第14話 結実の樹の伝説

 ……この地のどこか、四方を険しい山に囲まれた小さな湖のほとりに一本の樹が伸びている。樹には果実がたわわに実り、その実を食べた者には不老長寿の祝福が授けられるという。しかし、未だかつてその樹の実を口にした者はいないとされている。

 人々はこの霊樹の果実のことを神々や仙人が食する神秘の薬だともてはやし、いつしか神仙の霊薬と呼ぶようになったのだという……。



「お母さんが食べたのも、その霊薬だったの?」

「そういうことね。その効果は見ての通りよ」

「凄いね、本当に人が若返っちゃうんだ……」


 話の途中で口をはさんできた実代は子供らしい素直な感想を漏らし、それを聞いた真千と結は揃って苦笑いを浮かべた。


「ま、ここまでの話だけ聞くと良いことの様に思えるだろうけどね」

「え……人が若返るだけじゃないの?」

「あの霊薬はね、正しくは人を若返らせる薬ではないの。白雲さまの話の続きを聞きましょう」


 真千に促された実代は再び話を聞く態勢に戻り、結は話を続ける。



 ……神仙の霊薬を求めて数多くの者が旅立っていったが、旅立っていった者は誰一人として戻ってこなかった。それでも、不老長寿の祝福を授けるという霊薬を求める者は後を絶たない。

 さて、今から何百年以上も前のこと。一人の若者が仕えていた主の命により神仙の霊薬を求めて旅に出た。若者の名や、その主が何者でいかなる理由から霊薬を求めたのか、などは今となっては定かではない。

 若者は地道に各地を巡って手がかりを探し、何十年もの時間を費やしてついに霊樹の在処を突き止めた。若者も年老い、仕えていた主も既にこの世を去っていたが、それでも主の命を果たすべく老人は霊樹の在処へと向かっていった。

 老人は過酷な山道をたった一人でくぐり抜けた末、遂に遂に名も無き小さな湖に辿り着いた。その湖のほとりに霊薬が実る霊樹があるはずであったが、老人には既にそれを探すだけの命が残されていなかった。

 それでも道端に落ちていた木の枝にすがって霊樹を探し続けた老人であったがついに力尽き、その場に倒れ込む。倒れた老人は、その時たまたま目に入った柘榴のような果実へと手を伸ばし、今一度力をとばかりにその果実を貪り食い、食べ終えたところで気を失った。

 それからどれくらいの時が経ったのか、老人は目を覚ます。しかし、目を覚ました老人は奇妙なことに気付いた。皺だらけで浅黒く日に焼けた肌は白く珠のような美しさに変わり、白髪だらけだった頭にも黒く豊かな髪があり、手足は細くしなやかになり、胸には柔らかな乳房がある。

 慌てて駆け寄った湖の水面に映るその姿は、うら若き女の姿であった……。



「え……何でそこで女に変わってしまうの? 若返るだけじゃないの?」


 そこまで黙っていた実代が再び声を上げ、それを聞いた真千は小さく頷く。


「そうね実代、確かにおかしいわね。でも、さっきも話したけれどあの霊薬は決して人を若返らせる薬ではないのよ」

「え……じゃあ、何なの……?」

「あの薬が人を若返らせるというのは、結果としてそうなっているだけの話ということさ。話を続けるよ」



 ……老人から転じた女は己の姿に困惑しながらもこうなってしまった原因を探して湖のほとりを探し、ほどなくして一本の巨大な樹木を見つける。天まで届かんばかりに伸びた無数の枝が絡み合って傘の様に広がり、中心に銀色に輝く不思議な太い幹がそびえていた。

 女が恐る恐るその樹に近付くと、どこかから女の声が響いてくる。声に呼びかけられるままに樹の裏側へと向かった女は、そこで己と瓜二つの女が幹の中に埋もれているのを見つける。声の主は幹の中にいる女が自分であると明かし、結実という名であると名乗った。

 結実は女に次のように語る。自分は数え切れぬほどの遠い昔、この地に暮らしていた者であったが、争いに巻き込まれた末にこの樹の中に封じ込められたのだと。

 結実の樹は結実自身の魂から果実を実らせ、実を食べたものを結実と同じ姿へと化身させる。結実の姿へと化身したものは、結実が持っていた神にも通じる力を得る代わりに自身の魂を結実の魂に蝕まれていき、最後には完全に結実の魂と一つになり、結実の樹の下で果てていく。結実はそれを繰り返し、長き時を過ごしてきたのだという。

 話の恐ろしさに震える女に結実は恐れることはないと優しく告げ、女に結という自らの名の一字を与えた……。



「……その時にはもう自分の本当の名前は思い出せなくなっちまっていたし、他の名前を名乗る気も起きないから仕方なく結を名乗っていたけれど、こうして思い出すとやっぱり気味が悪くて仕方がないね。正直、里の人間に白雲の女烏と呼び捨てられていた方がよっぽど気楽だよ」


 結はそう言って話に区切りをつけると大きく体を伸ばして大儀そうに欠伸をする。

 結の話が終わっても実代は何も言えなかった。結に聞きたいことがあまりにも多すぎて、どこから聞くべきかも整理が出来ていなかったからである。夜も更けてきて、眠気の湧いてくる頃合いであるのも影響している。

 真千はそんな実代の様子を見て取り、実代に尋ねる。


「実代、眠いのならば無理をすることも無いわ。あなたの部屋に戻って眠りなさい」

「……まだ……起きてる……」

「無理しないことだね。どうせ明日もここにいるつもりだったし、話を焦ることもないだろう、実代?」


 そこで実代は眠い目をこすりながら顔を上げて、真千の方を向いてはっきりと答える。


「起きてる……! 明日からはちゃんと休むし、稽古も真面目にやるし無理もしないから! お願いお母さん……今夜は最後までお話を聞かせて?」

「でも、あまり遅いと座長も心配するでしょうし……」

「そうだねえ、流石に子供が長いこと部屋に帰らないってのも……」


 真千と結がどうしたものかと首を傾げていると、誰もいないはずの廊下から声が飛んでくる。

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