第五章 千代の真実

第15話 種を明かす

「……その心配はいらねえよ。座長にはお実代ちゃんはお真千の部屋で眠っちまったからそのまんま寝かせてあるって言ってあるからな」

「え……?」

「勘助……さん……?」


 真千と実代の驚く声をよそに、部屋の襖を静かに開けて勘助がそろりと中に入ってきた。

 流石の結もこれには大いに驚いたらしく、目を丸くしている。


「大したもんだねあんた。このあたしにすら気配を悟らせないたぁ……?」

「俺は元々忍びの里の出でね。軽業師ってのも出を隠すための隠れ蓑さ」

「……ってことは、今までの話も筒抜けってわけだね」

「おっと、そう殺気立たないでくれよ。忍びくずれとはいえ生来口は堅い方でね。霊薬のことだとかを他の奴に言うつもりはねえさ。それなら黙って引き下がればいいだけのことだしな」


 結の鋭い視線で睨まれた勘助はそう言って肩をすくめるが、結はまだ警戒を解かない。


「……なら、あんたがここに現れた理由は何なんだい?」

「……俺自身の過ちへのけじめと……その先へ進むことさ」


 勘助も結も険しい表情で真っ直ぐに視線をぶつけ合い、言葉も交わさないまましばしの時が過ぎる。真千と実代は心配そうに二人を見守っていた。

 そして、先に視線を外したのは結の方だった。仕方がないといったように首を横に振って勘助に声をかける。


「……意外に頑固な男だね。優男っぽい態度はあくまで見かけだけってことか」

「……一度地獄を見たんでね。薄っぺらな男はその時に廃業したのさ」


 勘助は力のない笑みを浮かべて自嘲するようにそう語り、それを聞いた実代は勘助が千賀のことを言っているのだと感じた。

 一方、真千は表情を硬くさせながらやりとりに耳を傾けている。勘助は一瞬ちらりと真千の顔を見た後、すぐに結に視線を戻す。それを見た結は小さく息を吐いて苦笑した。


「……それで、どうなんだ白雲さま。俺もお供に加えてもらえるのかい?」

「……まあ、ね。聞いちまったものは仕方ない。あんたにも背負っているものが色々あるようだし、少しだけ相席していきな」

「恩に着るぜ、白雲さまよ」


 勘助はそう言うと自分から席を改め、女三人に遠慮したのか少し間を取った場所に正座する。

 場が落ち着いたところで、改めて結は三人に対し聞きたいことがあるのならば言うようにと告げ、まず実代が口火を切った。


「霊薬の効果というのは、食べたものを『結実』へと化身させると結様は仰りましたが、それでは霊薬を食べたお母さんも『結実』になったということでしょうか?」

「そう言うことだね……実代に勘助、あんたたちも昼間最初に会ったときに感じたんじゃないのかい。あたしと真千がどこか似ている、って」


 結実の言葉に実代は素直に頷き、少し遅れて勘助もぎこちない動きで頷く。


「既に話した通り、神仙の霊薬の正体は結実の樹の果実。『結実』の魂が刻まれた実を食べたものは実を食べる毎に『結実』の魂に己の魂を蝕まれて、最後には結実の樹の『結実』と全く同じ姿になり、結実の樹に還っていくのさ」

「……するってえと、仮にお真千が霊薬を食べ続けていたとしたら、いずれは今の白雲さまと同じ顔になっていたかも知れねえってことですかい?」

「そうなるだろうね。あたしは既に、あたしと同じ顔をした『結実』を何人も見てきたよ。あんたたち、どこを見ても自分そっくりなのが二人三人と居る様を思い浮かべることができるかい?」


 結は心底嫌そうな顔で吐き捨てるように言い、それを聞いた三人はそれぞれ首を横に振った。


「……考えられるもんじゃねえな。兄弟でも双子でもねえのに自分と同じ面してるのが何人もなんてよ」

「全然分からないわ……お母さんが何人もいるなんて……」

「……悍ましい話ですわね」


 三人の様子を見た結は納得したように頷いて、話を続ける。


「……そうだろう。あたしは同じ『結実』に会う度にあんたたちと同じような想いを繰り返し感じてきた。正直、さっさと『結実』になって樹に還ってしまいたい何度も思ったもんさ」

「身投げなぞは考えなかったんですかい?」

「『結実』になったものにとっては結実の樹に還ることこそが己の死なのさ。それに数えきれないほどの年を生き抜いてきた結実の樹と同じ体になるということは、それだけ頑健な体になるということでもある」

「歳も取らず、傷病とも無縁な不死の存在になるのではなく、老いも若きも、男も女も皆等しく同じ魂へと化身させてしまうもの。それが『結実』であり、神仙の霊薬の真実、ですわね」


 勘助の疑問に結が答え、真千が補足する。その様子を見た実代が不思議そうな表情で真千を見つめる。


「さっきから聞いていると、お母さんは結様が話していることを前から知っているような感じに見えるけど、いつの間にそんなことを知ったの? 知っているのなら教えてくれればよかったのに……」

「勿論、私だって前から知っていた訳ではないわ。大半は二人が来る前に結様から教わったことよ。私と結様は、同じ『結実』として繋がっているから」

「繋がっている?」


 実代が真千の言葉に首をひねっているのを見た結が真千に代わってどういうことかを説明した。

 結実の樹の実に『結実』の魂が宿されている。実を食べて『結実』となったものは、同じ魂を共有する者として霊的な力で繋がれ、『結実』同士であるならば、言葉を交わさずとも意思を通わせることが出来るのだと結実は話す。


「……雑な例えだけれど、結実の樹が母親、結実の樹の実を食べた奴が子供で、同じ母親を持つ子供同士は虫の知らせでお互いのことを知ることが出来る、ということさ」

「でも、それなら大元の結実の樹には子供のことは分からないっていうことにはならないのですか?」


 結の説明をひと通り聞いた実代は、更に質問を重ねてくる。それに対して結は複雑な表情になって真千の方を眺め、真千が頷くのを確認してようやく言葉を続けた。


「そりゃ分かるさ。結実の樹の実とは要するに結実の樹の分身だからね。何なら今この瞬間も、あたしとお真千は『結実』として結実の樹と繋がって……しまっているよ」

「……そうなのか、お真千?」

「ええ。私は結様とは異なって結実の樹との繋がりは薄いけれど、それでも結実の樹や結様以外の『結実』のことが伝わってくることがあるわ。最初はそれが一体何のことなのか全く分からなかったけど……」


 真千が勘助の言葉に答えながらそっと目を閉じる。まるで何かに対して耳を澄ましているように。その様子を見た実代は思わず真千の体に抱き着く。


「お母さん……!」

「大丈夫よ実代。ちょっと他の『結実』の意思が強く響いただけだから」

「……ああ、また一人、結実の樹へ還っていったな」


 真千の言葉に結も神妙な顔で頷く。そこで勘助が結の顔に視線を向けて鋭く問い質す。


「なあ、お真千はああ言っているが本当に大丈夫なのか? いつか何かがあって『結実』になったりはしねえのかよ、白雲さまよ」


 それを聞いた実代はびくりと大きく体を震わせた後より強く真千に抱きつき、真千は実代を落ち着かせるようにその背中をそっとさする。そして、結は勘助の視線を動じることなく受け止めて口を開く。


「……確約までは出来ないけどね。でもまあ、このまま何も起きず緩やかに『結実』からは遠くなっていって、多少……いや結構な長生きをするだけで生涯を終えるくらいで落としどころを迎えるんじゃないかと、あたしはそう思っているけどね」

「どういうことだ?」

「あたしが最初に真千に実を渡す時に説明した十の年という期限。あれは結実の樹の実を食べた後で、次の実を食べずにいられる限界。一度結実の樹を食べたものは、どんなに我慢強くても次の実を求めてしまうものなのさ。普通だったらね」


 結実の樹の実を食べたものは『結実』の魂に己の魂を蝕まれ、己の名前や過去の出来事を『結実』のものに塗り替えられていってしまう。そして、己の魂が消えていく事に実を食べた大半の者たちは耐えられず、身も心も『結実』に変えられていくのを知りつつも、また結実の樹の実を求めてしまう。そうして実を食べたものは己を失っていき、ついには『結実』そのものに変わってしまうのだと結は語った。


「……だが、お真千は違う。あたしが最初に渡した実がちょっと小振りだったこともあるけれど、それでも心を律して日々を生きて、『結実』の魂から己の魂を守り抜き、十の年を過ごした。勿論、何かがあってこれから再び『結実』になっていくこともないわけじゃない。けれど、少なくともあたしは信じてるよ。お真千は『結実』としてではなく、人間としてその命を終えることが出来ると信じているよ」


 結は自信に溢れた表情でお真千と実代を見ながらそう語り口を閉じる。

 それからしばらくは、誰も口を開かなかった。真千も勘助も一言もしゃべらず黙ったままで、真千に抱きついたままでいた実代は段々と強まる睡魔の圧力に目をこすり、ぼんやりとした表情でぽつりとつぶやく。


「……お母さんは……『結実』と……何が違うのかな……?」


 実代のつぶやきを聞いた結は何事か口を開こうとしたが、それを真千が押しとどめる。結はそれを見て小さく笑うと何も言わずに口を閉じ、真千は眠そうな顔をした実代を静かに優しく見つめて話す。


「それはね、あなたがいたからよ、実代」

「私……?」

「そう。私も結実の樹の実を食べてしまって、名前を含めて色々なものを失い、忘れてしまった。でも、それでも側にあなたがいてくれた。あなたを守る、あなたを愛する、その気持ちだけは失わなかった。失いたくなかったの」

「……お母さん……」

「だから、私は大丈夫よ、実代。私は『結実』になったりはしないわ。あなたと一緒の道を歩く、あなたのお母さんよ」

「……うん」


 最後に小さく返事をすると、実代は真千に抱きついたまま眠ってしまった。

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