第15話 友情



 それを聞いて困惑する木下さんを見て内心でほくを笑む。


「え……もしかしてニッシーって、アイスのこと──」


「ああ、実は一目惚れで好きになったんだ」


 自分なりに出来るだけ切実そうな表情を浮かべて答えてやったぜ。


「うわあああああああああああッ!?」


 うお!?


 何でこの世の終わりみたいな断末魔を上げてるんだこいつは。


 けどリアクションが面白い人間はどうやら俺だけじゃなかったらしい。


「……人間としてな。ぷっ、クククククっ」


 ああダメだこりゃ。苦笑が止められない。


「もおおおお紛らわしいってばっ!?」


「さっき揶揄われたお返しだ」


 更に倍返しにできて俺は大いに満足してるぞ。


 困ったことに俺も木下さんを揶揄う愉悦を見つけ出してしまったらしい。


「もー、ニッシーったら趣味悪いよっ!!」


「それはお互い様だろ」


 始めて来たのはそっちだしな。


 自分が生み出した事象はいつかまた自分に帰って来るものだ。


「純情な乙女の心を弄んだ罰は重いんだからねっ!」


「さっそく返って来たやん……」


 これがカルマってやつだろうか。


 因果応報の法則は最短で最高の結果を出してきて非常に有能らしい。


「それじゃあ話を戻すか。この前にナンパから助けた時のことを覚えてるか?」


「うん、あのときは本当に怖かったよ。思い出してもニッシーが来てくれて本当に助かったと思うんだよね。アイスも頑張って戦ってたのに震えてたし。ニャハハ……」


「ああそうだな」


「でも何でか知らないけど、アイスがニッシーの第一声が最低だって言ってたよ?」


 そう言えば俺普段絶対に言わないようなことを言ったんだっけな……。


『これから5Pやろうってか? 楽しそうだなオイ。クククっ、俺も混ぜてくれよ?』


「ギクっ」


 あいつこんな無駄なことに記憶力のリソース割いてたのかよ。


 才能を無駄遣いしよって。今すぐ記憶を削除してやりたいぞ。


「どうしたのニッシー? 何か思い出したの?」


「いや何でもないぞ木下さん。お前は純粋なままで良い」


「う〜ん?」


 性知識がゼロだと流石に今までの保健体育の授業で一体何をして来たんだと言いたいところだけど、健全を超えた領域の概念はまだ知らないまま放置で良いだろう。


「そのときに恐らく松本さんが俺がお前のことを特殊な友人関係を結んでいたと勘違いして、怒りの形相で俺に掴み掛かって来ただろ? 純粋に何でだろって思ってな」


 セフレという単語をギリギリまで抽象化してみたら凄いそれらしいのが完成した。


 英語でfriends with benefitsとも言うし別に利害関係有りの友達でも良かったか。


「私たちの関係がまさにそうじゃないの? だって普通こんなの珍しいよ?」


「ぐっ……確かにそうだな。まあこの際はそれを置いといてくれ」


 やはり木下さんにはピュアなままで居てもらおう。


「そう? あーけどねー、改めてだけどアイスのことは悪く思わないであげてね? 前にもチラッと言ったと思うけど、また友達を守るのに必死だったんだと思う」


「守るか……」


 確かにあのときのあいつは只事じゃないと思わされる程に必死な様子だったな。


 胸ぐら掴まれて啖呵を切られたときに彼女の瞳の奥を覗き込んでみたら、俺と同様に過去で何かしらの大事なものを失ったかのような悲痛さと絶望を感じ取ったな。


「私は中2の時から仲良くなったんだけど、アイスはナゴミンとは小学生時代からの付き合いらしくてね。それで中2のときにナゴミンに悲しいことが起きたんだって」


「聞かせられる範囲で良いから教えてくれないか?」


「うんわかった。それでナゴミンが中2のときに先輩の彼氏が出来てね、アイス曰くかなりの遊び人っぽいけど周りから見てもお似合いのカップルだったんだよ?」


 興味深いな。女たらしなどの言葉を知っておきながら性知識がゼロなんだこの人。


「まあ俺から見ても美人だしな」


 今までの印象を振り返ってみても普段から冷静でクールな何処かのご令嬢のよう。


「うんうんそうでしょう? 肌も色白でスベスベなんだよ〜」


 木下さんから軽く聞いてみたら父が自営業でボロ儲けしてお金持ちな家のお嬢様らしく、始めて彼女のお屋敷に遊びに行ったときはリアル執事やメイドが居たらしい。


「それで付き合い出したのは良いけどアイス曰く物凄いトラブルがあったらしいんだよ。ナゴミンは数週間学校を欠席したしアイスも酷く悲しんで泣いてたんだよね」


「具体的に何があったんだ?」


「それがね〜私にはまだ早いからって具体的なことは言ってくれなかったんだよね。たぶん当時はまだ3人が仲良くなったばかりだし、部外者の私に無駄な心配をかけさせたくなくて蚊帳の外に置いてくれたんだと思う。……あのときは少し寂しかったけどね。ニャハハ〜」


「そっか」


 まあ恋人関係のトラブルといえば泥沼なものかもだし、仕方無かったんだろう。


 仮に健全の範囲から逸脱した性知識の理解を求められた事象だったら、こんな純情な娘を汚したくなくて深いことを言ってくれなかったと見るのが妥当だろう。


「ああでも1度だけ2人の会話を偶然聞いた覚えがあったんだけどね〜。アフターピルとか輪ゴムがどうのこうの言ってた気がするけど、良くわかんなかったんだよね」


 ああそれはもう完全に木下さんに細かいことを伝えなかった2人、ナイスだな。


 十中八九輪ゴムじゃなくてコンドームだと思うぞそれ、なんて無神経なことを言う気はさらさら無いので黙って先を促した。


「けど2人ともが元気に登校するようになってから事件のことをちゃんと共有してくれたから安心したよ。浮気されたんだって、せっかく好きだったのに可哀想だよね」


「そうだな」


「それでそれ以降はアイスが私にも近づこうとする男子に必ず目を光らせるようになったんだよね。ナゴミンも大事にされてると実感できて嬉しいんだけど、たまに過保護に走っちゃってこの前みたいに暴走するときもあったんだよね。ニャハハ〜」


「軽く聞いてみても物凄く良い話じゃないか」


 それであのときも必死に俺から木下さんを守ろうとしてたわけか……納得した。


「うん、だから私ね。もちろんナゴミンもそうだけどアイスには凄く感謝してるんだよね」


「それは大事にしてやらないとな」


「うんっ」


 家族以外で無条件に自分を受容してくれる人間なんて珍しくて巡り合わせがあればそれは奇跡のような幸運だからな。


 それに恐らく木下さんに語られたのは真実の表面だけだろう、木下さんの純粋さを守ろうとして。


 聞けば聞くほどに松本さんの人柄が浮き彫りになる話だった。


「やっぱり松本さんって良い女だったんだな」


 あんなに肝が据わっている女性と出会ったのは初めてだ。


 木下さんは本当に良い人間関係に恵まれたようだな。


「……ねえ、ニッシーって本当はアイスのことが好きだったりするの?」


「は? そんなことは無いぞ」


 さっきも言ったように人間として尊敬してるがそこに恋愛感情は一切無いんだが。


 クロワッサン曰く自分が本当にその人が好きかどうかは、相手が自分以外の異性に奪われて少しでも心が痛んだらそうだと言ってたから早速試してみたんだけどな。


 仮に松本さんが俺の目の前で違う男に勝手に手を繋ぎようが、ディープキスされたり胸を揉まれそうがお互いに愛を囁き合おうが、俺は自信を持ってこう思えるぞ──


 勝手にやってろ、つーか人が居ないところでやってくれよ暑苦しい、とな。


「本当なの? だってこんなに可愛い私からわざわざ他の女について聞き出してくるとか謎すぎると思うんだけど? てかもうそれしか理由考えられないじゃんっ!?」


 そう来たか。ただの興味本位だったんだけどそうとも解釈できたんだな。


「自分で可愛いって言うのかよ! はあ、まあ良い。それは今後のお付き合いのためだよ」


「ほらやっぱりっ!」


「早まるな、意味合いが違うからな? ほらよく世間で近所付き合いは大事だって言うだろ? だからこうして師匠と弟子をやってる俺と木下さんとの関係を続けていく中で、お前の親友とも世渡りしなければならない」


 この人間社会を生きていく中で処世術は必須スキルだからな。


「つまり彼女の逆鱗に触れることが2度と無いように、今のうちから学校で良い成績を取るが如く全面的に人畜無害なアピールをして、今後も彼女に決して目をつけられることなく潜在的に起こり得るトラブルを全て回避していきたい。わかったか?」


「なんかメチャクチャ他人行儀で聞いてたら悲しくなって来たじゃんっ!? 勘だけどアイスがそれ聞いたら悲しむよ!? それにニッシーがそんな考えをしてるせいで、普段から教室で根暗な陰キャを気取って演じて、静かなんじゃないのっ!?」


「オイ唐突な人格ディスりをさりげなくぶち込んでくるの辞めろ」


 ダンス云々よりも先ずは対人におけるマナーを説教してやるべきか?


「ねえ、ふと気になったんだけどなんでニッシーっていつも基本的に静かなの? 私とこうして喋ってるときは明るく出来てるのにやっぱり凄く勿体無いと思うよ」


 またそれですか、はいそうですか。


「じゃあ逆に聞くけどさ。なんで木下さんっていつもうるさいの?」


「えええええっ、何だか知らないけど唐突にディスり返された!? ていうか何よいきなり、その質問は流石に失礼なんじゃないの?」


「ああ、失礼だろ?」


「なんか開き直った!?」


「つまりそう言うことなんだよ木下さん。『なんでいつも静かなの?』の質問の本質も全く一緒で同じくらい失礼だぞ。なぜなら俺はそう機能しているからに過ぎない。それにお前には短所に見えても俺からすれば自慢できる長所だ。それを知ってくれ」


 何だか物凄く臭い説教になってしまったがこれも全て自慢のママの受け売りだ。


 やはりママがほぼ女手一つで俺をここまでの人格者に育ててくれた功績がデカい。


 絶対いつかは必ず仕事を引退したければさせられるように金銭問題を片付けたい。


 それが俺なりに思いつくことの出来る最大の親孝行だと思ってるからな。


「凄い……そうやって自分が持ち合わせてる意見を堂々と何の迷いもせずに言えるんだ……やっぱり……ニッシーって本当にカッコいいんだね」


「良い親に恵まれた幸運の産物だよ」


 産まれた子供がどのような人間に育つかは周囲の大人の対応が全てだからな。


「……ニャハハ。いつかニッシーの両親にも会ってみたいよ」


 ──ふっ、願わくば俺の方からもその細やかな願いを叶えてやりたかったよ。


「ああまた話がだいぶ逸れてしまったな。だからズバリ、俺が松本さんに恋愛感情を抱いてない話に直結するんだ。Do you understand?」


 英語の幼稚園から培ってきたネイティブ顔負けの発音でドヤってやったぜ。


「ニャハハ、英語の発音も素晴らしいね! けど……う〜ん……本当かな〜?」


 何俺のことを必死に容疑者の嘘を見抜こうとしてる刑事員のような目で見てんだ。


「そんなに疑うなら『松本さんなんて心底どうでも良い』と10回復唱しようか?」


「いや辞めて私の耳が耐えられなくなるからッ!!」


 ……そろそろ晩飯の時間に近づいてきたし今日はここで解散にするか。


「それじゃあ木下さん、今日もダンスのレッスンお疲れ様。もうお互い帰ろっか」


「うん、そうだね……けど帰る前にちょっと待って、ニッシー」


「良いぞ。まだ何かあるか?」


「うん。ほら、あのときニッシーが私と松本さんのことをナンパから助けてくれたじゃん? だから、そのお礼がまだだからさせて欲しいの」


 全く……義理堅いやつだな。


 あのときはお前の泣き腫らした顔を見なければ通り過ぎてたというのに。


「別に良いよしなくても。この間も言ったようにブレイクダンスで上手くなってくれれば良いからさ」


「うん、レッスンを無料でしてくれてる対価でもあるんだけど何か恩返しをさせてよ。私、ニッシーには本当に凄く感謝してるんだよ? だから例え自己満足だとしてもお礼をさせて、お願いっ!」


「……そこまで言うなら、良いぞ。手段は木下さんの好きに決めてくれ」


「オケ丸ポヨッ!!」


 そう言うとまた、木下さんは田舎町の自然な大地に咲く向日葵ひまわりのような美しい笑みを浮かべて無意識に目を細めた。


 または燃え盛るような太陽とも形容可能だ。


 それにしてもこいつ本当にそのセリフ好きだよな。


「それじゃあ日頃のお礼も兼ねて明日ニッシーに弁当を作ってあげるねっ!」


「……マジか」


「うん! とびっきりに美味しいの作ってあげるから期待しててよね! じゃあまた明日〜」


 それだけ言うと木下さんは手を高く振り挙げながら走り去ってしまった。


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