第25話 ほんのちょっと入るだけ


 制服に着替えた杏奈と教室を出て、僕たちは家庭科室へ向かった。

 置きっぱなしの僕の荷物を取りに行くためだ。


「な、何かごめんね」


 唐突に謝罪を受け、僕は「は?」と返した。


「うちのクラスの子が色々言っちゃって。名前のこと、違和感あるなら苗字呼びで全然いいし!」


 と、気を遣うように笑って見せた。

 ああやって囃し立てられて、なし崩し的にこうなってしまったことを気にしているのだろう。


「いいよ、気にしてないし。真白って呼ばれて……ちょっとむず痒いけど、嬉しいし。だから、お前がいいなら杏奈って呼ぶよ」

「うぉおおおーーーー!!」

「わぁ!? な、何すんだ!!」


 突然ミサイルのようにタックルされ、そのまま腕に絡みつかれた。

 意味不明な行動に思わず怒鳴りつけると、反省のはの字もない顔でうへへと唇を緩める。


「真白真白真白ぉー!」

「は、はぁ?」

「三回呼んだんだから、真白も三回杏奈って呼んで! ……あ、今もう一回言ったから四回ね!」

「お前、数秒前までちょっとテンション下がってたじゃねえか。一気に元気になり過ぎだろ」

「好きーってなったら、好きーって感じで身体が動いちゃうの。大好きだよ、真白。あ、今ので五回!」

「……杏奈杏奈杏奈杏奈杏奈。はい、五回言った」


 まったく心がこもっていなかったのに、杏奈は「杏奈でーす!」とご満悦で僕から離れ、その場でくるくると回った。

 こいつのアホな言動を見ていると、昔近所の人が飼っていたポメラニアンを思い出す。こんな感じで、とにかく忙しなく動いて愛情表現するアホの子だった。


「ところでさ、真白は今日バイトないんだよね?」

「うん。明日の準備する必要あったし」


 今日だけでなく、明日と明後日もシフトを入れていない。

 文化祭で大きな利益を出せば、その分だけ僕の財布も潤う。戦いに備えるため、余計なところで体力を使っていられない。


「じゃあ、夜の学校探検しようよ!」

「は?」

「どうせ文化祭、一緒に回れないんでしょ? 今日は夜までいても怒られないから、普段絶対できないことやらなきゃもったいないよ! 肝試しとか!」

「ま、待て。それはちょっと――」

「化学室とかよくない? 雰囲気あるし!」


 再び腕の主導権を奪われ、引きずられるように前へ進む。

 暗がりや不気味な空気……そういったホラー的な要素がとても苦手だと言い出せないまま。



 ◆



 真白を連れて化学室のある棟に入ると、かなり雰囲気があった。


 このあたりは文化祭中も開放されておらず、そのため出店などを準備する生徒もいない。明かりも点いておらず、廊下には外の街灯と月の光がわずかに差し込むだけ。火災警報器の赤い光と非常灯の緑の光が闇を強調し、いっそう空気を冷たくする。


「季節外れの肝試しってのもいいね」

「……ぉ、ぉぅ」

「鍵開いてるかなー。どっかのクラスが文化祭での荷物置き場に使ってるって言ってたし、たぶん大丈夫だと思うけど」

「……ぅぅ」

「っていうか、何かあたしにくっつき過ぎじゃない? もしかして真白、あたしのこと好きになっちゃった?」

「……」


 返事がなかった。

 代わりに、ギュッとあたしの制服の袖を握り締める。どこへも逃がさないとでも言うように。


「もしかして真白って、怖いの苦手系の人?」

「そ、そうだよ。悪かったな。ホラー番組とか見たら夜にトイレ行けなくなるし、シャンプーしてる時に後ろが気になって仕方なくなったりするんだよ!」


 口調こそ力強いが、その目は完全に怯えており手はプルプルと震えていた。

 申し訳ないことをした、と思う。ひとの嫌がること、まして好きな人の嫌がることはしたくない。


 ……だけど、それ以上に。


 可愛い。暗いくらいのことで怖がっている真白が、可愛くて仕方ない!

 どうしよう、これ。この人、普段わりと余裕ありげな態度取ってるから、余計に可愛く見えてしまう。ずっとここにいたい。願わくば、理科室に閉じ込めて困らせたい。


「ほ、本当に入るのか? 勝手に入ったら怒られるんじゃないのか?」

「誰もいないしバレっこないよ。それとも、暗い廊下を一人で歩いて帰れるの?」


 案の定化学室の鍵は開いており、ガラッと引き戸を開いた。

 不安気な真白に意地悪を言うと、彼は今にも泣き出しそうな顔を一瞬覗かせて、余裕がなさそうにあたしの服をいっそう強く握る。


 ダメだ、可愛すぎる。

 好き過ぎて頭がおかしくなりそう。


「ちょっと入るだけ。ほんのちょっと入るだけ、だから」


 あたしは幽霊とか、そういうものは信じていない。

 それでも、夜の化学室は廊下以上に雰囲気があった。薬品のツンとした臭いも相まって、ガラス戸に反射した自分が何か不気味なものに見える。


「いきなり大声とか出すなよ。マジで僕、パニックになって窓ガラスとか割るから」

「そんなことしないって。――あっ、そういえばさ、こんな話知ってる?」


 大声は出さない。

 そんな芸のないことは、しない。


「うちの学校って結構歴史あるでしょ。その分だけ、事件とか事故もあるわけで。……何十年か前、ここでやばいことが起こったらしいよ」


 あまりにも怯えていて声も出ないのだろう。

 真白は口を薄く開いて、あたしを見つめている。


「当時イジメられてた生徒がいて、その人は化学の先生とすごく仲がよくってさ。その先生に相談したんだけど、結局はもみ消されて、イジメなんてなかったってことにされちゃって。……それでその生徒は、理科室の薬品を片っ端から飲んで死んじゃったんだって」


 ゴクリと、真白は唾を飲んだ。

 いつの間にかあたしの手を取り、手汗でぐしょぐしょにしている。


「んで、死体が見つかったのが……ちょうど、真白が立ってるとこだよ」


 当然これは作り話。定番のオチで締めて、真白につられて足元へ視線を落とす。


 ……すると、目が合った。


 真白ではない。

 長方形の大きなテーブルの下に、制服姿の誰かが横たわっていた。


 じっと、あたしたちを見つめて。


「「ぎゃああああああああああああああ!!!!」」


 広い教室に、あたしたちの絶叫が響き渡った。



 ◆



「ほんとすみません! てっきりカップルが……なんていうかその、アレなことをしに来たのかと思って。出るに出られなくて、ですね。驚かせるつもりとかは全然なかったんですけど!」


 出店の荷物を取りに来ていたという男子生徒は、そう言って自分のクラスに戻って行った。

 僕はすっかり恐怖心が冷め、盛大にため息を漏らす。


「さっきの話、嘘だろ。何十年か前とか言ってたけど、この教室ができたの最近だし」

「う、うん」

「ったく、嘘までついて僕を怖がらせて何がしたいんだよ。さっさと帰るぞ、今日も勉強会するんだから」

「そう、だね」


 教室の出口へ向かうが、杏奈はまったくついて来ない。

 もしかしてまだ探検をし足りないのだろうかと、若干苛立ちながら後頭部を掻く。


 すると、「ま、真白」とテーブルの陰から弱り切った声が聞こえてきた。ただ事ではない声に、僕は小走りで杏奈のもとへ戻る。


「……腰抜けちゃって、た、立てない……」


 そこには、涙目でプルプルと震える杏奈がいた。

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