「衣冠」

 大陸で天子といえば神から人の世を治めるよう託された者。

 選ばれし貴人である。


 東の国では神そのものであり、いずれにせよ下々が関わる事のない貴人であろう。

 つまり俺とは関係のない世界の話だ。


「これを着ろ。東の文官のものだ」

「着方がわからねぇ」


 師父が寄越した布地はよくわからない塊にしか見えない。

 紐だとか帯だとか、およそこれまで見た事のないものばかり。


「これから覚えろ。これからは座学も重視する」

「うへぇ」


 俺は思わず声をあげた。

 眠くなるし、尻も痛くなる。

 そのうえ怒られるんじゃ割に合わない。


 俺を拾った師父は飯もくれるし、戦う術を教えてくれた。

 礼節だとかのよくわからない決まり事は面倒だったが。


 それでも知らない事を知るのは楽しい。

 手の届かぬ、見知らぬ土地や世の広がりは心躍るものがあった。


 座学も異国の地や武勇伝あたりは退屈にならない。

 師父によれば冒険心とか好奇心とかいうそうだ。


「お前は賓客にまじり、事を成さねばならぬ」


 師父が真剣な顔でそんな事を言った。

 身だしなみを整え、教養とかいうのを詰め込んで、貴人のふりをするらしい。


 どうしてとは問わなかった。

 世の理はわからないが、それが元より求められていた事なのだろう。


 恩や義は心の内より来るものだ。

 損得以上に、師父に報いなければ嘘だろう。


 だからこの結末について、思う所はない。


 せっかく用意してもらった装束が赤く染まっていく。

 なんと勿体ない事だ。


 これだけでも、俺のような者が食べるに困らないほどの値だというのに。

 それに報いる事が出来なかったか。


 読み物にある英傑のようにはいかないものだ。


 霞む眼で曇天を見上げ、ただ師父を想う。

 ああ、師父よ。あなたの期待に応えられなんだ。


 霜と結露に気を付けて、温かいものを。

 腰に効く薬は、まだありましょうか。


 戸口は蹴らねば閉じ切りませぬ。

 どうか健やかに。


 先に、逝きまする。

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