第四話 『美喜多 千沙』

 私、美喜多みきた千沙ちさには去年、恋人がいた。

 名前は、木下きのしたじん。この学校では有名な2年生、つまりは私の1学年上の先輩だ。

 桐谷きりたにさんと同じく外見を評価され異性から人気────というのもそうだが、違う点としては内面も評価されているところ。だから学年問わず、異性同性問わず、生徒教師問わず、信頼されている────所謂、優等生だ。

 彼との出会いは、学校の図書室。

 私が1人で本を読んでいるとある日突然声を掛けられた。「何読んでるの?」とか「おすすめの本を教えてよ」とか、逆に「この本おすすめだよ」といった他愛もない話。だけど、高校に入学して友達と離れてしまった私からすれば、久々に出会う趣味の合う友達が出来たのは、とても嬉しかった。楽しい時間だったと、そう記憶している。 

 そして、私は彼に好意を抱いた。友達として、では無く異性として。

 彼と一緒に居る時間が楽しい、もっと話したい────そんな気持ちが恋心に代わり、だから、告白された時は涙が出る程嬉しかった。

 地味な私は、人気者の彼に釣り合わない、振り向いてもらえないと、そう思っていたから。

 涙を流しながら彼の告白に頷くと、優しく抱きしめてくれた。

 その時の、彼の心の内など知らずに……。


                    *


 付き合って数日。彼と何度かデートはしたけれど、それ以上の進展は無い。キスもしていないし、当然、それより先のことも。

 だけど、私はそれで良かった。

 初めての恋人との進展はそれくらいのペースが私には丁度良かったのだ。

 その日、私は1人で本屋に来ていた。彼のおすすめの本を探しに、そして、彼へ薦められる新しい本との出会いを求めて。

 店内を歩いていると、ふと、窓の外に視線が向く。

 そこには、彼の姿があった。それだけで嬉しくなった私は浮足立つ足そのままで本屋を出て、彼に声を掛けようとした────友達と遊ぶ予定があると言っていた、彼へ。


「え」


 突然、知らない女性が彼に近づき、腕に抱き着いた。

 驚いたのは、それに対し、彼が抵抗をしなかったこと────寧ろ、それが当たり前かの様に自然な形へと収まっていたこと。

 自分の鼓動が早くなるのを感じた。

 大丈夫、と深い呼吸をして落ち着かせる。あの人は、先輩の姉妹、もしくは従姉妹の可能性だってあるんだから、ここで浮気だと、そう決めつけるのは良くない。

 だから、大丈夫。

 あの先輩に限って、みんなから信頼されている先輩に限って……そんなことは────。

 私のそんな淡い期待はすぐに消えた。

 2人が、ホテルの中へと入って行ったから。

 

「なにが……大丈夫よ」


                    *

 

 翌朝、私は彼にメッセージを送った。電話で話すのは、怖かったから。


『短い間ですが、本当に楽しかったです。ありがとうございました。私と、別れてください』


 別れの言葉なんて言ったことも無いし、書いたことも無いから、拙い感じではあったが、伝えたいことは伝えられただろう。

 すると、直ぐに返信が来た。


『びっくりしたよ。え、冗談だよね?』

『私は、冗談でこんな事言える人間じゃないです』


 昨日見たんです、そう送ると彼はそれだけで事態を理解したようだ。


『そういうことか』 

『はい』

『見たのはあいつと居るところまでじゃないんだよな、その感じ。別れを切り出すには確証が足りないからな。その後まで見たんだろ?』

『ホテルに入って行くところを、見ました』


 私の指が、震えだし、昨日同様心臓の鼓動が早く、そして体温が下がって行くのを感じた。

 

『否定、しないんですか?』

『事実だし、否定したところでホテル入るとこまで見られたら信じないでしょ。ああ、惜しいな、お前顔だけは良かったから』


 私は指が動かなかった。なんて返せば良いか、分からなかったから。

 

『まあ、でも、だから何も楽しくないお前とのデートっていう無駄な時間が無くなるなら、その方が良いかもな。お前より可愛くて、エロい子と付き合えてるし』


 昨日見た人の事だろう。


『だからもう、お前要らないから』


 その言葉が、私の心に深く傷をつけた。

 

                  *


 あれから私は2年生になり、彼からの連絡も接触も一切なくなり、だけど他人との距離を置こうと決めていたある日。

 峰山くんと出会った。

 最初は、本当に嫌だった。

 だって「何読んでるの?」なんて聞かれる度に、先輩の顔が頭に浮かんだから。それが不快で無視する事も何度もあった。無視して良いと、彼が最初に言ってくれたから真意は分からなかったけれど、その通りにした。

 だけど、なのに、不思議な感情が自分に生まれた。

 それは、峰山くんが珍しく私に話しかけて来なかった時の事。諦めたか、話題が尽きたか、そう思った私はやっと静かな時間が過ごせるとホッとしたのだけれど、でも、私の口が無意識に動いた。

 話したいと、彼の声が聞こえないのを、寂しいと思ってしまったのだ。


「何、読んでるんですか?」


 いつも自分が聞いてくる話題を自分に振られ、彼は本当に嬉しそうに私の質問に答えた。

 そうして5カ月後、8月の中旬頃……桐谷さんから『峰山くんを助ける協力をして欲しい』とメッセージが届いた。


  







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る