俺は‥‥

『俺は‥‥ここで終わるのか』


 海に沈む中で怪物の意識が、いや基になった人間の意識が蘇ってきた。


『どうして‥‥どうしてだ、ホーエンハイム‥‥』


 思い起こすのは友と信じた男の裏切り。

 悲しかった、悔しかった、そして何より情けなかった。

 男はホーエンハイムを友だと思っていた。

 庶民だった男と貴族のホーエンハイムは共に同じ部隊に配属された。

 ホーエンハイムは貴族として士官学院を卒業して部隊に配属されたのに対し、男は志願兵として戦いに身を投じた。


 最初の戦場から激戦だった。味方の失態に寄り新兵ばかりの俺とホーエンハイムの部隊が戦場の最前線に駆り出されることになった。

 必死だった、生き残るのに。そして、気付けば生き残っていた。

 自分の手が真っ赤に染まっていたことに気付いたとき、思わず吐いていた。


 最初の戦場を生き残った後、俺は帰りたかった、彼女の、マリアの下に。

 マリアとは幼馴染だった。家が近所で、彼女の実家はパン屋をやっていた。

 俺はマリアが作るパンが好きだった。笑うマリアが好きだった。

 だが、戦火が故郷に、王都に迫ってきて男たちが徴兵された。

 俺の父も、マリアの父も、戦場に駆り出された。そして、二人とも帰ってこなかった。

 母は泣いていた。マリアの母も、そしてマリアも泣いていた。だが、俺は泣かなかった。

 俺は男だ、ただ一人の男だ。だから、俺が守ると決めた。

 ここを、戦場を離れれば、グランディア帝国が勢力を広げ、ウインドリアは飲み込まれる。そのことを良く分かっていたから、逃げることは出来なかった。


 幾度も戦場に駆り出された。幾度も両手を血に染めた。

 多くの兵に囲まれもした。豪奢な出で立ちの将と相対した。

 その結果、多くの傷を負った。多くの血を流した。だが、俺は生き残った。


 気付けば俺の下に多くの兵が与えられていた。

 彼らにも家族がいる。待っている人がいる。だから、何としても共に生き残りたかった。いや、みんなで一緒に帰りたかった。

 味方に犠牲を強いないやり方を必死で探した。だけど、無理だった。戦場では犠牲はつきものだった。

 だから俺は多くの敵を討ち続けた。強い敵を、将を、倒し続けた。

 敵にも、いや、彼らにも家族がいる。待っている人たちがいる。俺達の様に。

 でも、そんな事を知っていても、どうしようもなかった。

 戦争のせいだ。だから‥‥俺は悪くない。必死でそう言い聞かせて、人を殺し続けた。


 気付けば長い時間が経っていた。

 16の時に志願して戦場に立って、気づけば6年経っていた。

 共に笑い、過ごした仲間達も、多くが死んでいった。

 自分の中で乾いていくのを感じていた。だが、残ってくれた者もいた。

 ‥‥‥‥ホーエンハイムが共に居た。

 俺がなりふり構わず戦い続けられたのは、ホーエンハイムがいたからだ。

 ホーエンハイムは頭が良かった。戦場で指揮を執り、物資の手配をしてくれた。

 俺は庶民だ。どれだけ戦場に長くいても、身分格差は埋まらない。庶民は使い捨てにされる、だが、ホーエンハイムはそんな事はなかった。俺達庶民にも分け隔てなく接してくれた。

 後方にホーエンハイムがいてくれるだけで、随分と助けられた。

 俺に出来るのは戦う事だけ、それを6年で気付かされた。

 だが、それでいい。

 俺が戦い、敵を殺せば、何時か戦争が終わる。そう信じて只管に剣を振り続け、敵を殺し続けた。


 気付けば、戦場は西から中央部に、そして東部に進んでいった。

 山を越え、川を越え、平原を駆け、グランディアの帝都に迫っていく中、突然戦争が終わった。

 帝都でクーデターが起こった、らしい。良くは分からない。だけど、これで帰れると言う事だけは分かった。

 嬉しかった。漸く帰れる、マリアの下に、帰れる。そして、これで俺は‥‥‥‥もう誰も殺さなくていい。


 王都に帰って、マリアに漸く会えた。

 彼女は随分と変わっていた。‥‥‥‥美しくなっていた。

 マリアは俺が帰ってきたことに気付くと、泣いてくれた。そして、『おかえり』と言ってくれた。

 その時、俺は漸く帰ってこれた、と実感して、泣いた。

 

 戦場から戻ってすぐに、王城に呼び出された。

 庶民の俺が行くことになるとは思っていなかったが、言って最初に言われたのが、俺は貴族に取り立てられるそうだ。

 戦場での功績著しいことによる特例だそうだ。そして、新設部隊の隊長に任じられると言う事だった。部隊の名は『BLADE《ブレード》』。ウインドリア王国に仇成す者を討つ剣、という意味で名付けられた。

 俺にとっては貴族だとか、どうでも良かったし、それ以上に新設部隊の隊長なんて、もっとどうでも良かった。

 それ以上に貴族や王様に‥‥怒りを覚えていた。


 俺達は懸命に戦った。その結果、多くの血が流れた。多くの命が失われた。かつての俺の指揮で戦って死んでいった者達も多くいた。

 この戦争で命を落とした者達の家族に対する手当はどうするのか、直接聞きたかった。

 俺はその場で聞いた。

 俺が直言したことに周囲はざわついた。後でホーエンハイムに聞けば、とんでもなく無礼な振る舞いだったそうだ。

 だが、そんな事はどうでもいい。俺には問わねばならなかった。生き残った者として、どうしてもしなければならなかった。


 王様は俺にこう答えた。

 『命を失った者に対しては悲しく思っている。だが、我々は明日に向かって立ち上がらなければならない。そのためにも失われた命よりも未来の命へと目を向けるべきだ』と言い放った。 

 ‥‥‥‥つまり、王様は命を失った者達に対して、手当も何もする気がない、と言う事を回りくどく言っただけだった。

 ‥‥‥‥結局、俺には王様の決定に逆らえる訳もなく、その場で爵位を与えられ、『BLADE』の隊長を与えられた。

 俺はそのことに不平不満を口に出来なかった。

 俺は晴れない気分のまま、家に帰った。


 式典が開かれることになった。

 先の大戦での英雄を評するために開かれる、とのことだ。

 その英雄が俺だと言われたときには意味が分からなかった。

 俺は英雄なんかじゃない。多くの人を殺し、多くの仲間を守れなかった。それが英雄だなんて‥‥‥‥


 式典が迫る中、俺の胸の内は晴れなかった。

 眠っていると、かつて殺した者達の顔が浮かんできた。守れなかった仲間達の顔が浮かんできた。

 皆言うんだ、『俺が英雄だなんて、可笑しいな』と、『人殺し』、『見捨てられた』、と口々に責められる。

 日に日にその声が大きくなるように感じていた。眠れば、彼らが俺を待っていた。

 『どうしてお前だけ生き残った』『どうしてお前だけ安寧に暮らしている』、精神的に追い詰められ、眠ることさえ出来なくなっていった。

 精神的に追い詰められる中、マリアが俺の側にいてくれた。

 マリアは俺に言った。

『帰ってきてくれたのが何より嬉しい、例え誰になんと言われても、私が貴方を肯定します。』

 その言葉が嬉しかった。俺は生き残って良かったのか、ずっと思い悩んでいた。だけど、肯定された。英雄なんかじゃなく、一人の俺を肯定してくれた。


 その日は漸く眠ることが出来た。夢に見たのは、昔の平和だった時代の記憶だった。

 父がいて母がいて、マリアの父と母がいて、マリアと俺が笑っていた。

 俺は次の日、マリアに結婚して欲しい、とプロポーズした。

 マリアは俺の言葉を受け取ってくれた。

  

 正式な結婚は式典の後にすることにして、その前に挨拶回り行った。‥‥といっても、多くの知人は戦争で失った俺に、挨拶回りに行く人物なんて、そう多くはない。

 だが、ただ一人だけ、ホーエンハイムには直接会いに行く必要があった。


 ホーエンハイムにマリアを紹介して、式典の後に結婚することを伝えた。

 ホーエンハイムは最初驚いていたが、祝福してくれた。


 そして式典の日、俺は絶海の孤島にある修道院にて式典を始められた。

 俺と俺の配下となる『BLADE』の隊員が集められていた。

 多少の言葉を交した。これからゆっくりと彼らの事を知ればいい。‥‥そう思っていた。


 アレは突然だった。

 床に何かの陣が描かれていたその上に俺と『BLADE』の隊員が集められて、そして‥‥‥‥俺は怪物に変えられた。


 俺の中に何かが入ってきた。ソイツは俺の意識を喰っていった。俺が俺でなくなる、そう感じていた。

 俺の意識が無くなり、目の前が真っ暗になって、気づけば、両手が血に塗れていた。周囲には人と怪物が半々の様な存在だった。その存在が一体残らず死んでいた。

 そして気付けば、人と戦っていた。俺の意志通りに体が動かない。何か別の意志が俺の体を動かしていた。

 やめろ、やめろ、やめろ‥‥何度も自分の中で叫び続けた。

 だが、一度として言う事を聞かなかった。

 そんな中、アイツが‥‥ホーエンハイムが現れた。

 ホーエンハイムが語った、事の真実を‥‥‥‥


 嘘だ、嘘だ、嘘だ‥‥信じたくなかった。

 俺は何のために戦ってきたんだ、あの戦いは無駄だったのか‥‥‥‥そして、何故お前がそこまで俺を憎む。

 ホーエンハイムを友だと思っていた。いや、今でも思っている。‥‥‥‥なのに、どうしてこうなったんだ。


 俺は帰らなければならない。マリアの下に‥‥

 体は動かない。激流に飲み込まれ、このままでは俺は‥‥

 息が続かず、俺の意識が遠くなっていった。


□□□


『ここは‥‥』


 真っ白な世界が広がっていた。


『俺は‥‥死んだのか』

《いや、死んではないさ》

『!? お前は‥‥』

 

 声が聞こえ、振り返った先には、全身が真っ赤な異形な存在がいた。


《俺はお前の中に入れられた悪魔さ。覚えがあるだろう?》

『‥‥いや、よく覚えていない』

《ほう、そうか‥‥まあ、そうだろうな。俺が憑依した時の記憶は既に喰っちまったからな》

『!? 記憶を‥‥喰った?』

《おお、そうさ。俺はお前の意識を糧に力を振るっていた。そして、今もお前の記憶を喰っている》

『な!?』

《分からないか? お前‥‥‥‥自分の名を覚えているか?》

『俺の、名‥‥そんなの‥‥アレ、俺は‥‥俺の名は‥‥』


 指摘されて初めて分かった。俺は自分の記憶があるのに、自分の名が思い出せなかった。


《ほらな、俺がお前に憑依したときに意識を奪った。だが、お前は俺から支配権を奪った時にお前の名を代償として奪った。腕と足を治した時にお前の親の名の記憶を奪った》

『なん、だと‥‥』

《俺達悪魔はタダ働きはしないんだ。だから、労働に対する対価を頂いている、と言う訳さ。俺が折角意識を奪ったのに、お前が奪ったからその意識を頂くことにしたのさ》

『ふ、ふざけるな!!』

《ふざけちゃいないさ。大体、お前達人間が俺を憑依させたんじゃねえか。だから俺がお前の体を扱うのは当然の権利だ。なのに、お前が勝手に俺から奪ったんだ。なら、当然対価はもらうことになる。‥‥間違っているか?》

『だが‥‥俺は‥‥』

《ああ、お前の意志で俺を憑依させたかった訳じゃない。だが、あの儀式はお前達がやったものだ。まあ、諦める事だな。今の意識はお前のモノだが、身体は俺とお前が混じった歪なものになっている。このままだと、人間の世界では生きていけないな》

『‥‥‥‥そんな‥‥』

《まあ、身体を取り戻す方法もなくはないけどな‥‥》

『そ、それは‥‥』

《なに、簡単な方法だ。お前の記憶を対価に支払えば、お前の体が戻ってくる。だが、腕と足を生やすので、結構な記憶を無くした。お前自身の名すら、もうない。お前の体を取り戻すとなると、どれだけの記憶を失うか‥‥‥‥》

『‥‥そうか、なら記憶をお前に捧げよう』

《ほう、いいのか。それで?》

『ああ、俺は必ず帰る、マリアの下に。そのためには俺の体で会わなきゃならない』

《いいだろう、ではお前に体を与えてやる》


 意識がドンドン遠のいていく、何か大切な事が頭から消えていく気がした。だが、胸の内にあるモノは決して消えない。


《終わった。これで体はお前のモノになった》

『そうか、ではこれで行かせてもらうぞ』

《ああ、また会おう。我が依り代よ》


 それを最後にこの世界から、離れることになった。

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