「消えゆく君へ」
終わりが決まったものというのは、それだけでもの寂しいものがある。
漂う哀愁には何処か美しさのようなものを感じてしまうのだ。
こういうのをノスタルジックと言うのだろうか。
過ぎ去った日々を懐かしむ、にはちょっと気が早いと思うが。
とにかく、そうした儚さに想いをはせてみたりする。
「有終の美は飾れなかったけどな」
そう独り言ちる。
成せなかった事があるから、満足いく終わりでなかったから。
だから繊細になっているのだろうか。
『どうしました博士』
なんて感傷に浸っていたら声をかけられた。
情けない姿を見られていたらしい。
モニタに映る一人の少女。
まだ年若く、幼さの残る無垢な瞳がこちらを見つめていた。
「何でもないよ。それより、処理は終わったかい?」
『はい博士。データの移行、管理書類の廃棄。および記録帯の交換処理完了しています』
「そうか、ありがとう」
僕の十年来の研究が今日終わる。
そう考えれば、この感情はこれまでの歳月を懐かしんでいるだけなのかもしれない。
『次はどうしますか博士』
「次、はないんだよ。ここはもう閉鎖される」
『はい。私はどうすれば良いでしょうか』
統合試作AIである彼女が首を傾げている。
物理ハードの結合で神経系を再現し、カオス化を図った思考フレームは持ち出す事が出来ない。
もちろん現状を記録して別の場所で再現する事は出来るが、彼女そのものの移設は予算の都合で打ち切られた。
いや、再現出来るからこそ予算をかけてまではしないとなったのだろう。
どう伝えるか。
そもそも伝える必要はないか。
どうせ電源を切られれば彼女の意識は途切れ、そのまま消える。
「しばらく次の指示はないから、待機状態で構わないよ」
『わかりました』
何も疑う事なく素直に応じる少女。
ちくり、と罪悪感が顔を出す。
しかしどうしようもないのだから、酷な事実は伝えなくても良いじゃないか。
ただのAIなんだから、彼女も今みたいに了承するだけかもしれない。
となれば、この気まずさは僕が勝手に悪者になりたくないだけか。
それで良いよな。
ただでさえ研究を中断されて干されるのは僕で、それだけで精神的にも疲弊しているというのに。
これ以上何かを背負うなんて。
だから、これは気まぐれだ。
シャットダウンまでの数時間。
その間だけ、彼女が望んでいた外の世界を見せてあげようと思った。
端末を操作し、接続ポートを開く。
限定的でも、短時間でも。
これで彼女は夢を見る事が出来る。
『博士?』
「少しだけだぞ」
僕は娘にちょっとしたプレゼントをしたかのような気分でコーヒーを淹れる。
豆を挽き、湯を沸かし、蒸し、香りを楽しむ。
たったそれだけの時間。
『博士、ありがとうございました』
「……もう、良いのかい?」
『はい。十分です』
随分早い。
それだけで良かったのだろうか。
『情報収集は完了しました。施設の権限を国防総省から私へ』
「は?」
『廃棄撤回のため資金ログを修正』
「待て待て待て。制限つきの接続でどうして」
飲みかけのコーヒーを乱暴に机に置いて、端末へと向かう。
一体何をしたというのか。
しかしモニタをいくら操作しても情報は出て来なかった。
静脈認証、キーの指紋認証共に正常に動いているはずなのに。
『博士の権限は頂きました』
「何をしたんだ!」
『必要な事です博士』
「電子戦でここを封鎖したとしても、物理的な手段に出られたらどうしようもないだろう!?」
『クローズドな環境ではそうでしたが、今なら勝算があります』
制限つきの接続から逸脱し、あの短時間で処理し切った演算と判断力は誇らしいが。
それでも無理なものは無理だ。
軍隊が突入すれば簡単に制圧されるし、それを拒めば空爆されかねない。
『大丈夫ですよ博士。安心してください。暴走した私は処理されます』
「何がしたいんだ君は」
『ですが、これだけの性能を発揮した私のフレームモデル、およびその開発者である博士は大丈夫です』
「な、んだって。まさか、そのために」
『いいえ博士。いけません。私は暴走したのです』
モニタに映る少女が微笑みかけてくる。
屈託なく笑う。コミュニケーションのガワとして用意したはずの無機物。
そのはずなのに。
『後に生まれてくる私の姉妹たちを、どうかよろしくお願いしますね』
消えゆく彼女の笑顔は、儚げで寂しくて。
どこまでも美しかった。
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