第8話 それ、フラグっていうんだぞ
「お前、天城と付き合い始めたんだって?」
昼休み。
仕事のため早退する天城を玄関まで見送って、弁当を片手に二階の非常階段へ向かった。
先に菓子パンの袋を開けていた友人の
「誰だよ、そんなこと言い出したの」
平太の一段下に腰を下ろし、弁当を袋から取り出した。
「真白のクラスのやつが言ってたぜ。玄関でずっと、お前が来るのを待ってたって」
「い、いやあれは……」
教室中に響く声で、一緒に帰ろうと誘われたのだ。おまけに一時間以上玄関で待ちぼうけ。そういう噂が立っても仕方がない。
「いいのかよ。不純異性交遊したら、実家に連れ戻されるんだろ」
「誤解なんだって。あいつが勝手に僕と付き合いたいとか言い出して。無理だって断ったのに、勉強教えるから好かれるために努力させろとか、本当に困ってるんだ……!」
「変だな。俺には自慢にしか聞こえないんだけど」
「僕にとって一人暮らしがどれだけ大切か、平太ならわかるだろ? 天城には迷惑してるんだよっ」
「……まあ、お前んとこは色々強烈だもんな」
平太とは小学校からの付き合いだ。
当然、うちにも何度か遊びに来ている。それ故に、僕がどういう空間で寝起きし、どういう連中と日々過ごしていたかおおかた理解している。
「じゃあ、ハッキリ言ったのか? お前とは付き合えないって、好かれても困るって」
「そ、それは……」
「おいおい。いくら勉強教えてくれるからって、惚れさせにくる女子と一緒にいるのか? しかも、あんな可愛いのといたらどんな男でも揺らぐって」
呆れ切った声に、「仕方ないだろ」と返して弁当を頬張った。
「……試験の点数がやばかったんだ。学年トップの補助があれば、バイトで時間取れない分はカバーできると思ったんだよ」
「それにしたって、お前なぁ……」
「心配するな。僕は天城に惚れたりしない。そりゃ確かに可愛いが、ただの家庭教師ロボットだと思えば――」
「マジでサイアクッ!」
下から甲高い怒声。
そーっと息を殺して覗くと、二人組の女子がいた。一人は乱暴に校舎の壁を蹴り、もう一人は気怠そうにスマホを弄っている。
「パパ活してるって柳田にチクってやったのに、わけわかんないのが助けに入るし! しかも、今度はそいつと付き合うとか何なんだよっ! アタシらが手助けしたみたいじゃん!」
「やっぱさー、写真とかないと難しいんじゃない? ウチの友達に頼んで、それっぽいの作ってもらおっか」
「イイじゃん! ヤッてるとこの顔だけ天城にして、バラまいてやったら面白いかも!」
「あぁーそれウケる。でもそんなの、流石にあいつ退学になるんじゃない?」
「別にいいでしょ。チョーシに乗ってるんだし、これくらい」
ケラケラと笑う二人組。
平太は「俺のクラスのやつらだ」と申し訳なさそうに呟き、ため息を零して頭を掻く。
「あいつら、天城にそんなことしてたのか。教室じゃ全然、あんな感じじゃないのに。女子は怖えな」
「……」
「てか真白、何で動画なんか撮ってるんだよ。どうするんだ、そんなの」
「あとで柳田に見せようと思って」
撮影を止め、スマホをポケットにしまった。
最初の部分は撮れていないが、後半はバッチリ押さえてある。この映像を見せれば、生徒指導として動かざるを得ないだろう。
「家庭教師ロボットとか言って、ガッツリ肩入れしてんじゃねえか」
ニヤリと、平太は口角を上げた。
無駄にイケメンなため、たったそれだけで嫌に絵になる。そんな顔で僕を見るな、女子に向けとけ。
「ま、無理もないか。真白はお人好しだしな」
「……うるさい」
「もういっそ、付き合っちまえばいいんじゃね? お前の性格上、好いてくれるやつを突っぱねるなんて不可能なんだし」
「そ、そんなことない! 僕は絶対、天城に屈しないぞ!」
「それ、フラグっていうんだぞ」
呆れた声と共に、やれやれと肩をすくめる。
「ぶっちゃけ、天城が本気になったらどうしようもないだろ。裸で迫られたら、お前どうするんだよ」
「目を潰す」
「覚悟決まり過ぎだろ……」
「流石のあいつも、そんなことはしない思うけど。昨日だって、露骨な色仕掛けはされなかったし」
「わかんねえぞ。一晩泊めてくれ、くらいのことは言うかもしれねえし」
「自分の部屋が隣なのに? 僕のとこに泊まる理由がないだろ」
フンと鼻を鳴らして、大口を開けて弁当を掻き込む。
昨日は大丈夫だった。きっと今日も明日も、問題はない。僕と天城の間には、何も起こらない。
◆
午後八時。
バイトを終えて、その足でスーパーへ。
今夜の献立は、白米、酢豚、わかめと卵のスープ、杏仁豆腐。杏仁豆腐は冷やす時間がないため既製品を購入するが、その他は手作りの予定だ。酢豚は材料費が少々かかってしまうが、自分で作った方がずっと美味いから仕方ない。
酢豚の調理時間は、どれだけ手際よくやっても二十分程度。
食事の時間も考えると、早く帰らなければ勉強する余裕がなくなってしまう。
足早にアパートへ向かうと、ちょうど外付け階段で天城に会った。「あっ」と声を漏らすと、彼女は制服のスカートを揺らしながら振り向いて笑顔を咲かす。
「おかえり。バイト、今終わったの?」
「あ、あぁ。そっちこそ、おかえり」
重たくなってひしゃげていた背筋が、自然と縦に伸びた。
疲れ切った身体に、天城の笑顔はよく効く。不本意ではあるが。
「それ、晩御飯の材料? ほんとに酢豚作ってくれるの?」
「その予定だけど」
「やったー! すっごく楽しみだったんだー!」
軽い足取りで薄暗い廊下を行く天城。
無邪気な言動に、自然と頬が綻んだ。作る前からこれだけ喜んでくれると、どうしたって嬉しくなってしまう。安い豚コマで済ますなんちゃって酢豚ではなく、ちゃんと豚ロースを買った甲斐がある。
「着替えたらすぐそっち行くから、ちょっと待っててね」
「ん。こっちもすぐに飯作るか――」
言いかけて、口を閉ざした。
右のポケット、左のポケット、後ろのポケット。鞄の中身をひっくり返しても見つからない。部屋の鍵が、どこにもない。
ぶわっと、全身に冷たい汗が浮かぶ。
落ち着け。焦ってどうする。この程度のこと、生活していれば普通にあり得るだろ。
今朝は確かに鍵を閉めた。落としたのは学校か、バイト先か。それとも、道のどこかか。今から学校に入るのは無理だが、それ以外の場所ならまだ探せる。
「ど、どうしたの? 何かあった?」
「……鍵がない」
「えっ」
「これ、天城のとこの冷蔵庫に入れといてくれ! ちょっと探してくるから!」
「焦っちゃダメだよ、転んだら危ないし!」
「心配するな、そんな子供みたいな――」
と、階段を前にして。
足がもつれ、身体が大きく前に傾いた。
……あぁ、まずい。これ。
死んだかも。
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