魔女と白亜紀

月並海

第1話

 ししのはま

 この見る限り真っ白な砂浜がそう呼ばれていたのは、昔──人々がまだこの辺りに住んでいた頃だ。

 浜には様々な漂流物が打ち上げられるが、ここには奇妙なものが度々流れ着いていた。

 骨である。それを目にした人々は、無念の死を遂げた異国の人間の骨だと信じた。

 近年の研究の結果、それらは人骨ではなく太古の昔に滅んだ恐竜のものだと判明した。しかし、気味の悪さは変わらず人々はこの土地を捨てて快適な街へと住処を移していった。

 今、この浜を目にする者は2人きりだ。僕と、大野おおのという考古学を生業とする女性だけである。

 

 ある研究者が助手を探している、と教えてくれたのは研究室の教授だった。

「私の知り合いのお孫さんなんだけど。君、暇でしょ?」

 教授の一言に僕は言葉を詰まらせた。その頃の僕は大学卒業間近で働き口も決まらずかといってやりたいこともなく、ただ無為に時間を消費していたからだった。

 話題を逸らすように応募書類に目を通す。

 勤務場所はここから遠く離れた岬らしい。仕事内容は研究における助手業務全般──つまり雑用だ。

「具体的に何をするんですか」

「確か彼女の専門は古代の生物だったと思うからそういうのじゃない?」

 話を聞いた直後はすぐに断る予定だった。しかし、興味をそそられる研究内容に心が揺らいだ。

 決まった心を確認するように、再度書類を見直して教授に向き直った。

「やります」

 教授は軽い調子で

「じゃあ連絡はしておくから」

 と言った。


 勤務先までは車でいくつかの街を通り抜ければ、あとは岬までの一本道を走るのみだった。

 視界が開けた瞬間、その景色に息を飲んだ。

 白と青のコントラスト。海には様々な青が揺らめき陽光を反射して白い煌めきを描く。砂浜は見たこともないほどの白さだった。

 白とは、物体の表面で全ての光を反射しているから認知できる色だ。原理を理解していても、その浜を見た瞬間に感じたのは、砂浜全体で光を吸収しているということだった。

 白すぎる色に恐怖を感じたのかもしれない。はたまた、普通はある流木やゴミのような漂流物が無かったので不思議に感じたのかもしれない。

 ともかく僕はそんな違和感を感じながら岬に佇む小さな二階建ての一軒家へと向かった。

 家の前に車を止め、呼び鈴を鳴らす。車のエンジン音が聞こえただろうから僕が来たことはすぐにわかるだろうと思っていたが、家主はなかなか現れなかった。

 たっぷり時間をおいて、木造りの扉が薄く開いた。

 顔を出したのは、一見すると男にも女にも見える人だった。

 ベリーショートとすらいえないほど短く切り揃られた栗色の髪。やせぎすの頬に白衣、薄い色のレンズのサングラスをかけたその人は不信感を滲ませた声で言った。

「……どちら様ですか」

 僕ははっとして要件を伝える。

「研究助手に応募した浅倉あさくらと申します。大野博士は御在宅でしょうか」

「大野は私ですが。ああ、今日でしたっけ。どうぞ」

 その人──大野は面倒そうに扉を開け、僕を中に招き入れた。

 家の中はこじんまりとしていた。エントランスを抜けてすぐのリビングに通される。

 不躾に家を見回す僕に、大野はお茶のペットボトルを寄越した。

「ありがとうございます」

「ティーセットとかないんで、ここ。じゃあ一応色々確認しておきましょうか」

 殺風景なリビング、ポツンと並んだソファセットに向かい合わせに座った僕らは書類を見る。

「仕事は研究の助手業務とその他雑用。時間は朝八時から夜六時まで。何か質問は?」

「業務内容が知りたいです」

 僕の問いに彼女の声音は少し明るくなった。

「雑用は買い物とか掃除とか。助手の方は」

 と言って彼女の頬がわずかに緩んだ。

「浜で骨拾いとか」

「骨、ですか?」

 唖然とした僕を見て、目の前の人物は情報を上乗せする。

「ああ、人間のじゃなくて恐竜の骨だけど」

「なるほど……」

「怖くなった?」

 彼女の問いかけには、契約をやめる? という意味合いも含まれていた。

 二億年前の爬虫類の骨集め。大いに結構だ。

 僕は立ち上がって握手を求めるように手を前に差し出した。

「承知しました。よろしくお願いします」

 いきなり立ち上がった僕に、彼女はびくりと身体を震わせた。上目遣いになったことでサングラスの先の青色の瞳と目が合った。ゆらゆらと揺れる蒼玉みたいな双眸に僕はくぎ付けになった。

 数秒間があって、大野は緩慢な動きで立ち上がり握手に応じてくれた。

 こうして、変わり者の研究者との日常が始まった。


 仕事をしてみて、大野について分かったことがある。

 まず、非常におおらかだ。一人で研究をする人と言うのは自分のテリトリーに他人が介入すると不機嫌になるものだと思っていたが、彼女は僕が掃除をしても食事をしても特に気にする様子はなかった。

 それから、食事を摂らない。これは働き始めて一週間で分かったことで、家のゴミ箱のいたるところに栄養補助食品の空容器があったのだ。栄養失調を心配した僕がそれ以来、三食料理を作っている。

 そして、浜にいるときだけは饒舌になる。岬の近く──真っ白なあの砂浜で、僕らは毎日流れ着く恐竜の骨を拾っていた。骨は大小さまざまでどれも違うものに見えた。彼女は骨を見つけると幼さを宿した嬉しそうな笑顔で駆けていき大切そうに抱えて、浅倉、と僕を呼ぶのだ。

 僕が隣まで行くと、大野はその骨について自分の考えを話す。見た目の特徴、そこから予想される恐竜の種類など。その時間が心地よいと感じるまで時間はかからなかった。


 仕事にも大野との距離感にも十分に慣れた頃で、夏の気配が冷たい風に吹き飛ばされそうな、そんな時期だった。

 僕がいつも通り家の前を掃除していると、メールが主流になった現代には珍しく紙の手紙が届いた。

 掃除を中断して家に入ると、リビングのソファで寝転がる大野の姿が目に入った。

「大野。手紙が来ました」

「ん? 手紙?」

「ええ。ハサミ、ここ置きますね」

 手紙の上にハサミを置くと、大野はゆっくり起き上がり手紙の片方を切った。

 中から出てきたのは薄い紙が一枚。ライトの明かりで透けて文字が並んでいることだけは確認できた。

 何か特別な連絡なのだろうか、と観察していると、見る見るうちに大野の顔が強張り色を失っていった。

「大野? どうかしたんですか」

「悪い。今日はもう寝るよ。また明日」

 彼女は僕の声を遮り、逃げるように階段を駆け上がった。ドアが乱暴に閉められる音がした。

 リビングに残されたのは、僕と手紙の切れ端。壁にかかったデジタル時計は午後六時を示していた。


 結局彼女のことが心配で、僕は家を離れられなかった。

 時間は深夜零時を超えていた。それまでに何度か様子を見に行こうと思ったけど、彼女の拒絶が恐ろしくて僕はノックすら出来なかった。

 ただ、待っていた。昔なら時計が鳴らす秒針の音が沈黙を慰めてくれたかもしれないが、デジタル時計しかないこの家では息の詰まるような沈黙に耐えることしか対抗策がない。

 階段を降りてくる足音がした。耳聡くそれを捉えた僕がバッと顔を上げれば、驚いた表情の大野と目が合った。

「浅倉。帰らなかったの」

「あんなに傷ついた顔の人を放って帰れませんよ」

 そう、と彼女は一言吐いた。手には手紙が握られていた。

「ねえ、浜に行かないか」

 その誘いに僕は頷く。大野のきつく引き結ばれた唇が少しだけ緩んだ気がした。

 深夜の砂浜を歩くのは初めてで新鮮な気持ちだった。昼間は陽光を吸い込む砂浜は今は月光を吸い込み青白くに見える。

 僕らはその上を緩慢な足取りで歩いた。

 大野は家を出てからずっと無言だったが、新しく流れ着いた骨の前まできたときにようやく口を開いた。

「母が、死んだそうだ」

「それは、早く病院に行かないと」

「いや、もう葬儀も終わっている。手紙は全て担ってくれた人からの事後報告だったよ」

 語られるのは初めて聞く彼女の家族の話だった。大野は足元の骨から僕へと視線を移した。月光の下では薄い色のサングラスも透けない。

「ねえ浅倉。話を聞いてくれるかい?」

「……聞かせてください」

 頷けば、大野は困ったような笑いを浮かべて波と浜の境界まで歩みを進めた。そうして、規則的な動きを繰り返す白波にむかって話を始めた。

「私の両親は科学に馴染めず時代に取り残された人たちだった。街には住まず、山奥で昔ながらの生活を送る集落に住んでいた。排他的なコミュニティだった。偏った知識を共有して安心しているような人々だった。古来からこの国に住んでいた人々と同じ黒い髪に黒い瞳であることが何より大事だった。だけどそこに、私が生まれてしまった」

 それは科学が溢れる都会に住んでいた僕が教科書でしか知らない世界の話だった。科学や多様性を未だに受け入れられない人々、そこで生まれた異質な見た目を持つ赤子。何が起こったか、想像もしたくなかった。

 当の本人は教科書を音読するように淡々と言葉を続ける。

「取り上げた助産師が絶句して私を落としかけたらしい。それくらい茶色の髪と青い瞳は恐ろしいものだったそうだ」

 彼女の容姿を僕は美しく思った。けれども必要以上に彼女が隠そうとするのは、生まれに由来していることが容易に察せられた。

「父は母の不貞を疑った。母はそれを否定した。幸か不幸かどちらにも証拠がなかった」

「それは……」

 思わず声が出た。普通はDNAによる親子鑑定ができるだろう。しかし、彼女の両親のいる環境は"普通"ではなかった。

 かけるべき言葉に迷って黙っていると、大野は僕を一瞥して続きを話し始めた。

「赤子とその母親を追放するのは流石に非道だと言った集落の長によって、私たちは集落の片隅のみで生きることが許された」

 そこまで言って大野はふぅと息を吐いた。普段の彼女からは考えられないほどの口数の多さで、少し疲れたようだった。

 沈黙を埋めるように潮騒が響く。遠くで蝉の声がした気がした。夏に置いて行かれた虫が飛び立つ音だった。

「物心ついたときにはもう自分が望まれない存在だと分かった。たまに顔を合わせる集落の人々は皆、私を「魔女」と呼び冷遇した。母は早く私が一人で生きられるように物事を教えた。そして私が六歳になった年に、母は私を祖父の元へ連れて行った。子供を捨てる娘に怒声を浴びせる祖父を振り返りもせずに母は集落へ帰った。それ以来、私は彼女と会っていない」

 僕は、生まれて間もない少女へむき出しの悪意を突き付ける環境に腹が立った。そして、その環境で誰も彼女を守らなかったことも許せなかった。

「後で分かったことだけれど、私の容姿は父方の曽祖父に似ているらしい。いわゆる、隔世遺伝だ。今時、そんな誰でも知っている知識が彼らにはなかった。なんてくだらないと思ったよ」

 ははっ、と大野は渇いた笑いを無理やり吐いた。僕には何も言えなかった。

「生物の誕生の仕組みが知りたくて遺伝学を学んだ。けれど、どんなに研究したところで結局知識を拒む人間は減らない。私のような不幸はなくならない。それに気づいたとき、専攻を遺伝学から考古学に変えたよ」

 と言って彼女はくしゃくしゃになった手紙を広げ始めた。届いた時と同じように半分に折って封筒にしまう。

 その動きを見つめていれば、大野の細められた目がこちらに向けられた。

「ねえ浅倉。私が死んだら、この海に骨を撒いてほしい。次は人間に生まれないように出来るだけ雑に扱ってほしい」

 大野に告げられた希望に僕はどう答えるべきか迷った。

 死ぬことなんて考えてほしくなかった。まだ半年しか一緒にいないけれど、僕にとって大野はこれから生きる上で欠かせない存在だったから。愛した人の死をぞんざいに扱うことなんて想像もしたくなかった。

 けれども、彼女がそれを心の底から望んでいるのなら。最も近くにいる自分こそがその役目に相応しいとも感じていた。

 何も言葉を発さない僕から視線を外して、大野は手紙を細切れにし始めた。

 欠片になった紙は夏の夜風に乗せられて波打ち際へと運ばれる。波の上に乗って、砂浜と海を行ったり来たりする。しばらく眺めていれば、手紙だったものは全て海のどこかへと流されていった。

 一際大きく砂浜を濡らした波は、一緒に大野のサンダルも海水に浸した。

 僕は濡れて平らになった砂の上に足跡を付けながら、大野に近寄る。

「帰りましょう」

「……そうだね」

 大野は何か言いたそうな間を飲み込んで、家へと歩き出した。

 僕は拾われなかった骨を海に還し、大野の後を追った。

 月が奇麗な夜のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔女と白亜紀 月並海 @badED_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る