第33話 あー


 十二月中旬。

 季節はすっかり冬になり、朝方と夕方はコートがないと外へ出られないほど寒い。


 今日は期末試験最終日。

 一年を締めくくる最後の戦いを終えて帰宅した僕は、杏奈に解答を見せて採点してもらっていた。教科書を開いたりするより、こいつの頭の方が余程正確だし早い。


「こことこことここは間違えてるけど、あとはおっけーだね」

「……マジか。結構自信あったんだけどな」

「真白は十分頑張ってるよ。焦らずちゃんと問題文読めば、次はちゃんと解けるって」


 といった具合で採点が進行していき、十分ほどで終了した。

 結果は思っていたよりもいい。まだ順位は出ていないが、十位以内には収まっているだろう。


「どうする? 今日も勉強する?」


 杏奈からの提案に、僕は「いや、今日くらいはいいだろ」と返した。


 次の試験は来年だ。冬休みもあるわけだし、今から全力投球したって仕方がない。

 何より僕の頭はもう、この四日間の試験で使い尽くしている。ちょっとくらい休憩したって、文句は言われないだろう。


「それより、実家からいいものが届いたんだよ。手が空いたら設置しようと思っててさ」

「あ、それ? ちょっと前からあるよね。何かなって気になってたんだ」


 部屋の隅に置いていたデカい段ボールを引っ張り出して、カッターで封を切った。

 中身はこたつ布団とこたつ用のヒーター。うちの姉が昔、自分たちの部屋で使っていたものらしい。


「こたつじゃん! あるなら早く出してよ!」

「お前、こたつの魔力知らないのか。こんなのに足突っ込んだまま、勉強なんてできるわけないだろ」


 世界平和を実現させたいなら、戦争やってる連中にこたつを配ればいい。……というのはうちの爺ちゃんの名言だが、本当にこたつの力は凄まじい。やる気というやる気を吸われて、眠りへと誘う。


「あたし、こたつって入ったことなんだー! ねっ、早く設置しよ!」

「そうだな。じゃあ、杏奈はそっちを持って――」


 ほどなくして、作業はあらかた終了し。

 事前に購入していたみかんをテーブルの中心に置き、こたつが完成した。


「ふぁー……、すっごーい。ちょーいいじゃん、これ」


 僕の向かいに座り、早速とろけていた。

 わかるぞ、その気持ち。何なんだろうな、この心地のよさは。ただ下半身を温められてるだけなのに。


「みかんも食っていいからな」

「ありがとー」


 やっぱりこたつには、これがなくちゃ始まらない。

 皮を剥いて、白い筋を取っていく。食べられるのはわかっているが、昔からこれが妙に気になる。


 ふと視線を上げて、杏奈に目をやった。

 頬をテーブルに着けて至福の表情を浮かべていた彼女は、僕と目が合うなりぬっと首を持ち上げ、小さく口を開いた。


「え?」

「あー」

「いや、あーじゃなくて……」


 言いたいことはわかる。

 僕が剥いているこれを寄越せ、という意味だろう。


「ちょっとだけだぞ」


 ため息を漏らして、一切れのみかんを差し出した。

 艶やかな唇が更に開いて、白い歯とぬらりとした舌の先が見えた。杏奈はみかんを唇で受け取ると、顔を上へ向けて重力に任せ口内へ運ぶ。


 もぐもぐ、とゆっくりと咀嚼し。

 ごくりと飲み込むと、


「あー」

「やだよ。自分で剥け」

「あー」

「……」


 仕方がないので、もう一切れ与えた。

 食べている様が可愛くて、甘やかしたくなってしまう。


「こたつってすごいねー。学校の机にも付けてくれればいいのに」

「授業にならなくなるだろ。昼飯の後とか起きてられないぞ」

「えー? 教科書てきとーに読んどけばいいじゃーん」

「世の中、みんなお前みたいな頭してないんだよ」


 今にもとろけてなくなってしまいそうな杏奈の顔を見つつ、みかんを頬張った。

 瞬間、杏奈の足先が僕の内ももを撫でた。ぞわぞわとした刺激に、僕はゴフッとむせる。


「や、やめろバカ!」

「えー? ふふふっ、やーだ」


 杏奈のつま先は餌を探す蛇のように僕の足を這い、ゆっくりとのぼって来た。

 鼠径部まで行き着いて、局部までもう数センチ。そこで足はピタリと止まって、するすると来た道を戻りニシシと笑う。


 一瞬、心臓が止まるかと思った。

 勘弁してくれ、童貞をおちょくるのは。


「期待した?」

「し、してない……!」

「うっそだー」


 言いながら、こたつの中に突っ込んでいた手で僕の足の裏を掴んだ。そのまま軽く、自分の方へと引き寄せて、


「……へへっ」


 熱っぽい笑みを灯して、パッと手を離した。

 あたしは期待している、と言いたげな顔に、僕の羞恥心は限界に達しこたつから飛び出す。


「きょ、今日は鍋の予定なんだ。用意するから、適当に時間潰しといてくれ」

「はーい」


 杏奈に背を向けて、ホッと一息つく。


 先月の一件。

 僕が本心を曝け出したあの日から、僕たちの関係は友達でもなければ恋人でもない、宙ぶらりんな状態が続いている。


 僕からガツガツ行ければ何の問題もないが、生憎そんな積極性は備わっていないし、やっぱり今の生活が惜しい。

 結局これまで通り、杏奈からちょっかいを出されるばかりなのだが、向こうは頑なに一線を超えようとしてこない。


 好きだと、お互いに言い合っただけ。


 これで本当にいいのだろうか。

 そんな解決策のない疑問を抱きながら、キッチンに立つ。




 ◆




 鍋を食べ終え、一息つく。

 杏奈はスマホをポチポチ、僕は読んでいなかった小説に目を通していた。


「ねえ」


 唐突に声を掛けられ、僕は少し遅れて「ん?」と声を返した。小説に目を向けたまま。


「明日だけどさ」

「うん」

「前にバイト入れないでって言ったよね」

「あー、そうだな」


 先月末、期末試験後の土日は空けるように頼まれた。

 理由は教えてくれなかったが、文化祭で結構な収入を得たため、僕は二つ返事でオーケーした。


「明日、星見に行くから」

「あ、うん。…………ん?」

「泊まりで」

「……あの、ちょっと、杏奈さん?」

「なに?」

「なに、じゃなくて。なに言ってるんだ?」

「約束したじゃん。期末試験終わったら、本物の星見に行くって」


 記憶を辿ること、数十秒。

 ……確かに言った。杏奈に連れて行かれた、あの洒落たバーで。


「何でもっと早く言わないんだ!? ちょっとくらい相談してくれよ!」

「期末試験前に言ったら、真白、動揺しちゃってテストに支障きたすかなって。二人でお泊りだし」


 確かにそれはそうだし、気遣い自体はありがたいのだが……。


「泊まりとか聞いてないぞ。何でそうなるんだ」

「色々調べたけど、電車とかバス使って、日帰りで星見に行くとか無理だったの。そりゃ、あたしたちが車動かせたら話は別だけどさ」

「……もしかして、もう宿とか取ってあるのか?」

「うん。よさそうなキャビンをね。値段も手ごろだったよ」


 この際、値段のことはどうでもいい。

 泊まり? こんないきなり? 正気かこいつ。


「それで……その、忘れないよう今のうちに宣言しとこうと、思うんだけど……」


 視線を伏せて、もじもじと身体を揺する杏奈。


「明日、大事な話があるから」


 そう言って立ち上がり、「準備あるから部屋戻るね」と手を振り去っていった。


 ……二人だけのお泊りで、大事な話?


 期待すればいいのか不安がればいいのかわからず、僕は熱くなった頬を隠すようにテーブルに突っ伏した。

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