第0歩『歩みが止まった夜』

 10月上旬。

 夏の残り香が消え、日が落ちるのも早くなり、肌寒い風が吹いている秋の夜道。

 夏の時間に慣れた所為で、同じ時間帯でも恐怖感を覚える街灯だけが頼りの道を、早歩きで帰っている。

 季節が変わったことを忘れ、久々の本屋にテンションが上がり、時間を忘れて立ち読みをしたのは反省しないといけないな。


 もうすぐ家に着く頃になると見えてくる建物がある。

 それがラブホテルだ。

 住宅街に異質な存在感を放つそれは、近隣住民から苦情は来ていないのか、オレが物心ついた頃からそこに建っていた。

 こんなところにあれば、子を持つ親から苦情が大量に届いて撤退してもおかしくないだろうに。


「ん……?」


 特に意味もなく外壁につけられた値段表や、宣伝を見ていたら、丁度1組の男女が出てきた。

 知り合いにバレたくないからか、2人ともマスク、女性の方は帽子を被っていた。

 何となく気まずくて、死角になる位置に身を隠し、早くどこかに行ってくれる事を祈りながら見ていると、周囲に誰もいないことが確認できたからか、2人ともマスクも帽子も外し、変装を解いた。

 まぁ、何歳になっても知り合いには会いたくない場面だよな。

 にしても、早い気はするけど。


「マスクって息苦しいのよね。帽子も鬱陶しいし」

「分かるけどさすがに取るの早過ぎないか?」

「そう言いながら先輩も外してるじゃん」

「喋り辛いからな」

「……ちょっと不機嫌?って、そりゃそうだよね……ごめんなさい」

「謝らなくていいって。怒ってもないし。夢心地っていうか、ちょっと疲れてるだけだから」


 大丈夫だよ、と彼女の頭を撫でる。

 

紗代さよの事、愛してるから、心配しないで」

「うん!私も先輩の事───大好き!」

「……は?」


 名前を聞き、特段気にもしていなかった女性の顔を焦って確認する。

 聞き間違いじゃない。

 見間違えるはずもない。

 そう思えば、声も、持っているカバンも、どちらも紗代、桐谷きりたに紗代───即ちオレの恋人のものだ。


「どう、して……」

 

 一瞬にして崖から突き落とされ、地面に叩きつけられたような衝撃を全身に受けた、そんな感覚に襲われた。






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