第2話

 同窓会が開かれるホテルは、地下鉄銀座駅の地上に出てから五分ほどの距離にあった。ホテル一階のロビーには札が出されていて、十八時開場、十八時半開宴と書かれてある同窓会の会場は階段を上がった中二階のウィステリアという名の広間となっていた。時計を覗くとまだ六時十分だった。横浜から銀座まで、一応多少の余裕をもってきたのだが少し早めに着きすぎたかな、と後悔しながら深紅の絨毯の敷かれた階段を上がっていくと、数人がたむろしている受付があり、そこがウィステリアという間であった。列に私も並んだ。受付の男は、見知らぬ小太りの男だったが、私を見るなり、

「ああ、立花か、よく来てくれたな」

 と懐かしそうに声をかけてきた。きょとんとした私の表情に気付いたのか、

「ほら、おれ、盛岡だよ。覚えている?」

 と言った。盛岡・・・。その名を聞いた途端、クラスで一緒だった、ひょろっとした男の姿が浮かんだ。

「盛岡か・・・。ずいぶん・・・」

「太った、だろ?」

 盛岡は笑いながら、私の名前にチェックすると名札とリボンを手渡してくれた。

「ああ・・・。いや貫禄が付いた」

 否定しても意味がなかった。誰が見ても・・・そう言うのだろう。

「あの頃は、おれ痩せていたからなぁ。みんな気付かないんだよ」

 照れたような顔をした盛岡を見て、急に懐かしさを覚えた。盛岡は中学から進学してきた男で、クラスでめったに話したことのない生徒だったが、げじげじ眉と、ずんぐりとした鼻が昔通りだった。

「懐かしいなぁ」

 思わず私はそう言った。

「なんせ40年ぶりだからなぁ。いろいろ変わっちゃったけど・・・。でもまあ、立花は昔とあんまり変わってないなぁ。羨ましいよ。とにもかくにも元気そうで何よりだ」

「盛岡は、地元で働いているのか?」

「ああ、レストランを経営しているんだ。そのせいかなぁ、みるみるうちに太っちゃったよ」

 そういうと盛岡は腹をポンとたたいた。

「うちの店で同窓会をやるって話もあったんだけどな。まあ、東京の方がみんなに便利だし・・・たまには俺も東京で羽を伸ばしたいと思ってな。受付は仕事柄得意だぜ」

 盛岡は妙な自慢をした。

「そうか・・・会費は、ここで払うのか?」

「うん、八千円だ」

「ほんとうに足りるのか、それで?」

 小さなホテルとはいえ、銀座の一等地だ。広間を借り切って食事も出すとなれば、八千円では心もとない筈だ。

「ああ。ここ由香ちゃんの知り合いがやっているんで、安く借りられたらしいよ」

 由香ちゃん・・・。知花のことだった。盛岡も知花も中学から一緒だったせいか、互いに名前で呼び合う仲であった。そんな関係がふと羨ましく思えた。

「そうなのか・・・」

 一万円札を差し出し、二千円のお釣りをもらいながら、

「ところで、宮本は今日は来るのか?」

 と私は尋ねた。

「宮本・・・お医者さんのか?」

「ああ」

「少し遅れるらしいけど、出席となっている」

 盛岡は名簿をチェックするとそう答えた。

 会場に入ると、時間前だというのにそこにはすでに十数人の男女が集まっていた。すぐに誰だか見分けのつくのもいれば、初めて会ったような気のするのもいたが、名前を聞けばみんなすぐに思い出すことができた。

 知花由香は高校のときと同じく、人の輪に囲まれていた。そこに割って入るのも気が引けて、私はボーイが配っていたビールを一つ取ると、壇上にいる司会者と恩師の方を眺めた。何人かが私に声をかけ、軽い挨拶を交わすと去っていった。やがて、会が始まり司会者が挨拶を始めたころ、私の背中をどんと、叩くものがいて私は振り向いた。宮本だった。

「久しぶりだな」

 にやりとわらって声をかけてきた宮本を見て、ようやく気の置けない友人が現れたことに私はほっとした。

「やっぱり内部生の方が圧倒的に多いな」

 宮本は私の耳元でそう言った。内部生とは中学からエスカレーターで進学してきた者たちのことだ。

「そうだな・・・。お前、忙しくないのか?こんなところに来る時間が良くあったな」

 そう尋ねると宮本は人差し指を立てて、ちっち、と口を鳴らした。昔から良くそういう仕草をする男だった。

「忙しいには忙しいが・・・だがな、立花、我々の世代といえば、成人病患者予備軍の集団だぞ。つまり俺にとってここは潜在的顧客の集団なんだよ。みたか、受付の盛岡?」

「ああ、ずいぶんと太ったな」

「ああいうひょろっとしたのが太ると・・・俺たちの格好の獲物だ。あいつは地元だから俺の対象外だけどな」

 私はつい笑った。

「お前が経営している病院じゃないだろ。何かノルマがあるのか?」

「ノルマはないがな・・・。そもそも俺の病院は初診はみない。だが知り合いの医者を紹介することはできる」

「バックマージンでも取るのか?」

「馬鹿な。だが俺の名前で紹介しておけばいろいろとメリットはあるのさ」

「お前・・・以前開業医はがんだとかなんだとか言っていなかったか?」

「まあな、だが病気とうまく付き合うのも医者の仕事だ」

 そういうと宮本は笑った。ちょうど開会の挨拶が終わり、恩師の音頭で乾杯をするところだった。恩師は・・・あの時、進学指導の面接のとき私が呆れさせた教師だった。時はシビアに我々の上を通り過ぎていたが、とりわけ彼には厳しく当たったらしく、杖なしにはもう立てないようだったが、何とか席から立ち上がると、司会者が、

「では水戸先生、発声をお願いします。皆様もご唱和を」

 そういうと、恩師はぐるりと周りを見回し、存外に大きな声で、

「乾杯」

 と声を上げた。


 椅子に座ったままの恩師の前には列ができていた。それぞれの近況を恩師に報告するのは同窓会の常なのだが、それが心苦しくて同窓会に出席しない者たちもいるのではないか、と密かに私は思った。

 自分は特に栄達もしてはいないが、恩師に報告を躊躇うほどのこともない。だが、そう思わない生徒も何人かいるに違いない。流れた時間は時に残酷だと思いつつ、粛々と列に並び私は自分の番を待っていた。その十番前ほどには知花由香を含めた女性たちが集団で並んでいて、その順番が来ると華やかな笑い声があたりを包んだ。ひょいと覗くと、恩師は嬉しそうに女性たちと語らっている。歳をとってもやはり自分たちより若い女性と話すのは嬉しいようだ。そのせいで列の速度は極端に遅くなったが、女性たちも後ろに並んでいる同級生を気にしてか、

「まだ並んでいる方もいらっしゃいますから、私たちはこれで。またお話に参りますわ」

 と言うと、恩師は残念そうな顔をした。「残念な組」に振り分けられた男性陣はそれぞれ、二言三言恩師と語らい散っていった。私の番が来て、

「水戸先生、お久しぶりです。立花です」

 私が言うと、

「おお、立花君か。君のことはよく覚えている。確か横浜の大学に行ったんだよな」

 と恩師はにっこりとした。

「ええ、おかげさまで」

「今は何をやっているんだ」

 恩師の問いに、国内営業の副部長をやっていて今度子会社に出向すると説明すると、

「そうか、社長か?」

 恩師は尋ねた。

「いえ、一応役員ではありますか」

 そう答えると、恩師は、

「そうか、君は偉くなると思っていたよ。県に何かその会社の工場でもあるのか?」

 とさらに尋ねてきた。県内には工場はないが、取引先の工場を二・三上げるとその一つにの工場長が昔教えた生徒だと答えると、

「今度、会った時に君のことを伝えておこう」

 と手を差し出した。

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 そう言って、握手して私は儀式を終えた。


 それからしばらく待ったが、知花の周りの人の輪はなかなか解けなかった。一言だけ言葉をかければ気が済むような気がしたが、なんだかそれも少しみじめな気もしそて、私はビュッフェに供された寿司とローストビーフをビールで流し込み、つくねんとテーブルに膝をついてあたりを眺めた。宮本は如才なく、彼の言う「格好の獲物」たちを渡り歩き、挙句の果ては女性たちの輪にも巧妙に入り込んで談笑していた。

 私は苦笑して、それを眺めていたが、彼が一通りの人間と話し終えて戻ってくると、

「俺はそろそろ失礼するよ」

 と言った。パーティはあと30分ほど時間が残っていたが、一人二人と帰る姿もあり、早すぎるということもない様子だった。

「そうか、もっとゆっくりとしていけばいいのに」

 宮本は首をかしげたが、

「いや、お前と久しぶりに話がしたかっただけだ。それに孫たちが家に来ているんだ」

 と言うと、目の前の男は相好を崩して、

「なるほど、立花もいいおじいちゃんになったんだな」

 と軽く笑った。

「良いかどうかは分からんが、おじいちゃんには違いない」

 そう答え、私は宮本と握手をすると広間を後にした。


 ホテルの階段を下りながら、私はどこか一抹の寂しさを覚えていた。高校は私のホームグラウンドではない。なんだかそんな感じがした。

 そんな甘酸っぱい気持ちのまま階段を降りきろうとしたその時、急に私は肩を叩かれて振り向いた。そこに彼女、知花由香の顔があり、私は危うく仰け反りそうになった。

「もう帰るの?」

 彼女はそんな私の様子を気に留めることもなく、尋ねた。少し頬が紅潮していた。それが酒のせいか私には分からなかったが、彼女の目はあの時、私が急に席を立った音に驚いて見開いた目とそっくりだった。

「あ・・・うん」

 私は戸惑いながら答えた。

「じゃあ、私ももうすぐ帰るから・・・ここで待っていて。お話ししたいの」

 彼女は手にした名刺を私に握らせると、

「必ず待っていらして、ね?」

 と言うなり返事も聞かずに、振り向くこともなく彼女の姿は階上へと消えていった。


 名刺はそこから三ブロックほど離れた、有名なホテルに付設されたバーだった。孫が家に来ているというのは本当だったが、娘はどうやら妻に料理を作ってもらうのが目的のようで、二週間に一度は来ているのでどうしても会わなければならないというほどのものでもなかった。もし、どうしても会わなければならないくらい稀な来訪だったとしたら・・・と私は考えた。それでも私はバーで彼女を待つ方を選んだに違いない。


 バーは空いていた。時間が早いこともあるが、こうした老舗ホテルのバーというのは客足が少なくても決して閉鎖されることはない。なぜならバーはこうしたホテルにとっては必需品だからだ。そういうバーがあることを前提としてホテルの料金は設定されている。世の中にはそうしたものも必要なのだ。バーをなくすくらいならホテルを閉鎖する、そういう気概というものを持っている経営者というのはどんどんと減っている。

 客は私以外に一人だけ、おそらく海外から来たばかりの外国人で、時差のせいか奥のシートでこっくり、こっくりと転寝うたたねをしていた。私はエールビールを頼むとソファに沈み込んだ。

 彼女は何の話が私にあるのだろう?彼女が結婚したのかどうなのかさえ私は確認していなかった。それを誰かに尋ねるのは彼女に対する興味があると伝えるようなもので気が引けた。旧姓のまま、というのは彼女の場合結婚していないことの証明にはならない。おそらく結婚しても婿入りの形をとったに違いあるまい。

 もし結婚していて、彼が県会議員だとしたら・・・。恩師に言ったように私は子会社の役員になるとすでに辞令をもらっている。そしていくばくかの工場が彼の選挙区の中にあるかもしれない。すでに子会社の人事はそうした工場にも伝わっているし、取引先の中にはそれを知っているものもあるだろう。そうした情報が流れて、選挙の応援を頼まれる、そうしたことがないわけではない。日本の選挙は・・・残念ながらそうした仕組みで成り立っている。

 とはいえ、他のことを期待する気持ちがないわけではなかった。彼女が本当に私と話をしたい、そういうことも考えられないではない。だが・・・交渉のコツが相手の期待値のコントロールであるように、自分が平静であり続けるためには自分の期待値をコントロールすることが大切だということを私はそれまでの人生で学んでいた。

 エールを飲み終え、時間を見るとちょうどパーティが退ける時間だった。


 それから三十分ほどの時が過ぎ、エールビールの二杯目と水割りを飲み終えた時、ひょっとして彼女にからかわれたのではないか、という疑いが私の頭にもたげてきた。そんなことをする必然性が、彼女自身にあるとは思えないが、その思いはなかなか消えなかった。二杯目の水割りを注文すると、私はあと三十分待って彼女が来なければメモを残して帰ろうと決意した。


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