第9話 昔と今と惚れた女

 それからしばらくの時が経ち、実代は思い出したように口を開く。


「……お母さんはその千賀さんに似ているの?」

「……似ているっちゃ似ているが、実はそれほど似ているわけでもねえ。……どちらかと言ったらよ、お実代ちゃんの方が似ているな」

「……えっ?」

「お実代ちゃんがまだ幼い頃はそうも思わなかったがな。けどよ、大きくなるにつれてどんどんどんどん千賀の顔になってきてる気がすんだよ。最初は気のせいかとも考えたが、でも間違いなく俺の覚えている千賀の顔はお実代ちゃんにそっくりなんだ……」


 勘助の言葉を実代は呆然としながら頭の中で何度となく繰り返した。自分が千賀にそっくりだとするのなら、自分は千賀の娘であり勘助の娘であるのであろうかと。

 しかし、それなら真千は一体誰なのだろうかとも実代は考える。それに、己のひ孫にあたる子供の世話をしていた老婆のことも気になった。


「……勘助さんはそれから里には戻っていないの?」

「ああ、一度たりとも足を向けちゃいねえ。それに、風の噂で聞いた話じゃ子供も婆様も既に里にはいねえって話だしな」

「どういうこと?」

「俺が逃げ出してからしばらくして、婆様の方も子供を連れて家を出たらしい。どこに行ったのかは誰も知らねえそうだ。里の連中は、婆様が付近の山に住みついている天狗か何かにその身を捧げて、子供を天狗に変えてもらったとか何とか言って怯えているらしいがな」


 勘助の話を聞きながら、実代は頭を全力で働かせていた。自身が千賀と勘助の娘であるのは間違いのないように感じられたが、真千の存在がどうしても実代と繋がらない。

 真千が千賀と少し似ているという勘助の話と、真千自身が実代と縁のある人間であると話していることを素直に考えるならば、真千は実代の叔母か何かだとするのが自然だが、勘助の話を聞く限り千賀に兄弟や姉妹がいたようには思えない。また、仮に真千が叔母だったとしてどうやって実代のことを引き取ったのかが分からない。それに、どうして真千は実代の出生についてのことを何も覚えていないのだろう。

 次から次へと頭に湧いてくる疑問に実代が混乱していると、その様子を見た勘助が実代の頭をぽんと軽く叩く。

 実代ははっとした様子で勘助を見つめる。


「勘助さん……」

「お実代ちゃんは何か難しいことを考えているようだが、そう思い詰めた顔をしているのは良くねえと俺は思うぜ。折角の可愛い顔が台無しだ」

「でも……」

「いいか、お実代ちゃん? お真千さんがどこの誰かなんてことは考えるな。そんなことを考えなくても、お実代ちゃんのおっかさんはお真千さんしかいねえんだろ?」


 勘助は実代の心を見透かしたようにそう言い切り、それを聞いた実代は目を大きく見開いて驚く。


「勘助さん……」

「……俺だって一応大人だからな。子供の思っていることの一つや二つくらい、分かってやれにゃ生涯の恥ってもんよ」


 勘助は少し情けなさそうに後ろ頭を搔きつつ答える。


「……ま、俺としても正直なところ、たまたま一座の芝居小屋でお実代ちゃんを連れたお真千を最初に見た時は心臓が止まるかと思ったぜ。千賀が冥府から子供連れで黄泉返り、俺を殺しに来たんだろうと本気で思った」

「それで、どうなったの?」

「何がどうあれ、出会っちまったもんは仕方ねえ。座長にも死んだつもりで男を見せろってどやされたのもあってよ、帰ろうとしていたお真千の真ん前で開口一番『すまねえ千賀、俺が悪かった!』と大声で謝った」


 勘助の語りは先程までは違いとても穏やかで、醜く歪んでいた顔も困ったような苦笑いに変わっているように実代には思えた。


「お母さんの様子はどうだった?」

「全く訳も分からねえといった有様だったよ。お真千からしちゃあいきなり見知らぬ男に知らない女の名前で呼ばれて謝られた訳だから、そりゃあ訳も分からねえわな。んで、お互いどう話したら良いか分からなくなったのを見かねて座長が助け舟を出してくれて、場所を変えて話をしたところでようやくお互いの事情を飲み込んだってわけさ」


 勘助はそこで道端に置いていた提灯を再び手に取ると、実代を促して再び歩き始める。


「勘助さんはどこまでお母さんのことを知っているの?」

「さてな。恐らくはお実代ちゃんの知っていることと大差はねえと思うぜ。ただ、さっきも言ったがお真千がどこの誰かなんてのは、俺には問題にならねえよ」

「……どういうこと?」

「そりゃ、理屈がどうこうじゃなく、お真千に惚れちまったに決まってるだろ」


 勘助は照れ隠しなのか何なのか足を速めて歩き、実代は遅れないよう小走りでそれについていく。


「お母さんとお千賀さんが重なったの?」

「最初のうちはな。だが、お真千と千賀が違うってのは一緒に旅するようになってすぐに分かった」

「違うところ?」

「ああ。細かな点を挙げるときりがねえが、一番違うのは人となりだ。いわゆる人の器ってやつさ。勿論千賀は良い女だった。今でも一番は千賀だと言えるほどにはな、だが、お真千の人はちょっと桁が違う。道理を弁え、優しくも厳しくもあり、誰かの為に身を捨てて事にあたる丹力さえある。俺もまあ女の経験は積んできたつもりだが、お真千ほどの女はついぞ見たことがねえ。まるで若いままいくつもの齢を重ねてきたんじゃないかと思えるほどにな」

「……」


 勘助の言葉を聞いた実代は小さく頷き、それから悪戯っぽく微笑んで言った。


「……ふーん、でもそんなこと言ったら千賀さんに怒られない?」

「そりゃ怒るに違いねえだろうが、それで説教されるなら喜んで受けてやるさ」

「千賀さんに逢えるから?」

「まあな。それに手前勝手かも知れねえが、千賀もいつまでも俺が昔を引きずってうだうだしている所なんぞ見たかねえんじゃねえか? ……その、子供のことはしっかりしろと言われるだろうけどな」

「大丈夫よ。勘助さん子供に優しいもの。いつかきっとお子さんにも逢えると思うわ」

「ありがとうよ、お実代ちゃん」


 勘助はそう言ってもう一度実代の頭を優しくなでると、緩んでいた表情を引き締めて前を向いた。


「さあ、話はここまでだお実代ちゃん。急いで宿へ戻ってお真千の世話をしねえとな。お真千もお実代ちゃんのことを待ってるだろう」

「勘助さんのことも待ってるよ、きっと」

「そうなら最高だがな……急ごうぜ!」


 実代と勘助はそこからは一言も話すこともなく、宿へと足を急がせた。

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