第4話 爪研ぎ

 家に帰ったが、ナルはまだ寝ているようだ。猫は良く寝ると聞いた事がある。本当かどうかよく分からない話だが、寝る子だからネコと呼んだと言う。まあ、猫は一日の半分以上眠っているというのは本当の事のようだな。


 買って来た猫砂などはフローリングの部屋にある押し入れに入れておく。

 朝にこの部屋でナルが遊んで……いや、俺が遊ばれていたから少し埃っぽいな。ナルは寝ているようだし、今のうちに掃除でもしておくか。

 ナルを起こさないように掃除機じゃなくてワイパーで掃除をする。


 ワイパーを掛けていると、床に見慣れない透明なシールの破片のような物がいくつか落ちていた。指の先にくっ付けて良く見てみると、鉤爪かぎづめのように曲がっていて、先端が尖っている。プラスチックのように硬いな。


 これはナルの爪か? 爪を薄く裂いたような形だ。さっき暴れた時に爪が割れたのか! 爪って割れても大丈夫なのか?

 ネットで調べてみると、爪が脱皮したものだと書いてある。脱皮? そんな事があるのかと思ったが、爪を尖らせるため爪研ぎをすると自然に側面が裂かれて鉤爪の形で剥がれ落ちるらしい。


 ナルはあのタオルで爪研ぎをしていたようだな。猫の爪研ぎというのは壁に立ち上がって引っ掻くものだと思っていた。だからキッチンの壁にベニヤ板を張り巡らせたのだが無駄だったのか?


 そういや、スーパーのペットコーナーで爪研ぎ器が売っていたな、高くて買わなかったが。……たしか段ボールの断面を重ねたような商品だったが、あれなら俺でも作れるんじゃないか。

 余った段ボールを長方形に切って断面の波々を上に向けて合わせてみる。十センチぐらいの幅になっとところで両端をビニールテープで巻いて固定する。


 おっ、ちょうどナルが起きてきたようだな。ガラス戸の向こうでウロウロしている。


「ナル。こっちに来てみな」


 戸を開けてナルを呼ぶ。「ニャ~」と鳴いてこちらの部屋に入ってきた。


「ほれ、この段ボールで爪を研いでみな」


 段ボールを束ねた棒のような物をナルの前に差し出す。ナルは鼻でその得体の知れないものを嗅いで、前足で小突く。だが爪は研いでくれないようだ。


「ほら、こうするんだよ」


 俺は指で段ボールの断面を擦るようにして見せる。ナルはキョトンとした顔でこちらを見つめている。


「だからな、こうやって爪を研ぐんだよ」


 猫の物まねをして爪を研ぐ格好をする。三十も過ぎた大の男が、小さな猫を相手に爪研ぎを教える何ともシュールな光景だ。人には見せられんな。


 どうもナルは理解してくれなかったようだが、俺の足元にあった段ボールの切れ端を見つけて表面を前足で引っ掛く。

 前のタオルと同じように鋭い爪で段ボールがボロボロになっていく。これで爪研ぎをしているようだな。


「何だよ、ナル。何も加工してないそっちの段ボールの方が良かったのかよ」


 せっかく俺が作った爪研ぎ器はお気に召さなかったようだ。ナルが乗っかるぐらいの広さの段ボールがあればそれでいいようだ。紙くずは出るがナルが気に入ったのならそれの方がいいだろう。

 俺は自作した爪研ぎ器をゴミ箱に放り込んだ。


 ブラッシングも試してみる。100円ショップで買ったブラシで背中を撫でてやると気持ち良さそうにしている。


「おっ、これは成功か」


 ナルは大人しくブラッシングさせてくれていたが、後ろ足の方をブラッシングすると俺を思いっきり蹴ってくる。俺が下手なんだろう。

 なにせ俺は飼い主の初心者、レベル1だからな。ナルに教えてもらう事の方が多い。


 キッチンへ行き、ナルの食器を洗ったりトイレの掃除をする。猫のトイレはもっと汚いものだと思っていたが、糞やおしっこが猫砂で固まって、それを専用のスコップで取り出すだけだ。臭いもあまりない。これは猫砂の性能だろう、袋にも消臭して臭いを取ると書いてある。

 これならあまり苦にもならんな。後は減った分の砂を追加すればいい。これで元からあった1袋分は使い切ったが、まだ在庫もあるし当分はこのまま追加していけばいいだろう。


「ナル、そろそろ飯にするか」


 隣りでまだ遊んでいるナルに声をかける。「ニャ~」と応えてキッチンの部屋へと戻ってきた。俺の声に返答したのか? ただの偶然か? 猫というのは人の言葉を理解するものなのか。よくは分からんが、少しは俺を飼い主と認めてくれたのだろう。



 夜の分の餌を小鉢に移して、俺も夕食の準備をしよう。

 夕食の後、風呂に入ってのんびりとしてそろそろ寝ようと布団を敷いていると、ふすまを開けてナルが俺の居る和室に入ってきた。


 おい、おい、なぜここにナルが来れるんだ。俺は風呂の後、ちゃんとキッチンのガラス戸を閉めたはずだぞ。ガラス戸を見ると、ナルが通れる分の隙間が空いている。


 ナルをキッチンに追いやって今度こそガラス戸を閉める。そして和室からこっそりとキッチンを覗くと、ガラス戸の向こう側でナルが立上り両手で戸の端に爪をかける。体重を乗せるように背中の方に倒れていくと、あの重いガラス戸が少し開いた。もう一度ナルが立上り両手を戸の隙間に差し入れて引っ張っている。今度はナルが通れる分だけ戸が開く。


 何なんだ! 猫ってあんな事もできるのか! あの重いガラス戸が開けられるなら和室のふすまなど片手で開けられてしまうだろう。難なく最終防衛線であるふすまを自力で開けて俺の部屋に入ってきた。


「ミャ~オン」


 一声鳴いて俺の布団に潜り込んでくる。


「お前って、すげぇ~奴なんだな」


 前の飼い主は一緒に寝ていたのかもしれんが、そのために自分で扉を開けてこの部屋にまでやって来るとはな。

 仕方ないか。ナルも俺を飼い主と認めてくれたんだろう、今夜は一緒に寝てやるよ。俺は隣にいるナルの頭を撫でる。でもこんな近くで寝ていて俺が寝返りを打ったらナルを踏んでしまわないか?


 そんな事を考えて仰向けで少し固まってしまったが、そのうち俺は深い眠りに落ちていった。

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