我が家も今ほどは没落していなかった。

 あの事件がきっかけかもしれない。私の家が没落したのは。

 私を誘拐したやつらは莫大な身代金を要求した。


 普通の貴族でも少々ためらうくらいの金額を。

 しかも、うちは元から貧乏だ。

 でも、私の両親はなんとか方々から金を借りて工面してくれた。

 借金貴族のできあがりだ。

 おかげで私はこうして生きているわけだけれど、生活は前よりも質素になった。


 その後も領地で不作が続いたり、戦争が起きたりと良くない時代が続いた結果、我が家の借金はひどいことになっていった。


 本当はあのとき、私が殺されていれば我が家はこんな酷い借金を背負うことがなかったのではないかと何度自分を責めたことだろう。


 誘拐されたときのことはおぼろげだ。

 ただ、怖くて仕方がない。

 たぶん、私の男嫌いはここからきているような気がする。

 それより先のことはおぞましくて考えたくもない。いや、考えてはいけない。

 そして、あの頃の普通の生活のことはおぼろげどころか前後のことは何も覚えていない。


 忘れてしまったのだ。


 質素だけれど、今よりマシな生活をしていたこともなにもかも思い出せない。

 ただ、子供の頃に着ていたドレスやアクセサリーを売り払うときに母が少しずつ私に思い出を聞かせてくれたのが生活レベルを推し量る基準だ。


「これはね、貴方が生まれて初めて着たドレス」

「この空色のドレスはね、おじいさまからのプレゼント」

「このスズランの花のドレスはね、貴方の幼馴染からのプレゼント」


 母はそう説明したあと、これらの宝物を手放してよいかと私に尋ねた。こんな子供の服も手放さなければいけないほど、私の家は困窮していた。

 だけれど、そんな思い出のものであるはずのドレスたちも、私にとってはなんの思いもないただの着られない服だ。


 私はただ、母に向かって首を縦に振り続けた。

 そんな私を母は複雑そうな表情でみつめていた。

 手放さなければいけないから私が簡単に了承するのはありがたいけれど、私がそれらのものになんの思いを持たないことに酷くショックを受けているようだった。


 だけれど、私は誘拐される以前のことは何も覚えていないのだ。

 許嫁がいたらしいけれど、誘拐によって婚約は破棄された。


 相手の家が私のことを「傷物キズモノ」と言ったのを父が怒って婚約を解消したらしい。


 男嫌いというか、男性が怖い今の私にとっては、婚約破棄はありがたかったけれど、もしかしたら、婚約がつづいていれば相手の家からの援助も受けられて我が家はここまで没落しなかったのではないだろうかと思うと心苦しかった。


 何度思ったことだろう。

 あのとき、私が誘拐されていなければ。

 あのとき、両親が私を助けようと無理矢理お金を工面しなければ。

 あのとき、「キズモノ」と呼ばれても婚約を続けていれば。

 こんなに没落せずに、両親を苦労させずに済んだのではないだろうかって……。


 だから、こうやって今、旦那様の側でお飾りの妻をさせてもらえるのは幸せだ。

 男性が苦手な私はきっと誰かとまともな結婚生活をおくるなんてことはできないから。

 旦那様のお飾りの妻として、ただ静かな生活を送るだけで実家を援助してもらい、私の生活も保証される。


 これ以上、望むものなんてない。

 宝石だって、ドレスだっていらない。


 ただ、なぜだろう。子供の頃に手放したあの真っ白な生地にスズランの花が描かれたドレスだけはもう一度手にとってみたいような気もする。子供のものだからそんなに高い値はつかないだろうけど。私のものにならなくてもいい。ただ、もう一度だけ、あのドレスに触れてみたい。


 そんな風に思わせるのはこの屋敷のスズランを毎日みている所為なのだろうか。


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