第17話 罰ゲーム



「……え……」


 そう言った瞬間にルナが皿を水切りかごに置いて以降その手が止まってしまった。


 クッ……やっぱりこうなってしまったか。


 丁度向こうを向いてたせいで表情が見えないがきっと不安がってるんだろう。


 水が流されたままになっていたので蛇口を捻って止めるとルナへ向き合った。


「だからクラスの人に今日の分の弁当を作ってもらうことになったんだ。それで、」


「──女の子だよね?」


 ギリギリ冷静を保っているようだが、普段は出さないような低いトーンの声が聞き返して来た辺り、恐らく中学時代に俺が1度泣き崩れた事を思い出してるんだろう。


 まあそれに男子が男子へ弁当を作ることなんて大抵普通は起きないことだろうな。


「……ああ、女の子だよ。それにほら、この前話してだろ? 先週俺にブレイクダンスを教える弟子が出来たって。弁当の作り手は同一人物なんだ」


「それで最近火曜日と金曜日だけ帰りが普段よりも遅かったんだね、お兄ちゃん」


 不安に思ってるのか、感情を押し殺したかのような声で応答するルナだった。


「ああその通りなんだ、急にこんなお願いを言うの不躾だと思うけど」


「本当に大丈夫なの? お兄ちゃんっ……」


「ッ……」


 やっと振り返ってきたルナが今にも心配で堪らない表情を浮かべていた。


 こうなることは分かっていたはずなのに、もっと伝え方を改めるべきだったか。


 彼女を安心させるために躊躇いも無く抱き締めて言い聞かせてあげた。


「大丈夫だ。ルナが心配してるようなことは何も起こらないから」


「だって、女の子だよ? 1年前みたいにお兄ちゃんに気がある素振りを見せて、好きにさせたら盛大にフッて来るかも知れないよ!? それでまた部屋の隅っこで三角座りしながら悲しみに暮れてるお兄ちゃんなんてもう見たくないよっ……!」


 今まで14年間お兄ちゃんして来てもルナは決してヤンデレで束縛の激しい妹ではなく、純粋に俺のことが心配だと伝わってくるからこそ心が締め付けられてしまう。


 今から思い返してみれば経験不足による選択肢の誤りだったとしか言いようが無いが、中3の俺には短い間だけだったが恋人というものが存在したことがある。


 当時はクラスの中心的なメンバーの1人でモテていた可愛い女の子だったと言うこともあって付き合いはしたが、それが僅かな交際期間で関係が途絶えてしまった。


「心配するな、もうそんなことは俺が起こさせないから」


 確か俺は相手の女の子を竹さんと呼んでいて、当時に精を出していたブレイクダンスの練習と賞金稼ぎを疎かにしない範囲内で健全な恋人関係を築いてたつもりだ。


 彼女もどう言うワケか一般文芸を読むのが趣味だったので俺たちの主なデート場所は放課後の図書室だったが、1度彼女をダンスバトルイベントに連れ出したこともあり、そこのソロバトルで優勝すると彼女も我が事のように大いに喜んでくれた。


 だが今度は俺の方から彼女に告白し直そうとしたタイミングで事実が明かされる。


 ──はあやっと終わった〜。……え、まさか西亀くん私の告白を本気で受け取ってたの? ……あ〜ごめんね、実は罰ゲームで『2週間だけ適当な陰キャと付き合う』ことになったから、私の独断と気まぐれで西亀くんを選んで恋人してただけなの。


 当時はまだ竹さんのことを好きじゃなかった俺だったが、これからも少しずつだけどお互いを理解し尊敬し合える関係を育めると2人の関係の先を見通してた俺は、ショックのあまり必死に彼女を「また1からやり直そうよ!」と説得を試みた。


 ──ッ!?……うわーほんと勘違いしないでよね、バトルイベントで見て「口先だけじゃなく本当に極めてたんだー」って思わず感動しちゃう程に西亀くんのダンスが凄かったのは認めるけど、あんたのこと自体が好きなわけじゃないから。サヨナラ。


 結局俺と竹さんの関係は2週間で終わり胸にまたポッカリと穴が空いた感覚を覚えた俺はそのまま家に逃げ帰って、ルナが部活から帰って来るまでグズグズ泣いてた。


 それでルナが「何があっても私はお兄ちゃんの味方だからねっ!」と宣言したその日以来、以前より俺にベッタリするようになって若干ブラコンになったのが経緯だ。


 そんなわけで今ルナが懸念している心配事の起源を軽く振り返ればこんな感じだが、クロワッサン曰く俺もその過程ですっかりシスコンに変貌してしまったらしい。


「それにな、ルナ。俺が当時泣き崩れたのは相手の女の子に対して『好き』に近い感情を抱いてたからだ。けど俺は今、弟子に対してそんな感情を抱いてなどいない」


 木下さんをナンパから助けたときに泣き顔を見てカチンと来たり、謎のポンコツ化による甘えでドギマギしてしまうことがあっても俺に恋愛感情は無いと断言出来る。


「でもお兄ちゃん……」


 そもそも彼女と関わり初めて10日しか経ってないから一目惚れでもしない限り彼女を好きになる道理は無いし、仮に恋に落ちたとしてもあの悲劇は起きないだろう。


「ああ、相手の性格が心配なんだろ? 相手の名前は木下優希きのしたゆうきと言うんだけど、今まで関わって来た中で彼女がそんな人間じゃないことは良くわかる。あいつは良くも悪くも裏表が無いから演技なんてとても出来た人間じゃないと思うぞ」


 脳内がお花畑状態がデフォルトなあいつのことだ、心配は杞憂で終わるだろう。


 喜怒哀楽が激しく好奇心旺盛でたまにポンコツ化して暴走するけど、人に対して敬意を表するしやると決めたことには真摯に取り組むから悪い人間じゃないはずだ。


「……お兄ちゃんがそこまで言うなら、分かった。ちょっと寂しいけど、弁当はまた明日以降にとびっきりの愛がこもったのを作ってあげるから、期待しててねっ?」


 最後に蠱惑的とすら表現可能な笑みを浮かべてくれたルナだったけど、やっぱり我慢してるだろうからその分だけ美味しいって言って、今夜もギュッてしてあげよう。


「納得してくれてありがとう、ルナ」


「うん。けどまた今度その木下優希さんとやらを私に直接合わせてよね」


「る、ルナ?」


「ちゃんと自分の目で見極めたいの。お兄ちゃんに変な虫が寄り付かないようにね」


 俺の可愛い妹は本当に心配性だな、そこも可愛いと思ってる訳でもあるんだが。


 恐らくルナなりの「俺の娘はやらんからなっ!」と父が娘の恋人に言う奴だろう。


 まあ今のところは俺が彼女に惚れて何たらかんたらする未来は思い浮かばないが。


「ふっ、そういうことなら仕方ないな。分かった、そんな時が来たらルナに言うよ」


「約束だよ? お兄ちゃんっ」


 一瞬だけやっぱり木下さんに弁当の件を取り下げさせようかなと思ったけど、ようやくルナも元通りの機嫌に戻ってくれたようだし、登校する準備を始めていくか。


「それじゃあ俺は身支度に戻るよ──っておいルナ!? ちょっと待てよ何いきなり脱いでんだよっ」


「んふふっ。何? って……いつものように私が先に着替えるんだもん〜」


 大抵はお互いに朝食を終えると俺はそのまま洗面器に向かって歯磨きし初めてルナは部屋に戻って制服に着替え始めるが、急に脱ぎ出したせいで後ろへ振り向いた。


 ああはいはいそうですか、またお兄ちゃんを揶揄う小悪魔サイドのルナが出現か。


「それは知ってるけど、急にパンツ一丁になるのは辞めてくれよな」


 ルナは家族だからシャツの肩線が緩々になってて胸元の上部が若干開けたり、着てるホットパンツが所々切り裂かれてるパンクファッションスタイルでも耐えられる。


 ルナが下着姿になっても平気だが上下のどちらか一方でも外されるのはアウトだ。


「え〜? お兄ちゃんは別に私のこと異性として見てないんだし大丈夫でしょっ?」


 だからって流石に異性の血縁関係が家に居る中でほぼ裸族と化すのはダメだろ。


 ここはウダウダしてたら更に揶揄われるからサッとお兄ちゃんの役割を果たす。


「そうなんだが、だからって急にシャツを脱ぐなよ。ブラ着けてないんだからさ」


 そうなんすよこの子基本的に家ではいつもノーブラでウロウロ過ごしてるんすよ。


 それで平気で抱きついて来るからふと感じてしまう2つの小さな突起や、ルナ特性の胸の柔らかさにやっと慣れてきたのもまだ数ヶ月前とここ最近だったりする。


 ママも「実はノーブラが私の立派なおっぱいの秘訣なのよ」と豪語してるから本当で良いことなんだろうが、そんな状態でシャツ脱がれたら口元が引き攣るだろ。


「えへへ〜私も一時期落ち込んでたときに『これからお兄ちゃんには遠慮なく我儘になってくれても良いんだからな』って言ってくれたから兄の躾を守ってるんだよ?」


「だからって限度ってものもあるだろ……」


 普段は愛らしい子猫のように甘えてくるルナだが、こうして裏スキル『我儘』を発動し始めたら叶わなくなるしママが居ないときを狙って来るから非常にタチが悪い。


「え〜良いでしょ? 私の下着もただの布だし身体も今まで散々見て来たでしょ?」


 俺が中2まで一緒にお風呂に入ってたのは確かだが、ママ曰く今ではもうすっかりスタイルが綺麗な別嬪さんになってるそうだし一緒にシャワーを浴びるのも無理だ。


「そ、そうだが……そう! 将来に露出癖が出来ないように今から直した方が良い」


 そう言うと後ろを振り向いてたところを頭上から衣服をぶん投げて被せて来た。


「うんありがとうお兄ちゃん、けどね? これはルナなりの時短だよ? 私が脱衣所に行って服を洗濯カゴに入れる手間が省けるから、パンツもお願いして良いかな?」


 クッ……言い返したいけど怒鳴るようなことは絶対したくないから負けを認める。


「はあ。もう分かったよ、今回も俺の負けだルナ。全く、あまりお兄ちゃんを困らせないでくれ。お前はもう大人の女性になり始めたんだから意識しないわけじゃない」


 やっと聞きたかった返答を引き出せたからか普段の可愛い笑顔を浮かべてくれた。


「んふふっ、ごめんね〜お兄ちゃん。けど良いこと聞いたからこれで満足してるね」


「そうかよ。頼むから今後も程々にな?」


「は〜いお兄ちゃんっ!」


 仕方ない妹だけど、これで内心はほんわかとしてる俺も俺だろう。


 そう思って頭上に乗ってた服を外そうとしたところでルナが走り寄って来て、俺を素通りする際に僅かな重みが加わったように感じた。すると案の定、


「んふふ〜それじゃあパンツの方も任せたよ、お兄ちゃん〜」


 そう言い残してドタドタと足音を響かせながら俺たちの部屋へと向かって行った。


「ルナのやつまた全裸で……はあ、やれやれ……」


 幸いにも窓から家の中を覗くことが出来ない作りになってるためルナが外からの覗きに晒される心配は無いが、少々躾が足りないんじゃないかと最近思えて来たぞ。


「けどそれがあいつの可愛いところでもあるんだよな……」


 しっかりシスコンになっちまった俺には一般的な固定観念が無くなってるらしい。


 時間も押してるためサッと頭上の衣服をまとめると洗濯カゴへと入れて行った。


 やがて7:30になったので支度を終えて家を出るとルナが声をかけてきた。


「お兄ちゃ〜ん! ほらほら早く〜っ!」


 俺のチャリの後ろに乗って手を振りながら笑うルナもやっぱり可愛いな。


「ああ、今行くから」


 家の鍵が閉まったのを確認してチャリに乗ると後ろからルナが抱きついて来た。


「レッツゴーお兄ちゃん!」


「ああそうしたいところなんだけど……もうちょっとだけ抱き付く力を緩めてくれないか?」


 胸だけでなく頭の側面までくっつけて来てるしいつもより明らかに密着度が高い。


「んふふ〜お兄ちゃんの背中がカッコ良くて頼りになるから安心してるんだよっ」


「毎日サボらずに鍛えてるからな……けどこのままだと身動きが取りにくいんだよ」


 そう言うと丁度良い加減に力を緩めてくれた。


「ぁ……そうだったねお兄ちゃん、運転は最新の注意を払わないとね。……それにお兄ちゃんって時々狼のような目でボケーっとしてることもあるから気をつけてね?」


「ルナよ、俺の顔が狼みたいだって言いたいんだったら別に正直に言ってくれても良いんだからな? お兄ちゃんはもうとっくの昔から自覚してるから構わないんだぞ」


「えへへ〜お兄ちゃんって基本的にルナにはツンツンしてなくて嬉しいけど、典型的な狼系男子だからね〜」


「なんだそれ? 初めて聞いたぞその言葉」


「んふふ〜また後で自分でググって見るといいよ、お兄ちゃんっ」


「……そっか、それじゃあ出発するぞ!」


 初めて聞く単語に興味がそそられたけど、毎朝恒例にルナをうちから徒歩5分の中学校まで送ると俺も高校へ向かった。

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