第13話 真千と結が語ること

 中にいる真千と結は実代が外にいることを知ってか知らずか話を続けている。


「……それにしても、どうしてお話してくださらなかったんですの? そんな大切なことを」

「いきなり言って信じられる話でもないだろうさ。それにあたしにもそれほど余裕があるわけでも無かったからね」

「……すると、やはり」

「ああ、あんたに渡した霊薬は本来あたしが使うものだったからね……」


 結の口から霊薬という言葉を聞いた実代は、一瞬びくりと体を震わせ、慌てて姿勢を直して二人の会話を聞く。


「そんな大切なものを私の為に頂けるとは、今でも恐縮の至りですわ」

「もののはずみ、と言う奴さ。霊薬を手に入れてさあ帰ろうと通いなれた道を通ってみれば、里の方から夜中に山を登ってくる子連れの老婆がいて、あまつさえその連れ子に老婆が刃を向ける場面に出くわしたら、助け舟を入れないわけにもいかないだろう」

「それについては面目次第もございませんわ……」


 大儀そうに語る結に対して、真千は心底から済まなそうな声で応じる。

 実代はそんな二人のやり取りを聞いて首を傾げた。話を聞く限りでは、結が白雲の女烏その人であり、恐らくは真千と結が出会った時の話をしているのであろうが、まるで真千が老婆であったかような話しぶりである。真千は決して若いとは言えないが、老婆と呼ぶほと老いてはいない。それに老婆が子供に刃を向けていたというのも気になった。仮にその老婆が真千であったとしたら、真千が刃を向けていたのは実代であったのかも知れないからだ。

 そこまで実代が考え終わるのを待っていたかのように、結が口を開く。


「ま、そのことはどうでもいいさ。昼間も思ったが、いまのあんたは立派な母の顔だよ。あんたがどれほどあの子を大切に育ててきたのか、すぐに分かったね」

「結様にそう言っていただけるとは、私も果報者です」

「顔が私にそれほど似なかったのは幸いだったね。もしそっくりに似ていたら、あんたの姉と妹、どっちにするかを選ばなければいけないところだったよ」

「まあ……!」


 実代にとってはさっぱり分からないことを結は話し、それを聞いた真千は呆れたような声を上げる。


「……冗談はさておいてだ。実際、あんたが私の顔に似なかった、つまり霊薬の呪力に囚われなかったのは僥倖と言うべきだったね。普通はあの霊薬を口に含んだものは魂を蝕まれ、次から次へと霊薬を求めるようになり、最後には皆同じ姿に、あたしと同じように『結実ゆい』になっちまうのさ」

「……霊薬の呪い、とでも呼ぶべきでしょうか」

「そういうこと。私がここに来たのも、あんたが霊薬の呪力に囚われていないかどうかを確認するためさ。もしあんたが『結実』になりかけていたのなら、有無を言わさずここから引き離さにゃならなかったところだ」


 部屋の外から真千と結の話を聞いていた実代はあまりの恐ろしさに全身が震えあがった。そして、そんなことを平然と話している二人のことも恐ろしく感じられた。

 話についていけなくなった実代は襖から離れて自分の部屋に戻ろうとしたが、その時真千の言葉が聞こえてきた。


「私が結様……白雲さまと同じようにならなかったのは、何故なのでしょうか?」

「さてね、理由は色々考えられるさ……だが、一番大きい理由は実代の存在だろうとあたしは思う」

「実代が……」

「そうさ、あんたが目の中に入れても痛くないほど可愛い娘の存在が、あんたを『結実』ではなく真千のままで押し留めたんだろう。……実代、あんたもそう思わないかい?」

「えっ……!」


 不意に部屋の中の結に呼びかけられて実代はつい声を上げてしまい、慌てて口元を手のひらで覆い隠すも手遅れだった。

 部屋の中の二人から実代へ呼びかける声がする。


「入っておいで実代。大丈夫よ、白雲さまは全てご承知だから」

「そういうことさ。あんたも話の続きを聞きたいだろう」

「はい……」


 気付かれていたからには観念するより他にない。実代は真千と結の二人に呼ばれるがまま襖を開いて部屋の中に入っていった。

 部屋の中にいた真千は体を起こして結と向かい合っていた。熱は既に落ち着いているようで、表情も普段の穏やかさを取り戻しているように実代には感じられた。

 結は昼間と変わらぬ姿であったが、その時よりも更に気安い雰囲気を身にまとっている。


「……さて、疲れている所を申し訳ないね実代」

「……い、いえ、巫女様……」

「あー? その巫女様と言うのは止めとくれ。背中がむず痒くなる。昼間もあの勘助ってのがいなけりゃ、それは止めろと言おうかと思っていたけどさ……」

「白雲さまは畏まった言い方を好みませんものね」

「お真千、あんたのその呼び方も大概だよ。あたしのことは結と呼び捨てで構わないと言っているだろうに」


 真千の言葉を聞いた結は嫌そうな表情で真千に視線を向け、真千の方はそれを見て少しだけ目を細めて口元に笑みを浮かべる。


「お真千、何だいその顔は?」

「これは失礼いたしました。白雲さまが何やら子供のように思えてしまいまして、ついつい……」

「全くもう……つくづくあんたは母親なんだね。ま、生涯で三度も形を変えて子育てしてりゃそうもなるか」


 睨みつけても大して動揺も見せずにそれを受け流した真千に、結は諦めたような調子でそう語り、ため息をつく。そこで話に置いていかれそうになった実代が口を挟む。


「あの、結様……今のお言葉は一体どういう意味なのでしょう? 母は一体……?」

「ああ、そいつはお真千の口から聞いた方が良いだろうさ。あたしも途中で注釈を入れさせてもらうけれどね。それでいいかい、お真千?」

「それで構いませんわ。実代……少しだけ私の側にいらっしゃい」


 真千に促されて実代は真千の方に体を寄せ、反対に結は少し真千から体を離す。

 真千は実代の顔を優しい表情で見守りながら語り始めた。


「まず、私と白雲さまとの出会いについては以前にも話したけれど、あの時はどうして私が山にいたのか、白雲さまとどんな約束をしたのか、ということをあなたには説明できなったわね」

「うん、それはずっと気になってたわ、お母さん」

「私が山にいた理由……それは、『孫娘』の『子供』と心中をするためだったわ。つまり、私から見ればその子は『ひ孫』にあたるわね」

「……ちょ、ちょっと待ってお母さん。ひ孫って、どういうこと……?」


 いきなり自分の理解を超える話が飛び出して、実代は慌てて話を止める。真千に子供や孫、ひ孫がいるなど初耳であったし、それ以前に真千が孫やひ孫のいる年齢にはとても見えない。

 実代が頭を抱えているのを見た結が真千に声をかける。


「いきなり難しい話にし過ぎじゃないかいお真千?」

「とはいえ、他に話し方がありますでしょうか? 全てを明らかにする以上は避けては通れぬ話故」

「それはそうだけどさ、見た目の上ではまだまだ若いあんたにひ孫がいて、その子と心中するつもりでした、といきなり言われても聞いた方は唖然となるしかないだろうに……」

「……見た目の上では……?」


 真千と結が言葉を交わしている間も、真千の言葉の意味に首をひねっていた実代は、結の何気なく漏らした言葉が気になって俯いていた顔を上げて、真千の顔をまじまじと見つめた。黙ったまま実代に見つめられている真千に代わり、結が口を開いて訊ねる。


「実代、あんたにはお真千が何歳に見える?」

「え……? そ、その……四十前後だと……」


 戸惑いながら答える実代に対し、結は意味ありげに笑みを浮かべ真千は辛そうな表情を作る。


「まあ、普通はそんな具合に見えるだろうね。だが、違うのさ」

「違う……? じゃあ、お母さんは本当は何歳なんですか?」

「……本当なら数えで九十に近いはずだね」

「嘘……! だって、お母さん、髪もまだ黒いし皺だって目立たないし……」


 実代は呆然となった。真千が結と一緒になって自分を騙そうとしているのではないかと本気で疑うほどであった。しかし、真千は首を横に振って実代に告げる。


「嘘ではないわ、実代。白雲さまから頂いた神仙の霊薬の力で私は今の姿に変わってしまったけれど、本当はあなたが産まれた時には私はもうお婆さんだったのよ……」

「そんなの……嘘よ……信じられないわ……」

「まあ、確かに信じられないだろうね。老いたものが若返るなんて話、御伽話の中でしか聞かないだろうからね」


 真千の言葉を受け入れられず混乱する実代をなだめる様に結が声をかけた。真千は悲しげに目を伏せている。


「ただ、今お真千が言ったことは全て真実まことのことさ。真千があんたが産まれた時には既に年老いていたこと、山に入ってあんたと心中するつもりであったこと、霊薬の力で今の姿に化身したこと……いずれも確かに真実であることを、お真千と契りをかわしたこの白雲の女烏が保証するよ」

「……結様、あなた様は一体……?」


 何者なのですか、と実代が言おうとする前に結の方から話を切り出した。


「うん、まあ、そうなるだろうね。あたしという人間が一体何者なのか、白雲の女烏なる女は何者なのか気になるのは仕方のないことさ。……実代、あんたはあたしが何者なのか、本当に知りたいかい?」

「は、はい……知りたいです」

「お真千はどうだい? あたしの真実をあんたの娘に教えても構わないかい?」

「構いませぬ。それもまた、今の私に連なる話でございます故」

「よし! それじゃあお真千は退屈かも知れないが実代は良く聞きな。このあたし、白雲の女烏の真実の語りをね」


 結は荒々しい姿勢でどっかと座り込み、真っ直ぐに実代を見つめるような格好で己にまつわる不可思議な物語を語り始めた。

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