第34歩 『兄と妹は互いに支え合って生きている』
「1つお願いなんだけど、これからは私の事は名前で、
「えっ」
あまりにも唐突な要求に、思わず変な声を上げてしまった。
「桐谷さんに対して、もう恋人関係では無いのに呼び捨てで呼んでるだろう?だったら、私の事を『吉田さん』と呼ぶのは不公平じゃないか」
「不公平って」
「もちろん、不公平にならないよう、私もキミの事は名前で呼ぶよ。それなら、キミも呼びやすいだろ、ね、
真っすぐ視線を合わせられながら名前を呼ばれ頬が熱くなるのを感じながらも、俺は何とか聞き逃さなかった。
「呼び捨てじゃないじゃん」
「そんな寂しそうな顔をしなくていいよ。キミが望むなら────」
「いや、いい。その代わり俺も『茉莉さん』って呼ぶから」
これが俺の妥協点。
いや、これはおそらく上手く誘導された結果だろう。
「十分だよ」
そう呟く彼女の頬は、俺と同じで赤くなっていた。
「それじゃ、私はそろそろ失礼するよ」
「ああ」
椅子から立ち上がり扉の前に立った茉莉さんだったが、直ぐに出ては行かず、こちらを軽く振り返ると────。
「また明日」
「ああ、また明日」
俺の返事を聞くと満足そうにして、図書室を後にした。
*
同日、午後10時。一連の事に対するお礼を言う為に
「はーい」
俺の緊張を嘲笑うかのように気の抜けた返事が扉越しに聞こえた。
すぐに扉が開かれると、不思議そうな表情の雪が立っていた。
「急に悪いな、今いいか?」
「大丈夫だけど、どうしたの?珍しいよね」
「話したいことがあってな」
廊下で話す事じゃ無いので部屋に入れてもらう。
「それで、話したい事って
「え、あ、そうだな。美野里さんの事は聞きたいな」
これは嘘では無く、お礼を言った後にでも聞こうとしていた事だ。
「あの後ね。両親に話したんだって、今まで木下陣にされてきたことを、全部。そしたら、これは私も予想外だったんだけど、すぐに信じてくれたみたいでね。『気付いてあげられなくてごめん』って、謝ってくれたみたいだよ」
「……なんだろうな。良かったと言いたいところだけど、素直に言えない感じ。都合が良いというか、なんというか」
「私も同じ気持ちだよ。多分、優秀な兄の代替品、そんな悲しい価値を美野里ちゃんに見出しただけで、本当に心から現状を喜んでいるかは分からない。でも、とりあえず今は、それでも美野里ちゃんへの態度は改善されるんじゃないかな」
兄の代わりだとしても、いや、もう優秀なだけではなくなった兄に比べれば、今回の事で人望も友達も増えた美野里さんの方が、兄よりも優秀と捉えるかもしれない。
「これからどうなるか、親の期待に応えようとするのか、今まで通りの美野里ちゃんで居るのか……それは、美野里ちゃん自身が決める事なんだよね」
「そうだな」
「だから、私の知ってる話は多くなくて、これでお終い。今後の美野里ちゃんにこうご期待って感じだけど……うーん、まだ何かありそうだね」
流石だな。なんでもお見通しで、隠し事なんか出来ない。
「美野里さんの事が気になっていたのは本心だけど、俺にとってはこっちが本題だ」
雪の頭に手を乗せ、そのまま撫でる。
「ちょ、ちょっと急にどうしたの?」
「感謝してるんだよ。……今回の件、雪が協力してくれなかったら、この終わり方は無かっただろうから。だから────ありがとう」
頭から手を離し、頭を下げる。
「私には感謝される資格なんて無いよ。私は紗代さんに脅されたとはいえ、本当の事をお兄ちゃんに伝えられなかったんだから」
「それは仕方ないだろ。3か月前に雪から教えられても紗代への想いを絶つ事は出来なかっただろうから」
それを雪は分かっていたから、オレが前を向かずに未練に縛られるのを危惧して、紗代からの脅しに屈した訳ではなく、自分の判断で止めたのだ。
「みんなのおかげで成長できて、色々な出来事を受け止められて、そして今───前を向けてる。そういう意味では紗代が噂を流したのは、紗代の想定通りかは分からないけど良い方向に働いたって事だな」
「そうだね。悔しいけど紗代さんのシナリオ通りに進んでいた事は認めざるを得ないよ」
オレの事、オレの人間関係を把握した上での紗代の計画と行動には、素直に感心してしまう。綱渡りのような手順だった事は否定は出来ないが。
「でも、紗代さんの計画には1つ誤算があった。お兄ちゃんの性格を完璧には把握できなかったのが原因だね」
雪の言う通りだ。
オレはまだ───。
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