第7話

 私たちはそうやって毎月一度のデートを続けた。

 梅雨の季節は雨を避け映画館に、夏の季節は涼しい水族館へ、初秋の頃は郊外の公園へ、そして秋が深まる頃には銀杏の並木道と美術館へと。私はもっと彼女に会いたかったし、彼女もそう思っているらしかったが、私が一度水を向けると、彼女は少し考えてから首を横にふった。

「もし、月に二度にしたら、すぐに四度にしたくなるし、そのうち毎日会いたくなるかもしれない。でもそんなことになったら・・・無理でしょ?私はずっといつまでも会うことを続けたいから」

 その言葉を私は否定ですることができなかった。


 そして冬がやってきた。


 その日、私たちは午前中から二度目のカラオケを楽しんだあと、遅い昼飯で二人でふぐ鍋をつついていた。その日の知花はいつもと違ってどこかぼんやりとしているように思えた。

「どうしたんだい」

 と尋ねると

「ん?」

 と彼女は鍋から眼差しを上げた。

「なんだか疲れているみたいだ」

「そんなことないわよ。久しぶりにふぐなんて食べて、堪能しているの」

「そうかい?」

 そう答えつつ、私は彼女をちらりと見た。別に鍋を食べ始めてからそう感じたのではない。前回のカラオケの時は率先して何曲も立て続けに歌った彼女が、今回はどこか気怠そうに、私と代わりばんこにしか歌わなかった。そして彼女が最初に歌ったのは同じ南沙織でも・・・「悲しい妖精」だった。


 ”曲がりくねった愛の旅路でさまよう私 ああ恋人よ手を差し伸べ救けてくださいね”

 素敵な曲だ。そういえばこの曲はもともとジャニス イアンの曲、私がその頃海外の女性シンガーもっとも好きだった歌い手のカバー曲であり、南沙織の歌う中で二番目に愛していた曲だった。そのことを私は知花に話しただろうか?彼女はどんな気持ちでこの曲を選んだのだろうか?彼女は・・・救けられることを望んでいるのだろうか?それは何からなのだろう?私の頭の中では様々な思いが駆け巡った。

 そして私は彼女の想いに寄り添うことができるのか?

「原曲はジャニスイアンのI Love you bestだよね」

 曲が終わり拍手をしながら私が言うと

「うん」

 知花は頷いた。

「元の曲もカバーもどっちも好きだ」

「私は最初にジャニスの方を好きになったの、立花君歌ってくれる?」

「歌えるかな?」


 ”I love you best when it's just like this..."(こんな感じの時、あなたが一番いとおしい)

 そのフレーズで始まる歌詞を画面を必死に追いながらなんとか歌い終えると知花は拍手をしてくれた。

「アメリカの女の子は、恋人と二人っきりの時、刺繡でもしながら彼の横でこの歌を口遊んだんだろうなぁ。私たち好きあっているよね。そしていつまでも変わらないよねって互いに思いを確かめ合いながら。でも日本の女の子は彼のいないところで自分の切ない思いを感づいてほしいって歌っているような気がする」

 私は原曲の歌詞を思い返した。

「そうかな、そういえばそうかもしれない」

 原曲の方が好き、という彼女の言葉は沸騰しかかっていた私の頭を少し醒ました。彼女は私と一緒にいるこの時を大切にしたい、そう言っているようにも思えた。

「南沙織も素敵だけど、ジャニスの歌って心に染み入ったわ、あの頃」

「うん、ジャニスイアンってさ、どこか孤独で天才的で、すぐに天国に召されちゃうんじゃないかって思わせる感じがしたよね」

 私はレコードジャケットの意志の強そうな目と端正な顔つき、それとアンバランスなカーリーな髪に被せられたカスケットを思い浮かべた。彼女を美しく着飾らせることはいくらでもできるのに、それを拒否するのが彼女の主張のようにジャケットを見た時、思えた。

「そうね」

「でさ、ちょっと前になんかの拍子でジャニスイアンが今どうしているかって調べたことがあったんだけど」

「うん?」

「とっても元気そうなおばさんシンガーだった」

「ははは」

 知花は声を上げて笑った。ようやくいつもの知花に戻ったような気がした。

「良かった・・・」

「だよね。メランコリックな感じがして病気とかなっていそうな気がしたんだけど、意外に元気でちょっとふくよかになって・・・意外だった。もし彼女が病気になった時誰か駆けつけてくれる人がいるんだろうか、なんて余計な心配をしたものさ」

「ああ・・・じゃ、もしさ」

 知花は言った。

「私が病気になったら、立花君はどうする?」

「縁起でもない。歳をとったってさっきは言ったけど僕らはまだ還暦にもなっていないんだよ。映画を400円割引してもらえる歳までさえ行っていないのに」

「そうだね」

 知花は微笑んだ。

「わたしたちも元気そうなおじさん、おばさんになりたいね」

「でもさ。万一、知花が病気になったら、僕は毎日会いに行くよ」

「ほんとうに?」

 知花は疑わしそうな、でも、ちょっと嬉しそうな表情をした。

「もちろん」

 私は胸を叩く真似をした。

「家族に疑われるよ?」

「それは・・・関係ないさ」

 私は心もとなげに聞こえないようにはっきりとした口調で言い、

「ふふふ」

 と、知花は笑った。

 締めの雑炊を頼んだ頃には店には私たちしか残っていなかった。

「ねぇ・・・学校に行ってみない?」

 突然、思いついたように知花が提案した。

「学校?」

「学校・・・私たちの卒業した高校よ」

「ああ・・・いいけど、でもどうせ行くならば春になってからの方がよくないか?」

 雪が降るわけでもないのに、私たちの通っていた高校への冬の通学はひたすら寒かった。自転車で通学していたせいもあるが、とにかく強く吹く風が家から高校の間の僅か十分の間に私の体温をひたすら奪った。その記憶が蘇り、私は少し身震いをしたほどだ。だが、

「冬があるから春は来る」

 知花は歌うように呟いた。

「それはそうだけど・・・」

「盛岡君がこんどは自分のレストランで同窓会をやりたいって言っているらしいの」

 知花は弁解するような口調で言った。

「そのレストランに行くのか?」

「ううん。そんなことしたら彼、魂消ちゃうわよ。その上、翌日には近所中に知られちゃう。もしかしたら40年前の連絡網が復活して全員に連絡しちゃうかも」

 知花はそう言って笑った。

「でもその話を聞いた時、なんだか急に懐かしくなっちゃってね、いや?」

「いやじゃないけど・・・」

 電車で行けない場所ではないが、本数が限られているし時間がかかる。かと言って家の車を出すのもどうかと思った。車というのは・・・いつも乗っていない人が乗るとたいていバレてしまう。

「じゃあ、車を借りようか」

「いいの?」

「うん」

「じゃあ、車は私が借りておく。駅の近くまで来れる?」

「もちろんだよ」

 知花の住んでいる駅の近くまでさえ、私は行ったことがなかった。なんだか、知花との距離が少し縮まったような気さえした

「じゃ、約束」

 知花は細く白い小指を立て、僕らは指を切った。

「いつにする?」

「来月の最初の日曜はどう?学校も休みだから人はいないだろうし」

「そうだね。車借りる時は万一のためにスノータイヤにしておいて」

「分かった」

知花は頷いた。


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