尽きることのない悩みの日々
「コーヒーをホットで」
「かしこまりました。マスター、ホットコーヒーを一つお願いします」
学校からは反対方向だが、家からは徒歩五分の所にある個人経営の喫茶店。それが俺のバイト先だ。
オーナーが作家らしく、小説に出てくるような大人の雰囲気が漂う喫茶店を作りたい、という考えから実際に作ってしまった店である。
そして、そのコンセプトがニッチな層に受け、妙に渋みやダンディズムが強いお客様が常連としてやって来る。そんなお店となっていた。
「皇雅君。こちらのホットコーヒーをお客様に」
「かしこまりました」
因みにマスターはオーナーの息子さんで、今年40歳になるイケオジだ。落ち着いた大人の雰囲気が漂い、一定層のファンが存在している。
「お待たせ致しました。ホットコーヒーでございます。本日は上質な酸味と苦味のバランスが良い、コロンビア産エクセルソ、スプレモをご用意致しました」
「ありがとう」
「いえ。砂糖とミルクはご自由にどうぞ。何かお困りの際はこちらのベルでお呼び下さい。それでは穏やかな一時を…」
この口上も全てオーナーが考えたものだ。俺としては何だかむず痒くて仕方ないが、まあ、常連の皆様には非常に喜ばれているのでこのやり方で正解なのだろう。
お客様を含めて、皆が何処か余裕を感じさせる佇まいでコーヒーを楽しみ、それぞれの時間を楽しむ。偶に小さな呼び鈴が小気味良い音を鳴らし、御用を伺う。
このバイトの良い所は忙しなさが一切無い所であり、悪い所は雰囲気から同級生の友達を呼び難い所だと思っている。
「皇雅君。来たよ」
「いらっしゃいませ。明俊(あきとし)様。何時も御来店頂きありがとうございます」
「はは、出張帰りでね。実家に顔を出してから帰るつもりなんだけど、その前に」
そんな喫茶店で異色の常連の明俊様は今年26歳になる会社員で、栗色の髪をしたイケメンだ。その上、この若さで課長職に着いているという高スペックな方であり、絵に描いたようなエリートでもあった。
当人は「親の七光りと言われないようにしないといけないからね。毎日、必死だよ」と言っているが何事にも深い造詣を持ち、良い物は何でも取り入れようとする貪欲さを兼ね揃えている所を見れば、本人の実力の高さが伺えた。
「それでね。皇雅君。今回は、このビジネスモデルについて君の考えを聞かせて欲しくてね!」
「明俊様。何時も申しておりますが、私のような若輩者の私的な意見等、机上の空論に過ぎずーー」
「それでいいから!君と話すのは私の楽しみなんだよ!この通りだから!」
「…マスター」
「ハハハ。店も落ち着いてきた所だし、構わないよ。それに明俊様は君が捕まえた大切な常連様だ。話を聞いてあげなさい」
明俊様は以前、職場の人間関係が上手くいっていない時期があり、頭を抱えて御来店されたことがあった。
読者が好きな俺が心理学の本から学んだ知識を披露した所、それが好転の兆しになったそうで、すっかり、この喫茶店に入り浸るようになった。
それからというものの何らかの議題を持ってきては、議論を交わす事を楽しみに来店されている。
俺としては本から得た知識でしかない言葉を振りかざすのは恥ずかしくもあった。とはいえ、明俊様は決して安くないこの店のコーヒーを話しの限りお代わりしてくれ、時にはサイドメニューの軽食まで注文してくれるお客様だ。
夜の喫茶店の、お客様の少ない時間帯に来る太客と言っても過言ではない。マスターの許可が出る限りは付き合う他ないだろう。
…まあ、明俊様の場合は俺と話す為に、お客様が少ない時間帯を狙っている節があるが、考えないようにしておこう。
「解りました。それでは明俊様がお持ちになった記事に目を通させて頂きます」
「ふふ。そうこなくては。マスター!コーヒーのお代わりを」
「かしこまりました。明俊様」
新たにカリカリと挽かれるコーヒー豆の音を聞きながら、俺は彼の持って来たビジネス本の記事に目を通すのだった。
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