美野里ルート

「ごめん。紗代とは付き合えない」

「......っ」


 俺の返事を聞いた紗代は、何かを堪える表情を浮かべた後、それを隠すように俯いてしまった。

 

「......紗代のことが嫌いなわけじゃないんだ。あの件が原因で付き合いたくないってわけでもない────でも......」

「いいよ......大丈夫。こんなでも───こんな私でも、短い間だったけど、紅貴くんと付き合ってたんだから。分かるよ、キミの気持ち。......だけど、だけどね......」

 

 次に紗代が顔を上げると、その頬には涙が伝っていた。

 

「......ごめん」


 俺はそんな紗代に、謝ることしか出来なかった。


           *


 少し時間が経ち、夕方、図書委員の仕事が終わった俺は、寄り道することなく帰宅し、自室の扉を開ける。

「え」

 当然誰も居ないだろうと、思って開けた訳で、そりゃあ、だから余計に、美野里さんが床に、私服姿で座っていたから驚いた。

 なぜ美野里さんが部屋に居るのか、何をしていたのか、全く、皆目見当もつかない、ので、一応部屋の中を確認してみる、

 荒らされた様子も、盗まれたものも無さそうで安心した。


「もう、なにも盗ってないですよ!」

「ごめんごめん……でも、じゃあなんで俺の部屋に?」

「雪ちゃんから聞いてないですか?」

「なにを」

「今日、雪ちゃんとお泊り会をするんです!それで、ほら、雪ちゃん、部活があるじゃないですか。だから、どうせお兄さん、部活に所属なんてしてないでしょうから、話相手になってもらおうと思ったんです……だけど!ちっとも帰って来てくれないんで結局暇でしたよ!寄り道なんてしちゃ駄目なんですよ!」


 頬を膨らませる美野里さん……なんで俺怒られてんの?


「寄り道じゃなくて図書委員の仕事な」

 

 スマホで時刻を確認すると、雪が帰って来るまでに、もう少しだけ時間がありそうだ。 


「雪が帰って来るまで少し時間あるし、それまでだったら付き合うよ」

「ありがとうございます」

 

 荷物を置いて、美野里さんと向かい合って座る。

 テーブルの上にはコップに入ったジュースが入っていて、恐らく母親が用意してくれたんだろうけど、最初から美野里さんが俺の部屋に居たのなら、それは止めて欲しい案件だったなと、思っていると、「良かったです」と、美野里さん言った。


「何が?」

「元気そうで」

「俺は何も変わらないよ。だから、そのセリフはこっちから────……元気そうで、良かったよ。初めて会った時とは、別人のような、良い顔してる」


 美野里さんの表情からは、以前までのような、今にも壊れてしまいそうな、そんな雰囲気は感じない、きっと、兄からの解放によって気持ちに余裕が出来たんだろう。


「終わってみると、今までが嘘のように、かと言って忘れられはしないんですけど……でも、案外、あっさりしたものでした。何もかも、全てがハッピーエンド、とは言えないですけど」


 だけど、それでも、美野里さんが最も恐れていた家庭崩壊は、なんとか免れることが出来た。兄が居なくなったことにより、八つ当たりのように接せられる心配もあったが、だけど、その兄の代替品のような扱いを受けることによって、だから、今までよりは大切に育ててくれるだろう。


「また、何かあったらすぐに、俺でも、雪でもいいから相談してくれ。出来ることは少ないかもしれないけど、必ず協力して、助けてみせるから」


 なぜ、そんなことをしたのか分からないけど、自然と、俺の手は美野里さんの頭に伸びていて、そのまま、撫でていた。


「あ、あの、お兄さん......!」

「ごめん!雪にしてるクセで!」

 

 すぐに手を放そうとすると、美野里さんがその手を掴み、制止してくる。


「どうしたの!?」

「つ、続けてください!......お願いします」

「美野里さんが、いいなら」


 美野里さんの綺麗な髪を優しく撫でてあげる。

 俺も彼女も頬を赤く染めて、無言で、撫でたり撫でられたりする時間が流れる。

 ......気まずい。


「雪ちゃんが羨ましかったんです」

「雪が?」

「兄妹で、あんなに仲良さそうにしてて......私にとってはそれがとても羨ましかったんです」

「......あの人は昔からあんな感じなの?」

「いいえ、昔は優しい兄でした。優しくて、優秀で......でも、それ故なんでしょうね。期待に押しつぶされて、ストレスを私にぶつけるようになったんです。なんの期待もされていない私に」

「なるほどね」


 あの人もあの人なりに、そういう過去があって────だからといって、その行為を「仕方ない」と許すことはもちろん出来ないけれど。でも、それならば、元凶を敢えて決めるなら、それは周囲からの『期待』。そして、彼の心の弱さ。

それが今回の事件のきっかけなんだ。


「まぁ、なんだ。頭ぐらいならいつでも撫でてあげるから、さ。しばらくは、俺のことを義理の兄とでも思ってくれればいいさ」


 我ながら妹の友達に何を言っているのか分からないが────まぁ、数日とはいえ一緒に暮らしたんだ。もう、家族みたいなものだからいいだろう。


「そんな風にセクハラじみたこと言ってると、雪ちゃんに言いつけちゃいますよ?」

「せ、セクハラって......雪には言わないでくださいお願いします!」

「ははっ、冗談ですよ!......ありがとうございます。正直、かなり嬉しいですよ」


 本当は、次に美野里さんの前に現れた木下陣が......胸を張って「美野里の兄です」って言えるような、そんな兄になってるのが一番なんだけどな。


「ただいまー!!」

「......!美野里さん、早く雪の部屋に!」


 この後、美野里さんと会ったり、連絡を取っているうちに付き合うことになった俺たち。

 雪もそんな俺たちを応援してくれていた。


「......ぱぱ、会いたいよ」


 そんな声が、どこかから聞こえた気がした。


           *


 全ての鍵が揃い、道が開かれました。

 歩みだしましょう、再び―――と。

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