第10話 約束のとき

 宿に着くと、そこでは一座の皆が交代で真千の看病を行っていた、

 宿場の医者の見立てでは、熱は流行病などではなく疲れなどの積み重ねによる一時的なものであるという。ただ、体の衰弱の具合が尋常ではなく、少なくとも熱が落ち着くまでは絶対に動かさないように、と念を押されたということであった。

 実代と勘助が戻ってきたところで座長は一座の者を集め、今後をどうするか討議を行った。

 路銀のこともありいつまでもここに留まるのは厳しいと座長は話し、真千のことは宿場の者に任せて旅路を急いではどうかと皆に提案してきた。勿論、実代も勘助も即座に座長に異議を申し立てたが、それを見ていた一座の他の者たちも異口同音に座長に意義を訴えた。


「そりゃあ座長。あまりにも酷なご提案じゃありませんか?」

「そうですよ座長。今までどれだけお真千さんにお世話になったことか」

「それを病を得たから見捨てたとあっちゃ、世間の笑い物ですぜ」

「座長、ここは何卒お考え直しのほどを」


 口々に座長に再考を訴える一座の仲間たちの優しさに実代は涙を流して感謝し、勘助も何事もないふりをしつつ鼻をすすっていた。

 座長は座長で提案が通るとは思っていなかったのか、ひと通り皆の意見を聞いた後で「そこまで皆が言うのならば……」とあっさり自説を撤回している。その一方で、真千の薬代と合わせて路銀が足りなくなるのも事実であると座長は話し、急であるがこの宿場で芝居を上演することを改めて一同に提案した。

 告知は明日より行い、稽古期間は七日の間、そして、真千の看病もその間皆で代わる代わる行うという厳しい日程であったが、座長のその提案に今度は誰一人異議を挟む者はいなかった。

 そして、翌日から急ぎ芝居の準備が始まった。舞台の設営、宿場や近隣への上演の告知、芝居の稽古とそれぞれがそれぞれにするべきことを行い、合間に真千の看病も行う。

 その中で実代は娘ということもあり他の者たちよりも多めに看病の時間を割いてもらっていたが、芝居の花形役者でもある実代は稽古に気を抜くわけにもいかず、毎日夜には疲れ果てている有様であったが、それでも寝る前には必ず真千の元へ顔を出していた。

 真千の熱はゆっくりと冷めつつあるようであったが、体の方がまるで言うことを聞かず、少し歩くのにも誰かの肩を借りねばならなかった。あれほど元気だった真千の弱々しい姿を見ると、実代はやるせない気持ちになる。真千の方は真千の方で、日毎に疲労の色を濃くしていく実代の顔を見る度に心配を募らせていた。

 稽古が始まって四日目の夜のこと。実代はいつもの様に真千の部屋に顔を出した。真千の看病をしていた踊り子の女性は二人に気を遣って静かに廊下へと退出する。


「大分顔色が良くなってきたじゃないお母さん、良かった……」

「あなたの方は大丈夫なの、実代? 毎日稽古で忙しいようだけど……」

「平気平気。これもお母さんのためだもの。お母さんは病気のことだけ考えていれば良いの」


 心配そうに実代のことを気遣う真千だが、実代は疲労を隠すかのように陽気に振舞う。だが、真千には実代が完全に疲れ果ててしまっているのが手に取るように理解できた。

 だが、実代は言い出したら聞かない頑固なところがあり、当人が大丈夫だと言っているうちはまず譲らないだろうと真千は思う。

 何よりも当の真千の方が実代の心配も聞かずに働きすぎで病に倒れてしまった以上、真千が何を言っても実代は聞かないだろう。

 つくづく、今の身体の調子が恨めしいと真千は思う。数日前に温泉で実代に体を労わってと言われていたのがこのような形で返ってくるとは考えていなかったのである。しかも、真千に体を労わるようにと教えてくれた実代の方が今度は疲れを厭わずに働き続けている。

 実代が自分の部屋へ戻っていき、その日の寝ずの番である勘定係の男が真千に挨拶をして部屋を出ると、一人になった真千は暗闇の中でため息をつく。

 真千は実代のことが心配なのにどうにも動けない自らがもどかしくてならなかった。今の真千に出来ることは、実代の体を案じて天に無事を祈ることと、少しでも早く病が治るように静かに休むことくらいのものだった。

 実代のことを案じるあまり落ち着かない心をどうにか落ち着け、静かに目を閉じようとしたとき、布団の側に小さな巾着袋がひっそりと置かれているのに気が付く。

 それは真千が白雲さまに授かった御守りだった。温泉に行った際には確かに身に着けていたのだが、倒れた時のごたごたで手放したきりどこかに紛れてしまっていたらしくここ数日は見ていなかった。実代が何も言わなかったことを考えると、寝ずの番の男性が座長か勘助のどちらかから見つかった巾着を預かってきたのだろう。

 真千はそっと半身を起こすと巾着の口を開いて中身を取り出し確認する。中に入っていた古ぼけた半紙を広げてみると、そこには色褪せることも無く滑らかな字で『誓』と記されている。

 どうしようもない出来事が起きたのならば、この紙を真二つに割くと良い。そうすれば真千と実代の二人がどこに居ようと白雲の女烏が必ずや参上するであろう、あの時、白雲は確かに真千にそう言った。

 真千は半身を起こした態勢のまま逡巡する。紙を割きたいという気持ちと割いてはいけないという気持ちが真千の心中でせめぎ合っていた。

 だが、しばし悩んだ末にあどけない実代の笑顔を思い浮かべた真千は心を決める。持っていた半紙を一度置き、丁寧に二つに折ると目の高さにまで持ち上げると、『誓』の文字を中心に見立てて綺麗に真二つに割き、紙を袋に戻した。

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