第16話 清らかな朝

 


 何故だろうか……妙に懐かしい気がしてずっと浸りたっていたい気分に駆られる。


 ムニュっムニュっ。


 特にこのスベスベで柔らかいマシュマロのような何かが揉んでいて気持ち良い。


 最近は朝になる度に俺はこの感触を楽しむ機会が増えたようにも思う。


 ツン、ツン。


 今度は何かに突つかれた? 


 そう曖昧に思っているとようやく意識が覚醒したので目を開けた。


「おはようお兄ちゃんっ」


「ぁ……おはよう、ルナ」


 俺の世界で1番可愛い妹が朝から魂を浄化してくれそうな笑みを浮かべていた。


 ベッドの左側に寝てて寝返りを打ったのか、いつの間にか俺の右手をルナの両手が優しく抱えるようにして自分の頬に当てがってて先程から感じてた感触と一致する。


 今日もまた俺の起床時間である朝の6時に起こしに来てくれたんだろう。


 それをこんな可愛い妹がだ、控えめに言っても俺は世界で1番幸せなお兄だな。


「またコップ1杯の水を置いてきたから飲んで頂戴ねっ。……それとも今から1時間くらいルナのことを抱き枕にしちゃう?」


「そうしたいのは山々だけど、また今夜に宜しく頼むよ」


 今夜も眠りにつく前にギュッと抱きしめてあげるようか。


 朝に起きてからの1時間で1日が決まるからそうしたらダラダラしそうだな。


「んふふっ、冗談だよ〜ん。ヨガマットも敷いといたからゆっくり朝活に励んでねお兄ちゃん、チュッ」


 本当に可愛いなこの妹は……それくらい自分で出来るんだけどな。


 彼女は何故かいつも俺より約30分早く起きることが多く、朝日を浴びられるようにカーテンを開けたり髪型をいつものツインテに整えたりもしてるらしい。


 俺に出来過ぎた妹だよ本当に……そう思いながら頬っぺたにチュウし返した。


「全く、そこまでは世話しなくても良いっていつも言ってるのに……けどありがとな。チュッ」


「んふふっ。ありがと〜」


 すると部屋の扉がガチャッと開いて既に支度を終えたママが入ってきた。


「うふふっ、今日も朝っぱらから仲睦まじいわね。おはようセシル、ルナ」


「ママおはようっ!」


「おはようママ。いつも朝早いな」


「最近親の預かりが早い生徒さんが入学して来てね、それで副園長の私が朝早く出勤することにしてるの。それが世話のし甲斐があって楽しいから、決して無理してないから心配しないでね? ルナには少し家事の負担を増やしちゃったけれどね」


 俺が幼稚園児の頃から続けていたインターナショナルスクールの幼稚園でバイトから正式に社員に昇格してからは、すっかりそこで2番目に偉い役職に就いたママだ。


 彼女の言う通りで花園の入試に合格した辺りから朝7時の出勤をし始めたため、こうして家を出る前に挨拶だけをしに来てくれる事が多い。


 ちなみに俺がネイティブな発音で流暢に英語を話せるのはママが俺をそこに入学させてくれたおかげで、もちろんルナもそこを通ったので彼女の英語力もバッチリだ。


「全然そうは思ってないよママ。お兄ちゃんのためにご飯作るの楽しいんだもん」


「俺も毎日ルナの愛がこもった料理が食べられて幸せだしな」


「えへへ〜美味しい味の秘訣は愛情だってママに教わってるんだもん」


 俺も初めてママに料理の仕方を教えてもらったときにそう言われたなぁ。


「うふふっ。懐かしいわね……あら、もうそろそろ行かないと。それじゃあもう仕事に行くから、また後でねセシル」


「うん、行ってらっしゃい。ママ、運転するときは気をつけてよな?」


「セシルったら心配性ね、私はまだまだ若いわよ? けど、そうね。そうするわ……チュッ。それじゃあルナ一緒にいきましょ?」


 ママに額にキスされたので俺も頬っぺにキス仕返した。


 俺もママの運転スキルを十分理解してるけど、つい思い出させたくなるんだよな。


 例え本人が細心の注意を払っていたとしても理不尽な偶然は起こり得るからな。


 せめてママが寿命を迎えるまでは全く予定に無い原因で俺とルナから奪い去られるような理不尽が起きてほしくない。もう2度とあんな悲劇が起こってたまるか。


「んふふっ、うん。それじゃあルナも朝ご飯作りに降りるから、お兄ちゃんまた後でね〜」


 それだけ言うとルナも2人で共有してた布団を捲って、扉越しにママと談笑しながら階段を降りて行った。


 さてと、家族との朝のチュウで眠気が吹っ飛んだことだし活動し始めるか。


 ルナが用意してくれた水を飲んで用を足すと、洗顔をして早速シャツを脱いだ。


 俺が朝に起きて最初にやること──それは壁倒立だ。


「ふんっ」


 繰り返された感覚を頼りに1分間のバランスで呼吸を整えると次はヨガマットだ。


 起きたばかりの身体を活性化させる気持ちでストレッチと柔軟に取り組んでいく。


 やっぱり朝日を浴びながらの朝のストレッチも格別だな。気分がスッキリする。


 特に仰向けになりながら肩の筋肉をほぐすときに日光がお腹に当たるこの感覚も良い。


「あ〜」


 それから軽めの有酸素運動をするためにもも上げ1分間やジャンピングバーピー、すりあげ腕立て伏せからヨガ倒立でのバランスで朝のメンテナンスは終了だ。


 この一連のルーティンを確立したのは丁度3年前であの日以来は継続している。


 朝一の運動は習慣を継続出来るためにコツは汗かかない程に軽くすることだな。


 おまけに『地頭が良くなる』とネットで適当に見つけた情報も正しかったことが発覚して、習慣化して以来勉学の成績が大幅に改善されたことも事実だった。


「よし続き読んでいくか」


 次はルナに呼び出されるまでの30分間をまったり読書タイムに費やしていく。


 ラノベファンでもある俺だが脳味噌に栄養分を送るために読むのは自己啓発書だ。


 タイトルは「7つの習慣 人格主義の回復 完訳版」が表紙で分厚いやつだな。


 日々新しい価値観を少しずつでも吸収していくこと自体が純粋に俺の知識欲を刺激する楽しみでもあり、今日役に立てるかも知れないから個人的にこの時間も好きだ。


「お兄ちゃ〜ん! もうすぐご飯できるよ〜!」


「わかった! 今いく!」


 栞を挟んで本棚に書籍を寝かせると早速シャツを着て階段を降りて行った。


「〜〜〜〜♪」


 するといつものように可愛いエプロンに金髪ツインテのルナが鼻歌を歌いながら、フライパンに寝かせている香ばしい香りの源をひっくり返していた。


「これは……ベーコンとエッグかな? 美味しそうだな」


「正解〜っ! あとリクエスト通りにバジル味の鶏胸肉にサラダもあるよ。今回もケチャップ付けて欲しい?」


「うん、頼むよ」


「了解〜」


 唾液の分泌を促す程の匂いを吸い込みながら自分のプロテインを準備していく。


 少し贅沢する余地が出来てからはチョコ味に変えたため朝食と共に美味しく頂く。


「はい、お兄ちゃん」


「ありがとう、ルナ」


 デカデカとハートの形に押し出されたケチャップがのったご飯にベーコン、エッグと鶏胸肉が1皿に詰まった洋食スタイルのお皿が運ばれる。


 ルナが炭水化物とタンパク質を一緒の皿に乗せてくれるのは、単純におかずに手を伸ばしたり食器を洗う手間が省けて便利だからだ。


 ママの幼稚園でネイティブの女先生がこのような食生活を送っていると知ってから、ママの発案でうちの西亀家でも採用されたというわけだ。


 これぞまさに異文化理解と交流というやつだな。


「「頂きます」」


 先ずは鶏肉を一口サイズに切って、スプーンでご飯と共に口の中へぶち込んだ。


 ムシャムシャムシャムシャ、ゴクリっ。


「美味いっ」


「んふふっ。お兄ちゃんって本当に美味しそうに食べてくれるよね、スプーンの持ち方も相変わらず子供っぽくて可愛い〜」


 まだ自分のご飯に手を付けずに幸せそうな笑顔でそう言いながら見惚れてるルナ。


 全く、俺たちはドラマで上映されてるような結婚したばかりの新婚夫婦さんかよ。


 もしくは怪我して帰ってきた息子に大好きな料理を振る舞ってる母親のようだ。


「ルナが作ってくれる料理が本当に美味しくてな。……マナー的に正しい持ち方じゃないのは自覚してるけど、もう長年の習慣でしっかり染みついちゃってるんだよ」


 俺が未だにやってるスプーンの持ち方が『上手持ち』というやつで、フォークでも応用してるが拳で軽く握りながら口に運んでいるやり方だ。


 ちなみに俺の箸の持ち方もお手本と微妙に違うらしいがさっぱり分からない。


 ルナはいつの間にか両方の持ち方で完璧な所作を習得出来てるようだけどな。


「私は全然失礼に思わないから大丈夫だよ。むしろもっと可愛く見えるんだもん〜」


「ふっ、ありがとう。きっとそう言ってくれるのはルナとママにパパだけだよ」


 かつて小・中の頃はクロワッサン以外の奴らに俺のスプーンの持ち方を見られた時には「ガキかよ」「恥ずかしくないの?」「ママに甘やかされて育って来たんだな、なっさけな〜」と散々罵倒されて来て以来高校でも基本的に1人で食事をしている。


 今でも基本的に他人からの評価はどうでも良いと思えているが耳障りな声を聞きながらの食事は気分が害されるからそうしているが、驚いたことに世の中には細かいことを指摘してくる可哀想な価値観に染まった人間も居るから距離を取るのが1番だ。


 仮にまた注意されたとしても俺の返答は「俺はこの持ち方を気に入ってるから帰るつもりは無いし、君は過敏になり過ぎだ」の一点張りで、それでも批判してくる器の小さい人間はむしろ、こっちから願い下げだから逆に良い試験だと開き直っている。


「ぁ……んふふ……そうだったね、お兄ちゃん。……パパ……懐かしいね〜」


 しまった、思わず口が滑ってしまったようだ。


 本当はルナがパパのことを1番恋しく思っていたことはしてったのに迂闊だった。


 特にルナは幼少期の頃に「私もママの真似したいっ!」と言って唇でパパの唇に普通にキスしようとして、それをママが慌てて止める程パパに甘えまくってたからな。


 馬鹿野郎かよ俺は、お兄ちゃんの俺が大切な妹の笑顔を曇らせてどうする。


「そういえばルナ、実はお兄ちゃんの方からお願いがあるんだが……」


 ほんの少しだがしみったれた空気を吹き飛ばすために、カードを切ることにした。


 我ながら少し酷いとも思うが、いずれは言わなければならなかったからな。


「うん、何かなお兄ちゃん? ルナに出来ることなら何でもするよ!」


「その事なんだが……先ずは朝食を食べ切らないか?」


「ん? ……うん、わかった。それじゃあポテトサラダ半分っこしようね〜」


 彼女のご好意に甘えてダイニングテーブルに置かれてた、ポテトサラダがのっていたもう1つの皿にサービングスプーンで丁度半分の分量に分けて自分の皿に移した。


 ルナも皿に残したもう半分を食べるようだから一緒に口に含むことになった。


「ああ。………………うん、やっぱりこれも美味いな」


「んふふっ。そうでしょ〜?」


 その得意げな笑顔を見てちょっと決心にグラつきを感じてしまった。


 ああ、どうしよっかなこれ。……やっぱり言いたくないんだよな。


 ──同級生の女の子が弁当を作ってくれるから今日のはナシにしてくれ。


 うわあやっぱり言いたくないな……悲しい顔をされたらどうすれば良いんだ。


 これでルナが泣き出したら俺の心臓は罪悪感で押し潰されることが確定してる。


 いやしかしな──


「……最高に美味しかったよ、ご馳走様」


 ああしまった、あれこれ考えているうちにルナの朝食を完食してしまった。


「お粗末さまでした」


 よし今回はプロテインを普段よりもゆっくり味わいながら飲んで行こう。


 スーっ、スーっ、ス〜っ。


 ああ何やってんだよ俺は、今度こそ皿を洗ってる間に伝え方を組み立てるぞ。


「よしじゃあ今日はお兄ちゃんも皿洗い手伝うぞ!」


「へ? もちろん嬉しいけど、毎朝恒例の読書は良いの?」


 確かに普段はこれから身支度して出発までラノベを読むのも習慣だったんだが。


「ああ、たまにはルナの家事を手伝いたくなってな」


「んふふっ、そう? じゃあお兄ちゃんのお言葉に甘えるね。〜〜〜〜♪」


 そう上機嫌に鼻歌を歌うルナと一緒に皿を綺麗に磨いていく。


 うう……やっぱり今からでも木下さんにお断りのメールを送ろうかな。


 いやもう既に作り終えてるかも知れないし流石に失礼過ぎるだろ。


 ああもうよし! グダグダ言い訳を考えてないで今すぐ言ってやるんだ!


「なあルナ。……その、お願いのことなんだが……」


「うん、何でも私に命令しちゃって良いんだからね?」


 うっ、可愛い笑顔……いや、ええいもう! 今言わなければいつ言うんだッ!!


「……実は今日の昼ご飯に同級生がお弁当を作ることになったから、今日の分だけ無しにしてくれ」

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