第18話 その答えに、嫌だと言ってくれたら

 現実というのは目を閉じていても、耳を塞いでいても、瞳に映り込み耳元で叫んでくるものなのだと知ったのは、斎藤さんとの会話からすぐだった。


 彼との電話から二日後の夕方。

 実家で仕事に復帰するため、色々と支度を整えている時、オレの携帯が鳴った。画面を見るとそこには斎藤さんの名前が表示されていた。

 オレは期待に胸を膨らませ、電話に出る。だが、どこかオレは期待と同時に少しだけ嫌な予感がしていた。


「はい」

「……今、大丈夫か?」


 斎藤さんはどこか気の沈んだような声色で、電話に出たオレにそう尋ねる。

 いつもと違う声色。オレが病院でのことを話した時や、会社を休み始める時にも聞いたことの無いような声だった。

 オレの中の嫌な予感が、膨らむ。


「大丈夫です」


 オレは不安を隠すようにいつも通りを心掛け、彼にそう返す。すると彼は大きなため息をつくと、ゆっくり確かめるように話し始めた。


「その、な。一昨日の件で、上の方と話をしたんだ」


 声色でもわかっていたが、その態度もやはりどこかおかしかった。

 普段の彼であれば、結論から話し始め、それから理由や過程を話す。社会人にとってこのコミュニケーション方法は非常に有用であり、大事なことなのだと斎藤さんから以前、直々に教えてもらった。


「俺は……お前の努力を知っている。だから、会社にとって良い人材だと言った」


 だが、今は違う。

 今の彼の話し方はまるで、子供が言い訳をしているようだ。結論を後回しにし、話を長引かせているように感じる。

 良い意味のサプライズであれば、こういった話し方も効果的なのだろう。

 しかし、今の彼の声色が、良い意味という風に捉えることを許さない。


 なんとなく、この段階でオレは気付いていた。

 彼が話そうとしていることと、会社の意思を。


「でもな……」


 選択をしたところで、現実はそれを受け入れないことがある。

 どんなに自分が前向きになったとしても、それを拒否する力があるのだと、叩きつけてくるのだ。


「――駄目、みたいなんだ。お前を会社に、残しておけないって」


 携帯を持つオレの手に力がこもるのを、感じる。

 この力が意味するのは、悔恨と悲嘆だ。


 それから斎藤さんは、会社で話し合った内容を、オレに伝えた。


 今現在、オレの会社における立ち位置というのは、一介の新入社員だ。

 たとえ入社して間もない頃に良い成績を残しているとしても、その位置は変わらない。頑張っている新入社員は他にもいるし、今も休まず働き続けている者もいる。

 ノルマが達成できなくても、それは大きな問題にはならない。何故なら新入社員だからだ。

 つまり、会社は新入社員を甘えさせている。何か問題があれば上司や先輩社員で対処し、必要であれば何かしらの手当てや休暇を与える。そうして将来、会社により良い結果や利益をもたらす存在になるように、育成している。


 これだけ聞けば、オレにもまだチャンスは残されているように感じる。

 だが会社は、違った。


 会社としては、これだけ甘やかし、チャンスを与えていても、これからに通じないと判断したようだ。

 入社して程無く体調を崩し、長期の休暇を与えているが改善の見込みが立っておらず、本人は体調は悪いが働きたいと言っている。

 これから先、新入社員という肩書が無くなり、更にノルマや残業が増えていくことは明白だ。それがわかっている上で働きたいという意思は立派で献身的なものではあるが、それに耐えられるかどうかは別の話だ。体調が改善するどころか、悪化する可能性の方が高い。


 つまり、だ。


 甘えられる立場に胡坐をかき、その調子で会社に居続けられても利益に見合うだけの結果が残せない。そんな人材を抱え続けるわけにもいかない。


 会社はオレに、そう言いたいようだ。


 嫌な予感が、当たってしまった。

 オレが進もうとした道は、もう行き止まりなんだと、言っているような気がした。


「そうですか」


 彼の話に対する答えは、自分でも驚くほど冷たいものだった。

 諦め、後悔、悲しみ。

 オレの心に、悪いものが溜まっていくのを感じる。


 斎藤さんには、感謝しかない。

 会社の真意を引き出すほど食い下がってくれていたのだと思うし、伝えにくいことをちゃんと言ってくれた。そして、オレが会社に残ることができないのを、きっと本当に残念に思ってくれている。

 上司という立場からすれば、斎藤さんが考えるべきは今回の会社と同じものだろう。それなのに、たった一人の、仕事を満足にできず、迷惑を掛けている新人に時間と心を割いてくれる。

 こんな人が自分の上司であったということは、今後オレにとって大事な経験と思い出になる。

 オレはそんなことを考えており、今の状況が自分に起きていることだとわかっていなかったのかもしれない。


 そんなオレに、彼が口を開く。


「……説得できなくて、わりぃ……」


 基本的に社会人然とした口調、態度の彼がオレにそう言った。

 まるで学生時代の友人に話しかけるような、砕けた口調で。

 同時に、胸がぎゅっと締められるような感覚と、何かが突き刺さる痛み、そして涙が溢れた。


 ――オレは何をしているんだ。


 どこか達観していた自分に、怒りの感情が沸き上がる。


 ――なんでこの人に、謝らせているんだ。


 全部自分の行動で起きたことなのに。

 自分の責任なのに。

 なぜこの人がオレに謝らなければいけないのか。


 ――情けない。


 こんなにオレのことを思って、色々行動してくれていた人に頭を下げさせている自分が、とにかく情けなく、許せなかった。


 終わらせようと、思った。

 こんなことを続けていても、続けさせていても、この人には何もメリットは無い。


 だからせめて、オレにできることを。


 終わらせることを。


「……今まで、ありがとう、ございました」


 この決断を、彼にさせてはいけない。


 だから。


「会社、辞めます」

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