選ぶということ

 太陽がすっかり沈み、部屋の中はいよいよ真っ暗になる。目が暗闇に慣れてきた頃、ヴィクトーは約束通り俺を起こしに来た。

 ベッドに座っていた俺を見て微かに驚いた後、外に出るように手で示す。

 けれど、俺がなかなか立ち上がらないので近付いてきた。

「体調がまだよくなりませんか。そうしたら、薬を用意」


「なあ、お前たちが俺の描いた物語の登場人物だって言ったら、信じるか?」


「えっ?」

 突然の告白に、理解の伴わない声が返ってくる。予想通りだ。それでもかまわず俺は言葉を重ねる。

「俺はこことは違う世界に生きていて、この世界を物語として描いた人間だ。何を言われているか理解ができないと思うしそれで構わない。だけど、俺が未来を分かるということだけは信じてほしい」

「はぁ? 何を言っているか本当に分からないです」

「いいから聞いてくれ。これから始まる宴でリザと勇者はお互いの身の上話をして急激に仲を深める。そして宴の終わりにリザは勇者と共に旅をすると皆の前で宣言するんだ。村の中から勇者の仲間を輩出した誇らしさで、村人はみんな大喜びだ。もちろんお前もその場にいる。いいか? 昨日ここに来たばかりの男に想い人が奪われるのを、お前はニコニコしながら見守ることしかできないんだ。お前、それで本当にいいのか?」

 勢いのままに立ち上がってヴィクトーの両肩を掴む。彼はまだ困惑と動揺から抜け出せていない様子だ。大きく見開かれた瞳が忙しく泳ぐ。

 わななく唇が、微かに開いた。

「……僕に、どうしろって、言うんですか」

「宴が終わる前にお前の気持ちをちゃんとリザに伝えろ」

 昼からずっと考えていた。ネームに描いた内容は恐らく変わらない。それは俺がいるのに起きるイベントと記憶に齟齬が起きなかったから確信がある。なら、リザが旅立つという確定した未来に対して最もヴィクトーが報われる方法は一体なんだ、と悩んだ。そしてたどり着いた答えがこれだった。


 唇を引き結んでいたヴィクトーは目線を下に逸らすと、肩に置かれた俺の手をそっと払った。

「仰ることが本当に全て真実だとして」

 そう始めた彼の言葉には、諦めと悲しみと、怒りがごちゃごちゃになって溢れていた。

「それなら、今日までのことを全て決めたのもあなたなんですよね? そんな風に必死に訴えるんでしたら、あなたが元の世界に戻ってリザが勇者様に振り向かないように話を書き直してくれれば解決なんじゃないですか。勇者様がこの村に来ないように描いてくれたら、それでいいですよね。そもそも、俺がこの家じゃなくてもっと他の、自由に生きられる家に生まれるようにしてくれれば」

「ごめん」

 怒りを、嘆きを短い謝罪で遮られたヴィクトーは収まらない感情を全身に宿したまま、俺から距離を取った。

 行き場のない感情はすべて俺が受け止める気でいた。彼が感情を押し殺さなければならなかったのは、俺の責任だ。つまるところ、彼の感情がどう動こうが、幼馴染への絶対に叶わぬ想いを胸に秘めたままでいようが、物語の大筋にも結末にも何ら影響しない。そのことに甘んじて、俺は彼の気持ちを描写することをなおざりにしたわけだ。


 けれど、ヴィクトーはそのまま何も言わずに家を出て行った。

 立ち去るときに見えた泣きそうな顔は、ネームを描いているときに一度も考えなかった表情だった。

 今がどんな状況で誰が何を思っていようとも物語は進む。作者の俺ですら今は何も変えられない。悔しさで唇の内側を噛みながら、俺も宴の会場へと向かった。


 宴は円形に並べられた松明の中心で、食べたり飲んだり歌ったり踊ったり──思い思いに収穫を神様に感謝する催しだ。勇者とリザ、ヴィクトーは簡易的な祭壇の前で食事をしていた。

「カガリビ!」

 最初に気が付いた勇者が俺の名前を呼ぶ。遠くで様子を見ていようかと思ったが、本日の主役に手招きまでされて呼ばれては逃げ場がない。

 三人はじゅうたんの上に座っていた。俺は空けられた勇者の隣に腰を下ろした。勇者の向こう隣にはリザがいる。対面といめんにはヴィクトーの姿があった。

 なんでそこにいるんだよ。

 ネームで描いたままの位置に座る彼にひどく苛立ちを感じた。

 宴は賑やかで華やかで楽しい空気だ。ギターのような弦楽器と鼓のような打楽器が音楽を奏で、昼間よりも少しだけ露出の多い派手な衣装を着た女たちが踊る。

 久しぶりに大人数と食事をする嬉しさで酒も進む。口をつけるもの全てがどこか知っている味なのは、俺の想像の産物だからだろう。今はその味さえも安心に繋がった。

 村長や村の男たちの会話に混ざりながら、意識は反対側の勇者たちに向ける。

 勇者が話しているのは、育った村のこと、家族のこと、天啓を受けてから今までのこと。村の外に人一倍憧れを持つリザはその話を無邪気に喜んだ。

 たまにヴィクトーを盗み見るが、彼も勇者の話に相槌を打つばかりでリザに思いを告げる動きは微塵もない。

 悲しみを笑顔で押し隠した彼は、俺と一切目を合わせなかった。その拒絶は、自分の物語を捻じ曲げようとした作者の傲慢さへの憤りにも感じられた。

 そのまま宴も終わりに近付き、一通り身の上話をして勇者と親密さを増したリザはおもむろに願いを声に出す。


「わたしも、勇者様の旅についていきたいな」


 勇者とヴィクトー、それと俺だけに聞こえた──酒が回りきった他の人々には聞こえない囁きだった。それでも、物語を進めるには十分だった。


 松明の暖色に照らされた勇者の顔から、あどけない笑みがすっと抜け落ちる。残ったのはあの川で見た、冷静な男の顔だった。

「俺は、魔王を倒さなきゃいけない。その旅はリザが想像するよりも過酷で厳しいものになるだろう。……それでも、一緒に戦いたいと思うか?」

 勇者の問いかけに、リザもまた覚悟を決めたようだった。

 その表情は、やはりネームに描いたものとは違って見えて、もし続きを描けるなら今度は余すことなく表現してやりたいと思う。

 力強い瞳で勇者をじっと見つめた後に勢いよく立ち上がる。


「わたしは明日この村を旅立ち、魔王討伐に向かう勇者様の一助となることを神さまの前で誓います」


 囁く程度だった願いは、少年と少女の覚悟によって高らかな宣言へと変わった。

 いきなりの告白に、村人たちも酔いがさめたように口を閉じた。

 鳥の声が聞こえる。ホーホーと、沈黙を埋めようとするかのように。

 結末を分かっているのに、その静けさに冷や汗が俺の首元を伝ったときだった。

 ヴィクトーが、沈黙を破らんばかりの勢いで拍手をしたのだ。

 それに呼応するように村人たちが拍手を始めて、次第に褒め称える言葉が口々に叫ばれる。先ほどとは違う音楽が演奏され始め、リザの決意を祝福する歌が口ずさまれる。

 一人の少女の旅立ちとしては、この上なく素晴らしいシーンに仕上がった。リザの旅が始まる物語としては、最高の終わり方だと思う。

 村人全員に祝われたリザは嬉しさで頬を上気させながら、ゆっくりと席に着いた。未だ夢見心地の顔が目の前に座る幼馴染に向けられる。

「ありがとう、ヴィクトー」

 歌の中に短い感謝が落とされた。

 物心ついた頃から好きだった人へ、ヴィクトーは告げる。

「リザ、気をつけて。僕は君の幸福と安全をいつも祈っているよ」

 ネームにはない二人の会話。しかしそれはしっかりと存在していたと俺は感じた。

 僅かに逸らされた瞳が俺を射抜く。ヴィクトーは満足そうに目を細めた。

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