「尾根の向こう」

 山々が連なる先には一体何があるのだろう。


 行ってみたいと思ったもの。

 見てみたいと思ったもの。


 そのほとんどは実行出来なかった。


 幼い頃から手伝いに駆り出され、妹と弟たちの世話にいっぱいいっぱいで。

 この里の外に出た事もなかった。


 そんな境遇もあってか、伝え聞く話は煌びやかで。

 外への焦がれは日に日に増していった。


 けれど、両親は食べるものも控えて働き続けていて。

 とてもじゃないけれど我が儘は言えなかった。


 根が真面目だったのだろう。

 あるいは言い出す勇気がなかったのか。


 ともかく、そんな自分を連れ出してくれた人が居た。

 同じ里のよしみだろうか。


 仕事が残っているというのに、男の手を離せなかった。


 力が強かったから?

 違う。

 連れ出して欲しかったのかもしれない。


 辿り着いた山の上。

 そこから見える他の山と、その先に。

 大きく広がる青い海が見えた。


 はじめて見る海は想像以上に広く。

 そして同時に小さく遠かった。


 海はあんなものだったんだ。

 それを知ってしまう。


 膨らんだ夢に敵うものはない。

 けれど。


「行こうと思えば行ける。諦める事はないんよ」


 そう言ってくれた彼が、煌びやかに輝いて見えた。


 いつか二人で色んな所へ行ってみよう。

 遠くの海を眺めながら、暮れるまで語り合った。


 それから数年。

 彼が片足を失って帰って来た。


 生死も不明で、私には他の縁談があがっていたから。

 彼は泣いて謝った。


「もう約束を果たせない。こんな自分ではお荷物だ」


 そう力なく言う彼を、私は放っておけなかった。

 もう里の外へ行く事はないかもしれない。


 でも、一人で行ってきなさいなんて言わせない。


 その先の夢がいかに綺麗でも、今ここにある幸せを超えることはないと。

 教えてくれたのは彼なのだから。

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