放課後のどかさん注意報

 最近の放課後、ジムが始まる前に勉強を教えている。誰に?何てあえて言うまでもないだろうが、大和のどかに、である。


 元々教える予定はあったものの、連絡先を交換するまでは具体的な話が進んでいなかった為、教える機会はなかった。


 それもあって、中間考査から割と近い日付になってしまったが、彼女のやる気と行動力があれば、点数を上げること自体はそう難しく無いと俺は考えていた。


 本日最後の授業である数学ーー。黒板に書かれた公式をぼんやり眺めながら、俺は思考する。


 俺達の年齢は一般的には思春期と定義されている。大人でも子供でもない、成熟度にムラが出る時期なのだと言われている。


 しかし、俺はその事を非常に疑問に感じていた。全員が、とは言わないが、多くの者は16を超えた辺りから心の成長的には大人とそう変わらないからだ。


 よくドラマで「お前はまだ子供なんだ」と娘を叱るシーンを目の当たりにする。そして、娘は反発する。自分の心は既に大人と変わらないのに何故そんな抑えつけ方をするのかと非行に走る。


 確かに非行に走る事は褒められたことではない。しかし、行動原理自体は間違っていないと思うのだ。


 まず、最初に言った通り16を超えた者達の心はさして大人と変わりない。実際、心の成熟は16〜18くらいには終わりを告げている。


 しかし、大人と全く一緒なのかと言えば、そうではない。というのも、俺は成長とは全く関係ない所に明確な差があるからだと考える。


 その答えはシンプルに経験だ。


 その人が長く生きる中で得た経験ーーそれが大人と自分達を分ける違いである。


 要は経験を伴わない言葉は机上の空論でしかなく、決定打に掛ける。いくら理論で武装し、正しさを証明しようとも実際にそうなるかはやってみないと解らない。


 故に実際に経験したか、してないかは大人とそれ以外を分けるのだろう。しかし、それは心の成熟とは関係ない。


 よって、正しく叱るならば、確かに大人と変わらないが経験が違う以上、同等に扱う事は出来ない、と言うべきなのである。


 何故、心の成熟と関係ないかと言えば、経験の有無に年齢は関係ないからだ。


 逆に経験さえ積んでいれば精神的に早く大人になる場合だってある。そして、経験が足りなければ、何歳になろうとも大人にはなり得ないのだ。


 年齢は数字でしかない。経験を積むことが出来ず、意味もなく数字を重ねた大人が、いい歳をしてみっともないと言われることだって、この世の中幾らでもあるではないか。


 それと比べれば思春期と呼ばれる世代の方が遥かに大人と言えた。


 とはいえ、俺は無理に大人になる必要は無いと考えている。何故ならば、大人になる経験というのは諦感や死といった負の側面が強い物が多い。


 輝く夢を掲げる権利があるのに自らそれを捨てる必要は何処にもないのだから。


 ただ、まあ、男女の差はあるだろう。男性の場合は余程の経験が無ければ、よりゆっくり成長するものだ。そのお陰で大きな成功を納める事も出来るのだが…まあ、今後の成長に期待して頂きたい。我等が男性はまず女性よりも心の成長が緩やかで、子供の時期が長い事を認めることが、大人になる第一歩でありーー。



「秋月君、秋月君っ!もうSHR終わったよっ!」


 未だ教科書を机に置き、思考に耽っていた俺は、今日教えて貰ったばかりの公式のページを開き、期待に瞳を輝かせながらら、にま〜と笑うのどかさんの姿を見て現実世界へと引き戻された。


 我ながらよく怒られなかったな、と思いながら、俺は彼女に隣の席に座るように促し立ち上がるーー。



「スト〜ップ!席をこうすれば立たなくても良いじゃん♪」

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