生まれ変わったらいっしょになろうね

西尾 諒

第1話

 私が初めて彼女と出会ったのは・・・そう、あれは高校の一年生の時のことだった。

 その年私は父親の転勤で住んでいた横浜から北関東のある県庁所在地の街へと転校した。横浜に残るという選択肢がないか、私は両親と話し合ったが、その希望は叶わなかった。家賃などの経済的な問題もあったが、何より両親は、特に母親は「家族は一緒に住むべきだ」という強い信念を持っていた。

「なんでそんなことを言うの?翔ちゃん。一緒に暮らすのが家族というものでしょ」

 夕食の後、ダイニングテーブルで話し合った時、母は涙声で私にそう言い、横で父は頷いた。

「でも・・・友達が。それに・・・部活動も」

 私は抵抗してみた。

 ほんとうのところ、実際のところ離れたくないと思うほどの友人は私にはいなかったのだが、それ以外の理由が見つからなかった。単に横浜から見知らぬ地方都市に移りたくない、という理由では両親を到底説得できるとは思えなかった。部活動のことは本当だった。

「そうね・・・」

 母は理解のある言葉で応じた。

「でも、家族は一生繋がっているものでしょ。向こうに行っても友達はできるわよ。大丈夫。それに部活動だって・・・ちょっと危険だし」

 きっと向こうに行っても友人はできないだろう、そう思いつつ、

「だけど・・・せっかく受験して入ったばかりなのに」

 私は抵抗を続けた。

「そうね、そこのところはお母さん、ちゃんと確かめるから」

 その時に私はもう半分、諦めていた。それ以上抵抗すれば母の涙を見なくてはならない。ただでさえその頃すでに病弱だった母を苦しめるのは私にはできなかった。

 その後も何度か抵抗はしてみたものの、それはちょっとしたゲリラ戦で引っ越しに伴う様々な条件を少しでも有利に運ぶため・・・例えば個室を確保したり、通うための自転車のスペックを高くしたり、のものに過ぎなかった。

 高校は同じ私立の系列の高校が引っ越し先にあったため、問題なく転校できるとのことだった。偏差値はさして変わらないらしい。

「よかったわね」

 母は言ったが、私の心にはさして響かなかった。その高校に受験したのは魅力的な部活動があったから、それだけだった。


 夏休みが終わり、最初の登校日、私は少し緊張していた。転校は初めての経験だった。夏の名残の濃い日の光が降り注ぐ教室で、私はどもりがちに自己紹介した。

「立花 翔一です。横浜から転校してきました。得意科目は数学と地理、苦手は英語です。頑張っていきたいと思いますのでよろしくお願いします」

 たったそれだけのことを言うのに、時間が止まってしまったような気がした。ともかく挨拶を終えて深くお辞儀をすると、ぱらぱらとまばらな拍手がおき、私は頭をあげた。視界の中に見知らぬ同年代の男女が私を見詰めていた。その中で、少し猫背で私を見上げて拍手をしている女の子を私は見た。

 それが、彼女・・・知花由香だった。


 それまで私はさして女性に興味はなかった。横浜にいたころ女の子たちはみなファッションに気を遣い、眩しく、そして扱いにとても注意しなければいけない生き物であった。そう・・・彼女たちは海の生き物に似ていた。同じところに身を寄せて、そのいくつかは美しく、そのいくつかは目立たず、そのいくつかはとても危険だった。遠目に見ている分には構わないが、触ったりすればそれは生気を失ったり、逃げたり、刺したりする。

 こっちでは、そう、横浜ほど女性は流行に敏感ではなかったが、それでも女子高生は女子高生だった。取り扱い注意と言うフラッグは立ったままだった。

 その中でとりわけ知花由香は眩しい存在だった。ぱっちりとした、人目を惹く瞳は、少し青みがかった背景の中でくるくると活発に動き、整った形の鼻は・・・そう、鼻の形ほど褒めにくいパーツはないというのに彼女の鼻はとても素敵な大きさと形をしていた。そして日を受けると透き通るような耳、白い肌・・・横浜の女の子たちはファッションは素敵だったけれど、よく見るとどこかに「あら」が見つかったものだけど、彼女はどこを探しても「あら」がなかった。そして時折生き生きと動く桜色の唇。それまでに見たあらゆるものより柔らかく、美しく見えた。取り扱い注意と書かれていても、取り扱いたくなる生き物を見たのは初めてだった。

 だが当然のことながら私と同じ思いを持つ者は多く、彼女はクラスで一番華やかな存在で、男女問わず取り巻きも多かった。私は太陽系の衛星でいえば中で、一番遠く離れた、そう冥王星のような位置にいたのだろう。いや、彼女にしてみれば単なる星屑のようなものに違いないのかもしれない、とその時の私は思っていた。

 その高校の半数以上は中学から進学した者で構成され、残りの半分から一人を除いては高校を受験して入学した者であった。そして残りの一人が私だった。

 そんな状態は1年生の間中続き、クラス替えのあった2年になってようやく、何人かの生徒と私は話すようになった。横浜にいた時はセイリング部に属していたが、北関東の高校には海も当然、セイリング部もなかった。必然的に私は部活には参加しなかった。セイリング部を失い、知花由香を知ったが、その肝心の彼女は高嶺の花であり、どう見ても収支は合わなかった。

 それでも2年になった時、もしかして彼女と別のクラスになってしまうのではないか、という懸念はあった。知花と一緒のクラスにいるというのは私がこの高校にきて唯一得たもののような気がしたからだ。幸いにしてその懸念は杞憂に終わった。

 しかしだからといって、彼女と私は格別親しくなるわけでもなかった。私はできるだけ彼女に関心がないように装ってさえいた。 


 ただ、一度だけ私は彼女と二人きりで話したことがある。あれは多分、二年の秋、進路指導の時だったと思う。高校では、まず教師と生徒が進路志望について話し合い、その上で三者面談を行うという方式がとられていた。私の後に知花という順番になっていた。私が別室で順番を待っている最中に、知花は突然そこに現れた。進路志望で教師と話し合うという緊張感の上に、知花が入ってきたことで私の緊張はいやがうえに高まった。

 彼女はそんなことを知らず、すっと私の横の席に座った。そして、

「ねぇ」

 と私に話しかけてきた。

「う、うん」

 当然、私は志望する大学や進路を尋ねられると思った。だが、彼女の質問は、

「横浜ってどんなところ?」

 というものだった。

「あ、え?」

 私は言葉を失い、彼女は少し顔を近づけた。

「どんなところなの、横浜って?」

「あ、いいとこだよ、海が近くって」

 ふっと、彼女の体からなんだかいい香りがした。

「ふぅん・・・」

 彼女はまだ何かを尋ねたそうだったが、その時前の生徒の面談が終わったらしく、

「次、立花」

 と、私の名前が呼ばれた。慌てて立ち上がったために椅子が大きな音を立てた。その音にびっくりしたように彼女はただでさえ大きな瞳を見開いて私を見た。 


 私が言った答えが、正しかったのか自信が全くなかった。なぜか海の無い地方では海がないことをコンプレックスに感じている。日本なんて、四方が海に囲まれて海のない県の方が珍しいのに・・・。

 彼女は私の答えが地元を馬鹿にした答えと思ったに違いない、そんな考えに至ったせいか、教師との面談は散々だった。

「立花らしくないなぁ。もう少し、志望動機が明確じゃないとな、力が出ないぞ」

 教師が呆れたようにそう言ったことだけは覚えている。細かいことは忘れてしまったが、もしかしたら志望動機を問われたときに、「海に近いから」、とでも言ってしまったのかもしれない。

 そんな間抜けなことをしでかしてしまったかもしれない私ではあったが、とにかく必死に勉強をしたおかげで何とか志望大学に合格することができた。トップクラスとは言い難いが、受かった神奈川の大学は就職の実績もある手堅い中堅の大学だった。


 卒業の日は、まだ山の頂に雪が残っていたが、春が間近いと思わせる暖かな晴れた日だった。私たちは講堂に並んで、校長先生からの訓示を受けた。講堂は春の光に満ちていて、少なくとも私にとっては、別れの寂しさより明るい希望に満ちた場所に思えた。卒業生の大半は系列の大学に進学し、国公立に進むのは私を含めてごく少数だった。父の転勤は解けていなかったが、会社の社員に貸してあった家は退去してもらい、一足先に私は横浜に戻ることになった。高校の時、家族が一緒に住むべきだと主張した母も大学となれば仕方ない、と諦めてくれた。その代わり、父に対して早く横浜に戻るように圧力をかけ始めた。

 彼女は・・・知花由香は地元の短大に進学した。彼女の成績ならば一流私立でも名門の女子大学と言われるところでも突破することは可能だったはずだった。噂では彼女の父親が地元に残るべきだと主張したらしい。父親は県議会の議員で、彼女は一人っ子だった。今では信じられないかもしれないが、親がそう主張すれば子供はその言うことに従わざるを得なかった時代があったのだ。もっとも彼女がどういう気持ちでそれを受け止めたのかは私には分からなかった。彼女のごく親しい友達たちもそれは知らなかったらしい。ともかく、彼女は地元に残る決意をしたのだ。それはとりもなおさず、彼女自身が父親の地盤を継いで議員になるのか、それとも誰かと結婚してその男が議員になるのかのいずれかだろう、と思われた。そして誰もがその後者であると考えていた。

 そして・・・今でもその風習が残っているのかは知らないが、その頃は卒業式に女の子たちは好きな男性の二番目のボタンをもらうという儀式があった。

 その話を聞いた時、なぜ二番目なのだろうと私は不思議に思った。正確な理由は今でも知らないが、おそらく相手のハートに一番近くにあるボタンだからじゃないだろうか、というのが私の推論だった。ロマンチックではあるが、いずれにしても私には縁のない風習のように思えた。世の中にはもてない男の子にとって、つらい風習がたくさんある。自分の誕生日、クリスマス、ヴァレンタインデー、そして卒業式。

 実際、私たちの卒業式の後にも何人かの女子が男の子を取り巻いていたが、男の子は恥ずかしがって誰かに助けを求めるように目をきょどきょどさせ、その近くを私と同じような男の子、つまりはそういう風習と縁のなさそうな子がそっけない視線を投げかけて通り過ぎて行った。私は、そのどちらにも、そして誰よりも自分自身に同情した。

 家に帰ろうとした校門を出たとき、女の子たちが何人か集まって話をしていた。その中に知花由香もいた。彼女はふっと私に視線を投げかけた。その時彼女が何か言いたそうに口を動かしたように見えたのは私の気のせいだったろうか?けれど、彼女の友人が彼女に話しかけ、その視線は切れた。

 自転車置き場に向かう途中、私は一度だけ振り向いた。たぶん、これがこの学校の見納めになるんだろう、そう考えた時、初めて何かじんとなるものが心を過った。そしてたぶん、彼女の青春時代もまた見納めになるんだと・・・。女の子たちはまだ集まったまま話を続けていた。


 私は大学を卒業すると中堅の商社に入社した。国内向け食品を扱うセクションで、仕事は目が回るほど忙しかった。残業は労働基準法に抵触するぎりぎりまでが日常で、接待は労働基準法では守られなかった。土曜日、日曜日が続けて接待になることも珍しくはなかった。そんな中、二十七歳の時に上司の勧めで私は敦子という女性を伴侶にした。彼女は取引先の大手食品会社の重役の娘で、美人とまでは言えないが愛嬌のある娘だった。私自身は、あまり結婚相手にこだわりがなかった。こだわりがないというより、どんな相手とでもまぁまぁうまくやっていく自信はあった。ただ、唯一、私という個人を相手が詮索しないという条件が適えられれば。

 といっても特に私に秘密があったわけではない。ただうるさく詮索されることは苦手だった。人と人には適切な距離というものがある、というのが私の考えだった。

 その距離の中に不躾に入ってくる人間はたとえ家族と言ってもごめんだった。その意味で敦子は問題なかった。少しファッションに贅沢ではあったが、私の収入に影響を与えるほどの無駄遣いではなかった。やがて、子供が生まれると彼女のファッションにかける情熱は少し収まり、代わりに子供の教育や服装にお金がそれまで以上にかかることになった。子供は男の子と女の子の二人が産まれ、どういうわけか男の子にかけるお金の方が余計にかかった。娘の方もバレエやらピアノのレッスンに少なからずの月謝が必要だったが、息子の入試にかけるお金はそれを上回った。

 ともあれ、二人とも無事に大学に入学しそして卒業して、家を出た。後に産まれた娘が卒業するのと同じころに母が病に倒れ亡くなり、父は一人で高齢者施設に入居することを決めた。そして私に、

「家が空くからそこに住めばいい」

 というと、自分で施設の入居費を払い、さっさと引っ越していった。私たち夫婦は都内のマンションを引き払う前に、家を新築することに決めた。父には土地代と称して、相応の家賃を払うことにした。

 半年後、家は完成し、私には少しのローンができたが、五年後に完済した。そしてその年、父は他界した。家は二人には広すぎたが、週末に息子や娘の家族が来ると賑わった。二つの家族が一緒に来ると狭いほどだった。どちらの家庭にも二人の子供ができ、少なくとも私たちの家族は日本社会の人口減少の原因ではなかった。


 そして、私が五十八歳になり、子会社の役員に転じることが決まった年の初春のある日のことだった。まだその頃は郵便は土曜日にも配達されていて、その頃の私は接待が無ければ、もう土曜日に出勤することもなくなっていた。庭の山吹がきれいに咲きそろって、それを眺めながら植木に水をやっていると、郵便箱に何かが入れられた音がした。水を止めて郵便箱を覗くと、ダイレクトメールに混ざって「同期会のお知らせ」と表に書かれた私宛の水色の封筒があった。

 封筒の下に印刷された活字には私の高校の名前が書かれていた。ダイレクトメールと纏めて下駄箱の上において家に上がろうとすると、玄関のそばにある浴室の隣で洗濯をしていた妻が目ざとくその封書を見つけて、

「あら、同窓会の案内じゃない」

 と声を上げた。

「ああ」

 と私は気の乗らないまま答えた。

「行ってらっしゃいよ。年を取ると、そうした付き合いも必要よ」

 妻は諭すように言った。

「しかし、高校のある町は遠いからなぁ」

「でも、きっと懐かしいわよ。知っている人に久しぶりに会うっていうのもいいものよ」

 そう言った妻に、

「だがなぁ、そんなに親しい友人もいたわけじゃないし」

 答えた時、ふと、卒業式のあの日、私を見て何か言いたそうにした知花由美のことを思い出した。彼女はあの時何を言おうとしていたんだろう?いや、あれは私の勘違いだろうか?会って確かめてみたい気がした。

 だが、彼女が同窓会にやってくるかどうかは確かではないし、彼女はそうした過去にとらわれるタイプの人間にも思えなかった。もし彼女が来るとすれば連れ合いの選挙活動の一環に違いあるまい。それはごめん蒙りたい。

「見るだけ見てみなさいよ」

 妻は私を唆した。そういえば妻は毎年大学やら高校やらの同窓会にいそいそとおしゃれをして出かけていく人間であった。呆れたのは小学校の同窓会にまで出席したことで、

「小学校の友達なんて、見分けがつかないだろう」

 とからかうと、

「そんなことはないわよ。最初見ただけじゃわからないけど、話しているうちにすぐに誰が誰だかわかるものよ」

 と楽しそうに話したことを思い出した。


「そうか・・・」

 そう言いながら、私はその封筒を鋏で開封した。もし場所が高校のあった街なら行くつもりはなかった。だが、そこに書かれていた場所は銀座の小さなホテルだった。そしてその理由も書面に書かれていた。

「本来なら懐かしい校舎のある町で開催すべきですが、調査したところ卒業生の八割が東京の近辺に居住していることが分かり、故郷に住み続けている方々には申し訳ありませんが、たまには東京へやってきて羽を伸ばすという意味でも・・・」と開催場所を銀座にした理由が書かれてあった。

「どう?どこでやるって」

 妻が手紙を覗き込んだ。

「銀座だとさ」

「あら、良かったじゃない」

 もう私が出席すると決めつけたような妻の言い方にいささか抵抗を覚えながら、私はさらに読み進めた。そして幹事と発起人の氏名を見た時、私の心は揺れた。発起人に知花由美の名前があったからだ。もし選挙活動の一環なら少なくとも8割の人間はあてにならない計算だ。それなのに何故?

「しかし、なんでこの住所がわかったんだろう?」

 私は動揺した心を悟られないように呟いた。

「あら、だってここはお父様が住んでいらしたところでしょ。あなた、きっと連絡先をこの住所にしたんじゃないの?」

 妻が答えた。

「そうだっけな?」

 もう一つ可能性があった。卒業して以来、同級生と会うことはほとんどなかったが、会社の人間ドッグで指定された病院に行ったとき、たまたまそこで知り合いに会ったのだ。品川の大学に付設された病院で私を担当したのは、高校から唯一医大へと進学した同窓生で、その時私はすでにこの家に移っていたのである。

「同姓同名だから、まさかと思っていたが」

 宮本というその男は顔をほころばせた。宮本は高校からの入学で、理系ではトップの成績だった。病院を付設した大学に入学したことは知っていたが、まさかここで会うことがあるなどとは思ってもいなかった。

「なんだ、開業医で金もうけをしているんじゃないのか?」

 そう尋ねると、宮本は、

「日本の医療制度のガンだよ、開業医を無制限に許すのは」

 と笑った。その時に名刺交換とともに互いの住所を教えあったことがる。だが、互いに忙しかったせいか、それから会ったことはなかった。

 そのことを妻に告げると、

「なんだ。友達もいるんじゃないですか。その人にも会えるかもしれないじゃない」

と私の背中を押した。

 今思えば・・・そう私に勧めたことを妻は後悔するのだろうか?




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